⇒前回の記事はこちら
今回催行する茨城の古代史ツアーは古墳三昧なのですが、少しアクセントを付けようと思い、弥生遺跡である泉坂下遺跡もご案内します。
Webを使っての事前調査では、現地には説明板があるだけのようなのですが、それでも現地に行くことによって古墳時代になる前の久慈川流域の空気に触れることができれば、何かしらのインスピレーションを貰えるかもしれません。
そう思いつつ、雷電號を走らせますが、今一遺跡の場所、というか説明板が立っている場所が分かりません。
田んぼの中の一本道で、低速で走りながら周囲を見ていると、遠くに説明板らしきものが見えます。
きっとあれに違いない。
先ほど見た説明板らしきものの方向へ向かっていくと、泉坂下遺跡の幟が道端に点々と現れました。
力入れてるなあ。
遺跡を示す標識もあります。
ところが、それに導かれて舗装されていない道に入っていくと、少しヤバイ雰囲気の道が先に続いています。
まあでも、意外と雷電號はオフロードが平気なので(もちろん限度はあります)突き進みますよ。
よし、説明板発見!
でも車を停める場所がない。
あれだけ道端に幟を立てて誘っておきながら、行った先には駐車スペースもないというのはなかなかシュールですね。
でもおそらくこの道は誰も来ないでしょう。
エンジンをかけたまま説明板を読みに行きます。

なるほどこの地点から段丘方面に遺跡が広がっているんですね。

本当に河岸の低地の遺跡だ。

地形図で確認してみましょう。

段丘方面の景色。


久慈川方面の景色。


なんでこんな何もないところにお客様を連れてくるのかというと、ここではこのような面白い土器が発見されているからです。

これは両国で開催された「発掘された日本列島 2014」で展示されていた「人面付土器」と呼ばれるものです。
左の小さいのが同じ常陸大宮市の小野天神前遺跡から出土したもので、右のは那珂市の海後遺跡から出土したもの、そして中央の堂々としているのが77.7㎝もあるこの地から出た人面付土器なのです。
茨城県などの北関東地方では、縄文時代から再葬墓というものが営まれてきました。
それは、一度埋葬して白骨化したものを再び壺に入れて葬るという風習で、弥生時代中期中葉までこの風習が続き、稀にその壺に人面が付けられることがあるのです。
再葬墓というものは茨城県の弥生時代から古墳時代への移り変わりを知るには外せないものなので、せめてこの有名な人面付土器の故郷をマニアの皆様に見ていただきたいというのが私の想いです。
ところで、ここはバスでは絶対に来れませんね。
当日はどうしようかな・・・
ちょっと考えます。
では、ここから脱出しましょう。
車を転回させるのもちょっと大変そうなので、このまま突き進んでみます。
道はどんどん狭く、そして荒れてきます。
あー、ダメだ。
これ以上行けない!
まあ、遺跡めぐりをしているとたまにこういうことがあるので、慌てず焦らず対処します。
以前、ひたすらバックで脱出したこともありましたが、ここでは何とか転回できそうです。
田んぼに落ちずに無事に脱出。
将来、ポルシェを入手して史跡めぐりをしたいと思っていますが、ああいった車は史跡めぐりには向いていないので、史跡めぐり用には雷電號の方がいいですね。
さて、次は本日の最後の見学地である茨城県立歴史館へ向かいます。
50分ほど巡航し、水戸市内の茨城県立歴史館へやってきました。

本来の入館料は150円ですが、JAF割引が効きましたよ!
やったー、30円引きだ!
それでは常設展示を見てみましょう。
あれれ、ここの展示は写真撮影不可なものばっかりじゃないですか。
一般的には自館収蔵の物は撮影OKなのですが、ここは自館収蔵の物も撮影ダメで、しかもレプリカであってもダメなのです。
あんまりだ。
でも、決まりは決まりですから、仕方がないですね。
古い時代から順に時代を下っていくオーソドックスな展示です。
土偶発見。

県内出土って・・・
あんまりだ。
お、縄文時代の人骨。

うーん、思っていたより考古関係が薄い・・・
舟塚古墳のジオラマ。

舟塚古墳出土の埴輪は撮影OKですね。

条数が多い円筒埴輪と朝顔形埴輪だ。


盾持ち埴輪。

力士もいますねえ。

しかし、単に「舟塚古墳」と言われても、同じ通称の古墳は複数あるので小美玉市の舟塚古墳であることを展示に明示して欲しいですね。
展示は律令時代から中世へと移り変わっていきますが、何としたことか!
茨城なのに平将門関連の展示がほとんどないではないか!
やはり、将門は逆賊とされているので、県立の場合はお上の顔色を窺って将門の展示ができないのでしょうか。
とても悲しいことです。
スミマセン、機嫌が悪いわけではないのですが、なんかここではネガティヴ・コメントばかりですね。

中世の頃の霞ケ浦周辺の地形。

香取海が広がっています。
古代の頃もだいたいこんな感じだと思いますが、もう少し海に近い場所の土の堆積が少なく、内海が広かったと思います。
さすが、水戸だけあって水戸藩の展示は豊富ですね。

水戸黄門が編纂を命令した大日本史がある!

いいねえ。

私は博物館を評価できるほど偉い人ではありませんが、古代史好きとしては物足りない博物館でした。
でもそれは博物館が悪いわけではなく、博物館のターゲットとする客層と私の趣味が合わないだけですよ。
戦国時代や近世・幕末の展示は比較的豊富なので、そういったものが好きな方には楽しめる場所だと思います。
というわけで、意外と時間を使わなかったので16時に本日の探訪が終了してしまいました。
博物館の見学のために取っておいた時間が丸々1時間空いてしまったわけです。
でも今日も沢山動いたのでこの辺で探訪を終わらせてホテルへ向かおうと思います。
なお、こちらの茨城県立歴史館はツアーには入れていませんよ。
さて、本日の宿泊地は水戸です。
一人で旅をするときは東横インに泊まることにしているのですが、東横インは全国各地にありますし、値段も安いし、10回泊まると1回無料で泊まれるので、今はそのポイントを貯めているところです。
どこへ行っても同じ室内。


歴史中心で活動していますので余計な費用はかけたくないですし、現在の私の所得では十分に贅沢なホテルです。
さて、夕飯でも買ってきますか。
初めての水戸駅。
こちらは南口。

那珂川支流の桜川。


北口へも行って見ます。

北口には水戸城跡が展開しているんでね。
なるほど少し地形が高くなっています。
少しの間散歩し、コンビニでビールと少々の食べ物を買ってホテルへ戻ります。
節約、節約。
というわけで、楽しい一日でした。
明日もツアーの下見の続きをしますよ。
⇒この続きはこちら
今回催行する茨城の古代史ツアーは古墳三昧なのですが、少しアクセントを付けようと思い、弥生遺跡である泉坂下遺跡もご案内します。
Webを使っての事前調査では、現地には説明板があるだけのようなのですが、それでも現地に行くことによって古墳時代になる前の久慈川流域の空気に触れることができれば、何かしらのインスピレーションを貰えるかもしれません。
そう思いつつ、雷電號を走らせますが、今一遺跡の場所、というか説明板が立っている場所が分かりません。
田んぼの中の一本道で、低速で走りながら周囲を見ていると、遠くに説明板らしきものが見えます。
きっとあれに違いない。
先ほど見た説明板らしきものの方向へ向かっていくと、泉坂下遺跡の幟が道端に点々と現れました。
力入れてるなあ。
遺跡を示す標識もあります。
ところが、それに導かれて舗装されていない道に入っていくと、少しヤバイ雰囲気の道が先に続いています。
まあでも、意外と雷電號はオフロードが平気なので(もちろん限度はあります)突き進みますよ。
よし、説明板発見!
でも車を停める場所がない。
あれだけ道端に幟を立てて誘っておきながら、行った先には駐車スペースもないというのはなかなかシュールですね。
でもおそらくこの道は誰も来ないでしょう。
エンジンをかけたまま説明板を読みに行きます。

なるほどこの地点から段丘方面に遺跡が広がっているんですね。

本当に河岸の低地の遺跡だ。

地形図で確認してみましょう。

段丘方面の景色。


久慈川方面の景色。


なんでこんな何もないところにお客様を連れてくるのかというと、ここではこのような面白い土器が発見されているからです。

これは両国で開催された「発掘された日本列島 2014」で展示されていた「人面付土器」と呼ばれるものです。
左の小さいのが同じ常陸大宮市の小野天神前遺跡から出土したもので、右のは那珂市の海後遺跡から出土したもの、そして中央の堂々としているのが77.7㎝もあるこの地から出た人面付土器なのです。
茨城県などの北関東地方では、縄文時代から再葬墓というものが営まれてきました。
それは、一度埋葬して白骨化したものを再び壺に入れて葬るという風習で、弥生時代中期中葉までこの風習が続き、稀にその壺に人面が付けられることがあるのです。
再葬墓というものは茨城県の弥生時代から古墳時代への移り変わりを知るには外せないものなので、せめてこの有名な人面付土器の故郷をマニアの皆様に見ていただきたいというのが私の想いです。
ところで、ここはバスでは絶対に来れませんね。
当日はどうしようかな・・・
ちょっと考えます。
では、ここから脱出しましょう。
車を転回させるのもちょっと大変そうなので、このまま突き進んでみます。
道はどんどん狭く、そして荒れてきます。
あー、ダメだ。
これ以上行けない!
まあ、遺跡めぐりをしているとたまにこういうことがあるので、慌てず焦らず対処します。
以前、ひたすらバックで脱出したこともありましたが、ここでは何とか転回できそうです。
田んぼに落ちずに無事に脱出。
将来、ポルシェを入手して史跡めぐりをしたいと思っていますが、ああいった車は史跡めぐりには向いていないので、史跡めぐり用には雷電號の方がいいですね。
さて、次は本日の最後の見学地である茨城県立歴史館へ向かいます。
50分ほど巡航し、水戸市内の茨城県立歴史館へやってきました。

本来の入館料は150円ですが、JAF割引が効きましたよ!
やったー、30円引きだ!
それでは常設展示を見てみましょう。
あれれ、ここの展示は写真撮影不可なものばっかりじゃないですか。
一般的には自館収蔵の物は撮影OKなのですが、ここは自館収蔵の物も撮影ダメで、しかもレプリカであってもダメなのです。
あんまりだ。
でも、決まりは決まりですから、仕方がないですね。
古い時代から順に時代を下っていくオーソドックスな展示です。
土偶発見。

県内出土って・・・
あんまりだ。
お、縄文時代の人骨。

うーん、思っていたより考古関係が薄い・・・
舟塚古墳のジオラマ。

舟塚古墳出土の埴輪は撮影OKですね。

条数が多い円筒埴輪と朝顔形埴輪だ。


盾持ち埴輪。

力士もいますねえ。

しかし、単に「舟塚古墳」と言われても、同じ通称の古墳は複数あるので小美玉市の舟塚古墳であることを展示に明示して欲しいですね。
展示は律令時代から中世へと移り変わっていきますが、何としたことか!
茨城なのに平将門関連の展示がほとんどないではないか!
やはり、将門は逆賊とされているので、県立の場合はお上の顔色を窺って将門の展示ができないのでしょうか。
とても悲しいことです。
スミマセン、機嫌が悪いわけではないのですが、なんかここではネガティヴ・コメントばかりですね。

中世の頃の霞ケ浦周辺の地形。

香取海が広がっています。
古代の頃もだいたいこんな感じだと思いますが、もう少し海に近い場所の土の堆積が少なく、内海が広かったと思います。
さすが、水戸だけあって水戸藩の展示は豊富ですね。

水戸黄門が編纂を命令した大日本史がある!

いいねえ。

私は博物館を評価できるほど偉い人ではありませんが、古代史好きとしては物足りない博物館でした。
でもそれは博物館が悪いわけではなく、博物館のターゲットとする客層と私の趣味が合わないだけですよ。
戦国時代や近世・幕末の展示は比較的豊富なので、そういったものが好きな方には楽しめる場所だと思います。
というわけで、意外と時間を使わなかったので16時に本日の探訪が終了してしまいました。
博物館の見学のために取っておいた時間が丸々1時間空いてしまったわけです。
でも今日も沢山動いたのでこの辺で探訪を終わらせてホテルへ向かおうと思います。
なお、こちらの茨城県立歴史館はツアーには入れていませんよ。
さて、本日の宿泊地は水戸です。
一人で旅をするときは東横インに泊まることにしているのですが、東横インは全国各地にありますし、値段も安いし、10回泊まると1回無料で泊まれるので、今はそのポイントを貯めているところです。
どこへ行っても同じ室内。


歴史中心で活動していますので余計な費用はかけたくないですし、現在の私の所得では十分に贅沢なホテルです。
さて、夕飯でも買ってきますか。
初めての水戸駅。
こちらは南口。

那珂川支流の桜川。


北口へも行って見ます。

北口には水戸城跡が展開しているんでね。
なるほど少し地形が高くなっています。
少しの間散歩し、コンビニでビールと少々の食べ物を買ってホテルへ戻ります。
節約、節約。
というわけで、楽しい一日でした。
明日もツアーの下見の続きをしますよ。
⇒この続きはこちら