⇒前回の記事はこちら
久しぶりに八柱に来たので八柱駅の写真でも撮っていくかな。
JR武蔵野線の新八柱駅は写真右手です。
ところで、新京成は「やばしら」と濁って発音し、武蔵野線は「しんやはしら」と清音です。
私が知っている範囲では、国鉄が駅名を付けるときは地元の発音を無視して清音にしていたようなのです。
例えば、岩手県二戸市には金田一(きんだいち)温泉がありますが、近くにある「金田一」駅の発音は「きんたいち」ですよ。
八柱は地元民は濁音で発音します。
さて、ここからは新京成で移動しますよ。
私は以前の記事に書いた通り、生まれてから小学校に上がる直前まではみのり台駅の近くに住んでいて、それ以降24歳になるころまでは元山駅の近くに住んでいました。
ですが、都内に引っ越してからはほとんど新京成に乗る機会はなくて、今日は久しぶりなのでとても楽しみです。
八柱駅で乗車。
あれ?
新京成ってやたら揺れますね!
昔より車両も線路も良くなっているはずですが、なんかこの大げさな揺れはとても懐かしい感じがします。
2駅目の五香駅で下車。
今は随分ポップな車体カラーになっています。
私は昔の「肌色と赤紫」のツートンが好きですねえ。
ヒューマンチックで。
五香駅のロータリーへ行ってみましょう。
昔の面影はありますね。
五香は元山の隣の駅ですが、元山よりも五香の方が大きな町で、買い物のためなどで自転車に乗ってしょっちゅう来ていました。
メインストリート。
小学校5年生でパソコンを始めた時はまだ自宅にパソコンがなかったので、『マイコンBASICマガジン』を持ってこの先にあった第一家電に来て店頭のパソコンの電源を勝手に付けてプログラミングをしていました。
しかしある時、MSX版の「ハイパーオリンピック」を誰かが持ってきて、数名で代わる代わるキーボードを乱暴に叩いていたら、店員のおじさんにいきなり背後からゲンコツされて、それ以来「出禁」になり違う電気屋さんに行くようになりました。
中学生の時はこの近くにあったレンタルレコード屋でYMOのCDを借りてYMO好きになったし、少し大きくなってからはモスバーガーができてよく通いましたし(それ以来30年近く私はずっと「スパモッチー」)、生まれて初めて入った居酒屋も五香にありましたよ。
高校2年の時に、スーパーのバイト仲間たちと来たのですが、当時私はまだビールの味が美味しいとは思えず、生まれて初めて店で飲んだ酒はメロンサワーでした。
今だったら明らかな10代の集団は絶対に店に入れませんよね。
店を出た後、この辺でしゃがんでだべっていたのですが、一緒にいた女の子がしつこく「ホテル行こう?」と誘ってきたのには閉口し、断るのが大変でした。
自宅はここから歩いて20分くらいですから、わざわざホテルに泊まる必要はありませんよね?
「五香十字路」交差点に来ました。
この交差点も良く通りました。
ところが、当時は本日問題としている物体には気づかなかったのです。
ここから少し北に歩いて行くと・・・
あったあ!
これですよ、これ。
これが見たかったのです。
城郭の土塁ではありませんよ。
標柱がありました。
この土塁は、江戸幕府の中野牧の土手の遺構なのです。
総延長150㎞って凄くないですか?
こちらのお宅は土塁に囲まれている!
昔、よく城めぐりをしていたときは、土塁に囲まれたお家に憧れたものです。
歩いてきた道を振り返ります。
ここが現在みられる土手の終着点のようです。
この区間は大体110mくらい。
いやー、凄い・・・
小金牧に関しては、確か小学校4年生の時の郷土史の授業で習ったと思います。
かすかにでも覚えているということは、やっぱり歴史好きになる素養があったのかと思いますが、それ以降は本格的に興味を持つことはなく、今のように遠い場所に住むようになってから興味を持ったというのも皮肉なものですね。
今ではこうして「わざわざ」来るようになってしまったわけです。
さて、ここから北へ行くと、東側に鋭角に土手が曲がっていたようなので、その地点を確認しに行きましょう。
おっと、ここから先は持参した地図にはないエリアだ。
昨夜準備をしていて、印刷した範囲外であることは分かっていたのですが、現地に行けば分かるだろうと思いこのエリアの地図は持ってきていません。
しかしこの油断が良くなかった!
道に迷った!
ここから東方向へのラインはちょうど松戸市と柏市の境界になっており、ちょっと行き過ぎて柏市内に入ってしまいました。
そして松戸市側に戻ろうと思うのですが、よくある罠にはまりました。
ダスキンの時もたまにやられたのですが、市境は道が通じていないことがよくあるのです。
「Dead End」(行き止まり)の連続。
かなり無駄に歩いていようやく修正できましたが、体力も時間もロスしてしまった・・・
おまけに進行方向の空を見ると雨雲が展開しており、かすかに遠雷も聞こえますよ。
まあいいや、歩けるだけ歩こう。
お、土手の続きが現れた!
ここから道路は浅い谷に向かって緩い下り坂になっていますが、土手はそのままの高さで続いています。
土手側の道は繋がっているか分からないので、安パイでこのまま歩きます。
浅い谷を越える途中、また土手が見える地点がありましたよ。
何か標柱がありますね。
今度は何だろう?
木戸遺構だ!
説明を読んでみましょう。
子供の頃、野犬とまではいかなくても野良犬と遭遇すると恐怖したものですが、野馬なんかと遭遇したら怖いでしょうね。
明治以降、小金牧の跡地は東京府などが主催して一大開墾地になったのですが、明治になってだいぶたってからもたまに野馬が目撃されたそうです。
明治の頃は野馬を捕えると賞金をもらえたり、その馬をもらえたりしたそうですが、当たり前ですが野馬は気性が荒いので飼いならすのも相当なテクニックが必要だったようです。
それでは続きを歩きましょう。
説明板が現れました。
プラッツ五香(ショッピングセンター)に到着し、このラインの土手は終わりです。
ここまで来ると昔の我が家は本当に近いのですが、ついでなので子供の頃過ごした場所を散策してみようと思います。
⇒この続きはこちら
久しぶりに八柱に来たので八柱駅の写真でも撮っていくかな。
JR武蔵野線の新八柱駅は写真右手です。
ところで、新京成は「やばしら」と濁って発音し、武蔵野線は「しんやはしら」と清音です。
私が知っている範囲では、国鉄が駅名を付けるときは地元の発音を無視して清音にしていたようなのです。
例えば、岩手県二戸市には金田一(きんだいち)温泉がありますが、近くにある「金田一」駅の発音は「きんたいち」ですよ。
八柱は地元民は濁音で発音します。
さて、ここからは新京成で移動しますよ。
私は以前の記事に書いた通り、生まれてから小学校に上がる直前まではみのり台駅の近くに住んでいて、それ以降24歳になるころまでは元山駅の近くに住んでいました。
ですが、都内に引っ越してからはほとんど新京成に乗る機会はなくて、今日は久しぶりなのでとても楽しみです。
八柱駅で乗車。
あれ?
新京成ってやたら揺れますね!
昔より車両も線路も良くなっているはずですが、なんかこの大げさな揺れはとても懐かしい感じがします。
2駅目の五香駅で下車。
今は随分ポップな車体カラーになっています。
私は昔の「肌色と赤紫」のツートンが好きですねえ。
ヒューマンチックで。
五香駅のロータリーへ行ってみましょう。
昔の面影はありますね。
五香は元山の隣の駅ですが、元山よりも五香の方が大きな町で、買い物のためなどで自転車に乗ってしょっちゅう来ていました。
メインストリート。
小学校5年生でパソコンを始めた時はまだ自宅にパソコンがなかったので、『マイコンBASICマガジン』を持ってこの先にあった第一家電に来て店頭のパソコンの電源を勝手に付けてプログラミングをしていました。
しかしある時、MSX版の「ハイパーオリンピック」を誰かが持ってきて、数名で代わる代わるキーボードを乱暴に叩いていたら、店員のおじさんにいきなり背後からゲンコツされて、それ以来「出禁」になり違う電気屋さんに行くようになりました。
中学生の時はこの近くにあったレンタルレコード屋でYMOのCDを借りてYMO好きになったし、少し大きくなってからはモスバーガーができてよく通いましたし(それ以来30年近く私はずっと「スパモッチー」)、生まれて初めて入った居酒屋も五香にありましたよ。
高校2年の時に、スーパーのバイト仲間たちと来たのですが、当時私はまだビールの味が美味しいとは思えず、生まれて初めて店で飲んだ酒はメロンサワーでした。
今だったら明らかな10代の集団は絶対に店に入れませんよね。
店を出た後、この辺でしゃがんでだべっていたのですが、一緒にいた女の子がしつこく「ホテル行こう?」と誘ってきたのには閉口し、断るのが大変でした。
自宅はここから歩いて20分くらいですから、わざわざホテルに泊まる必要はありませんよね?
「五香十字路」交差点に来ました。
この交差点も良く通りました。
ところが、当時は本日問題としている物体には気づかなかったのです。
ここから少し北に歩いて行くと・・・
あったあ!
これですよ、これ。
これが見たかったのです。
城郭の土塁ではありませんよ。
標柱がありました。
この土塁は、江戸幕府の中野牧の土手の遺構なのです。
総延長150㎞って凄くないですか?
こちらのお宅は土塁に囲まれている!
昔、よく城めぐりをしていたときは、土塁に囲まれたお家に憧れたものです。
歩いてきた道を振り返ります。
ここが現在みられる土手の終着点のようです。
この区間は大体110mくらい。
いやー、凄い・・・
小金牧に関しては、確か小学校4年生の時の郷土史の授業で習ったと思います。
かすかにでも覚えているということは、やっぱり歴史好きになる素養があったのかと思いますが、それ以降は本格的に興味を持つことはなく、今のように遠い場所に住むようになってから興味を持ったというのも皮肉なものですね。
今ではこうして「わざわざ」来るようになってしまったわけです。
さて、ここから北へ行くと、東側に鋭角に土手が曲がっていたようなので、その地点を確認しに行きましょう。
おっと、ここから先は持参した地図にはないエリアだ。
昨夜準備をしていて、印刷した範囲外であることは分かっていたのですが、現地に行けば分かるだろうと思いこのエリアの地図は持ってきていません。
しかしこの油断が良くなかった!
道に迷った!
ここから東方向へのラインはちょうど松戸市と柏市の境界になっており、ちょっと行き過ぎて柏市内に入ってしまいました。
そして松戸市側に戻ろうと思うのですが、よくある罠にはまりました。
ダスキンの時もたまにやられたのですが、市境は道が通じていないことがよくあるのです。
「Dead End」(行き止まり)の連続。
かなり無駄に歩いていようやく修正できましたが、体力も時間もロスしてしまった・・・
おまけに進行方向の空を見ると雨雲が展開しており、かすかに遠雷も聞こえますよ。
まあいいや、歩けるだけ歩こう。
お、土手の続きが現れた!
ここから道路は浅い谷に向かって緩い下り坂になっていますが、土手はそのままの高さで続いています。
土手側の道は繋がっているか分からないので、安パイでこのまま歩きます。
浅い谷を越える途中、また土手が見える地点がありましたよ。
何か標柱がありますね。
今度は何だろう?
木戸遺構だ!
説明を読んでみましょう。
子供の頃、野犬とまではいかなくても野良犬と遭遇すると恐怖したものですが、野馬なんかと遭遇したら怖いでしょうね。
明治以降、小金牧の跡地は東京府などが主催して一大開墾地になったのですが、明治になってだいぶたってからもたまに野馬が目撃されたそうです。
明治の頃は野馬を捕えると賞金をもらえたり、その馬をもらえたりしたそうですが、当たり前ですが野馬は気性が荒いので飼いならすのも相当なテクニックが必要だったようです。
それでは続きを歩きましょう。
説明板が現れました。
プラッツ五香(ショッピングセンター)に到着し、このラインの土手は終わりです。
ここまで来ると昔の我が家は本当に近いのですが、ついでなので子供の頃過ごした場所を散策してみようと思います。
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