日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

牛塚古墳/的場古墳群|埼玉県川越市 ~在地首長の墓を後に渡来系の有力者が再利用したか~

2020-08-28 14:42:33 | 歴史探訪


 

 牛塚古墳は墳丘長47mの川越市で最も大きな古墳で、国内で数例しかない金銅製指輪が出土した古墳です。

到達容易
墳丘登頂可能
説明板あり

お勧め度:

 *** 本ページの目次 *** 

1.基本情報
2.諸元
3.探訪レポート
4.補足
5.参考資料

 

1.基本情報                           


所在地


埼玉県川越市的場2473



現況


墳丘登頂可能

史跡指定


川越市指定史跡

出土遺物が見られる場所



 

2.諸元                             


築造時期


前方後円墳集成編年:10期

墳丘


形状:前方後円墳
墳丘長:47m、後円部径27m、高3.25m、前方部幅27m、高3.7m
段築:前方部・後方部ともに2段
葺石:
埴輪:

主体部


左片袖型横穴式石室

出土遺物



周堀


幅6.7m

 

3.探訪レポート                         


2016年10月10日(土)



この日の探訪箇所
山王塚古墳 → 尾崎神社 → 東山道武蔵路跡(JR的場駅近辺) → 河越館跡 → 上戸日枝神社 → 浅間宮の謎の塚 → 牛塚古墳 → 川越市立博物館 → 川越城跡 → 喜多院多宝塔古墳


 ⇒前回の記事はこちら

 謎の塚を見た後は、牛塚古墳へ向かいます。

 住宅街の道路を歩きながら墳丘を探していると、遠くにそれらしきものが見えました。



 あれに違いない。



 回り道をして近接を試みます。

 これだ!



 でも、墳丘には登れないようになっていますよ。

 整備中なんですね。



 仕方ないです。

 古ぼけた説明板があります。



 牛塚古墳は、全長42mの前方後円墳で、川越地方では最大の前方後円墳ということです。

 築造時期は7世紀初頭。

 出土した金銅製の指輪というのが気になりますね。

 牛塚と上戸日枝神社との関係は、上戸日枝神社のページで述べた通りです。



 ※現在は完全に住宅街に囲まれていますが、このあと訪れた川越市立博物館に昔の写真がありました。


※以上2枚、同日に川越市立博物館にて撮影

 整備が済んだらまた来たいな。



 また来るよ。

 ⇒この続きはこちら

 

4.補足                             


2020年4月11日


 2019年4月10日に開催された山王塚のシンポジウムの際に購入した、『第46回企画展 山王塚古墳 上円下方墳の謎に迫る』(川越市立博物館/編)に牛塚古墳のことが少し紹介されていました。

 まずは墳丘図です。


※『第46回企画展 山王塚古墳 上円下方墳の謎に迫る』(川越市立博物館/編)より転載

 該書によると、墳丘長はいまは47mとされています。

 横穴式石室は、河原石積みの両袖式ですが、面白いことに追葬したときに床面を造り変えして、そのときに片袖にしてしまったそうです。

 築造時期に関しては、従来は7世紀初頭と言われていましたが、当初は在地首長によって6世紀末頃に築造されたのが、7世紀初頭に渡来系氏族が石室を造り変え、例の金銅製指輪はそのときに副葬されたと考えられるということです。

 その例の指輪ですが、どんなものか見てみたいと思っていたら写真を見つけました。


※『第46回企画展 山王塚古墳 上円下方墳の謎に迫る』(川越市立博物館/編)より転載

 沖ノ島7号遺跡といっているのは、宗像大社沖津宮がある沖ノ島のことで、そこで見つかった8万点の遺物は一括して国宝に指定され、宗像大社の神宝館に展示してあります。

 なお、沖ノ島の指輪は金銅製ではなく、ほぼ純金ですよ。

 宗像には歴史の仕事で十数度行っており、その金製指輪もよく見ているのですが、残念なことに写真撮影がダメなんですよね。

 ですから、書籍の写真を転載させていただきます。


※『古代祭祀とシルクロードの終着地 沖ノ島』(弓場紀知/著)より転載

 なんか話がずれちゃっていますが、これも素晴らしいのでぜひ宗像に行って見てみてくださいね。

 行くのなら、秋の「みあれ祭」の時期がお勧めです!

 

5.参考資料                           


・『埼玉の古墳 北足立・入間』 塩野博/著



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