*** 本ページの目次 *** 1.基本情報 2.諸元 3.探訪レポート 4.補足 5.参考資料 |
1.基本情報
所在地
奈良県奈良市油阪町
現況
皇陵
史跡指定
出土遺物が見られる場所
2.諸元
築造時期
前方後円墳集成編年:不詳
西側外堤付近で得られた円筒埴輪によると中期前半
墳丘
形状:前方後円墳
墳丘長:105m
段築:
葺石:
埴輪:あり
主体部
竪穴系のはず
出土遺物
円筒埴輪
周濠
形状:盾形
3.探訪レポート
2019年1月3日(木)
⇒前回の記事はこちら
率川神社では開化天皇の宮殿の形跡を見ることはできませんでしたが、つづいて開化天皇の陵(みささぎ)とされている念仏寺山古墳へ行ってみます。
観光案内図か・・・
こういう一般的な地図に載っている有名なお寺なんかにもいずれは参拝してみたいですねえ。
正月3日の朝の市街地にはあまり人影を見ません。
おっと、危うく見過ごすところだった。
天皇陵なので宮内庁の制札もちゃんとありますね。
拝所のある前方部へ向かって参道を進んでいきます。
拝所。
こちらが開化天皇の陵とされる念仏寺山古墳で、『日本書紀』では、春日率川坂上陵(かすがのいざかわのさかのえのみささぎ)と記され、『古事記』では「伊邪河之坂上」と表記されています。
陵墓なので詳しいことは分かりませんが、江戸期には念仏寺の墓域としてかなり墳丘の改変を受けたようで、現在の形状は段築が分からないほどかなりガタガタになっているそうです。
また、現在はまったく見られませんが、この周辺にもたくさんの古墳があったようで、平城京が造られたときにかなりの数が削平されてしまいました。
この辺を歩いていても全然感じないのですが、念仏寺山古墳の周囲は微妙に丘の上になっています。
ですから、古墳を築造する際は元々丘があった場所をわざと選地して、地山を利用して築造したのではないかと私は考えます。
なお、念仏寺山古墳は西側の外堤で採取された円筒埴輪片から5世紀前半の築造と考えられており、開化天皇が実在としても全然時代は合わないですね。
この礎石っぽい石は何だろう?
ところで、開化天皇は第9代の天皇で、いわゆる「欠史八代」の最後の天皇です。
多くの研究者が神武や欠史八代の天皇を非実在の天皇として考えているのですが、私は実在したと考えています。
欠史八代が非実在と考える人はその根拠として、日本書紀に彼らの事跡が記載されていないことを挙げますが、確かに政治的な活動やその人生を語るような記載はほぼありませんが、本人の名前(本名)、皇后の名前、系譜関係、宮殿の名称、陵の名称等々、こんなに情報がたくさん書かれているのに何故それを無視するのでしょうか。
完全に思考停止ですね。
架空の天皇を造るにしても、神武から欠史八代までのあれだけ広範な系譜関係を創作するのは大変なことですよ。
まあ、実際のところ、真実の歴史は誰にも分からないので、私は他人の説を批判することもほとんどなくて、人それぞれでいいと思っていますし、私も「稲用の古代史」を心の中に持っており、他人の説を批判している暇が有ったら自分の研究に専念した方がいいと考えています。
それではさらに西へ向かいますよ。
長屋王の邸宅跡を見てみたい!
⇒この続きはこちら
4.補足
2020年7月26日
『天皇陵古墳を歩く』を元に念仏寺山古墳の状況をまとめます。
上述した通り、現在の墳丘はかなりガタガタなようなのですが、文久3年(1863)10月から翌年3月にかけて陵の修復を行っており、そのときに墳丘を成形したのが現在みられる墳丘の姿に近いものです。
1976年に宮内庁が西側外堤を調査したところ、現在の外堤は中・近世の土器が混ざる土砂を使って構築していることが分かったため、文久3年の修陵によって構築されたとみてよく、その下は元々は周濠であり、本来の周濠はさらに外側まで広がっていました。
この調査の時に円筒埴輪が見つかり、その埴輪は古墳時代中期前半(5世紀前半)の特徴があることから、念仏寺山古墳の築造年代は上述した通り、5世紀前半と考えられるわけです。
なお、念仏寺山古墳の南東300mの位置には、古墳時代後期の率川古墳が埋没しているのが見つかりましたが、平城京建設の際に墳丘が削られた可能性があります。
平城京建設の際にはかなりの数の古墳が破壊されたと考えられていますが、念仏寺山古墳は破壊を免れました。
破壊されなかった理由は、単純に地形的に見て丘の上にあったからかもしれませんが、8世紀初頭の貴族たちがこの古墳に対して畏敬の念を持っており、特別な古墳であるという認識があったからかもしれません。
なお、既述した通り、私は念仏寺山古墳を開化天皇の陵とは考えていません。
では開化がどこに葬られたかというと、開化天皇が崩じた頃はちょうど箸墓古墳が造られ始めたころですので箸墓と同時期の古墳ではないかと考えていますが、現在のところ墓の特定まで考察は進んでいません。
5.参考資料
・『天皇陵古墳を歩く』 今尾文昭/著 2018年