日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

毛呂山町歴史民俗資料館|埼玉県毛呂山町 ~周辺の史跡を散策する際の拠点となる~ 【歴史を歩こう協会 第2回歩く日 その5】

2019-04-18 10:55:19 | 歴史探訪
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 14時少し前、本日最後の探訪地に到着しました。

 毛呂山町歴史民俗資料館です。



 経験上、こういった町の郷土資料館がとても面白いことが多いので期待できますが、まずは屋外の展示から見てみましょう。

 古墳がありますよ。



 この近辺は実は古墳ゾーンで、詳しくは資料館に展示があると思いますが、こちらは西戸(さいど)2号墳の石室を移築したものです。



 見ての通り、墳丘の一部を復元しつつ、墳丘の中の土の盛り方がイメージできるように断面を表示していますね。

 この地域にはまだ版築工法は入ってきておらず、昔ながらの盛り方をしているようです。

 横穴式石室は見事な切石積ですね。



 この石碑は何でしょうか?



 元々は西戸2号墳の墳頂に立てられていたんですね。



 こういった石碑も貴重なものです。

 それでは、館内に入りましょう。

 エントランスには有料頒布の資料がいくつか並んでいますが、今日は我慢。

 展示は古い時代順から見るオーソドックスなタイプですが、特に良いものは目立つように配置していますね。

 やはり、武蔵と言えば板碑。





 こちらは白綾遺跡から出土した縄文時代中期の加曾利E式土器です。



 シンプルなデザインの優品ですね。

 箱式石棺墓の蓋が並んでいます。



 箱式石棺墓というのは、北部九州では弥生時代には見られるようになりますが、その名前の通り、板状の石で箱の形に組んだ棺です。

 だいぶ傷んでいますが、この近くには古墳がたくさんあり、どうやら墓制もバラエティーに富んでいるようなのです。



 今日はこれから資料館近くの川角古墳群を散策したあと、大類古墳群も行けたら行こうと思っています。

 上の図で見ると分かる通り、本来大類古墳群と坂戸市の塚原古墳群は一つの古墳群ですので、遺跡のネーミングには小字を付けるというルールに則れば、大類・塚原古墳群と呼んだほうがいいかもしれませんが、そろぞれ自治体が違うのでそう簡単に行きません。

 なので、苦林古墳群という総称で呼んでいるようです。



 円筒埴輪も出ていますね。



 つづいて、中世の展示はパネル展示がとくに参考になります。

 ザ・武蔵武士!



 私が住んでいる八王子市周辺は横山党や西党が多いですが、この辺の毛呂氏は「その他」に分類されていますね。

 午前中に探訪した日高市の高麗氏は丹党となっていますが、それは元々いた渡来系の高麗氏とは別系統の武士です。

 鎌倉街道は今日の探訪の最初にも現れましたが、そこに続いている別の場所をこれから歩きますよ。





 おっと、また巨大な板碑が!



 でもこれはレプリカで、どうやら本物はまだ現地に立っているようですよ。

 後で行って見ましょう。



 ところで、私たちの集まりの特徴は、こういった場所に来ると結構長居することです。

 皆さん好奇心が旺盛なので、じっくり見ちゃうんですよね。

 でも、この後歩く時間が欲しいので45分で切り上げます。

 さて、これから少しの間、資料館近辺の史跡めぐりをしますよ。

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