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今日は朝からこちらへやってきて、とうかん山古墳、甲山古墳、雷電山古墳、そして野本将軍塚古墳を見ました。
ここでお昼休憩を取ります。
ランチはさきほどの移動中に気づいた味噌ラーメンの専門店らしき店に行きたいと思います。
店に着くと、まだ満席にはなっておらず、私たち4名はすんなりと席に着くことができました。
メニューを見ると、結構ヴォリュームがあって美味しそうなラーメンが並んでいます。
おっと、全員違うラーメンをチョイスだ!
少し待ってラーメンがやってきました!
お、美味そう!
ちょっと辛めのスープで美味しい。
豚バラ肉にも味が付いていて凝っていますし、意外にも生玉ねぎのザクギリが合います。
私は八王子ラーメンも好きなのでラーメンに刻み玉ねぎが合うことは知っているのですが、味噌にも合うんですねえ。
お口の中が玉ねぎチックになりますが、それはトレードオフとして我慢しましょう。
最近はラーメン屋の新規開拓をほとんどしないのですが、これは今年初のヒットです。
全員とも「美味い!」と感想を述べたので、この店は間違いないですよ。
また近くに来ることがあったら寄りたい。
食べているうちにみるみるお客さんが増え、私たちが出るときには待ちの人たちがたくさんいました。
そしてオマケに小ちゃいアイスも。
パッケージはアンパンマンだぜ!
こういう心遣いも嬉しいですね。
さて、お腹一杯幸せ気分になったので、午後の探訪を開始しますよ。
午後の一発目の古墳は、実は事前調査でもよく場所が分からなかったのです。
とりあえず、吉祥寺というお寺さんを目指します。
到着。
さて、古墳はどこにあるのだろう?
周辺を少しウロウロしたら、ようやくそれらしきものを見つけました。
あれだろう。
お、墳丘だ!
見つけました。
根岸稲荷神社古墳です。
でもここは説明板などはないですよ。
古墳の横には新江川(しんえがわ)が流れています。
墳頂にはお稲荷さんがいます。
低い墳丘の方墳のように見えますが、一応この古墳は墳丘長20mの前方後方墳なのです。
前方部は参道の方向かな?
まず、この場所には非常に来づらくて、ここに来る人は少ないと思いますし、来てもこれが古墳だとは思わないでしょう。
ところがこの古墳が歴史上、非常に重要な古墳なのです。
何と、この根岸稲荷神社古墳は、埼玉県で最古の古墳かもしれないのです!
関東の出現期古墳の出土品を見ると、在地系の土器より濃尾や畿内などの影響の強い外来系の土器の方が多く目につくのですが、この古墳からは珍しく在地の吉ヶ谷式の系譜に連なる壺が出ています。
築造時期は、卑弥呼がまだ活躍していた3世紀前半の可能性があります。
ところで、根岸稲荷神社古墳の近くには多くの古墳があるのですが、この古墳のみ新江川の右岸にあり、おかしいなあと思いました。
この川は市野川に合流するのですが、この地点の流れに関しては丘陵の先端近くを無理やり突破しているので、少なくともこの近くの流れに関しては自然の流れとは思えません。
さて、個人的には今日の探訪はこの根岸稲荷神社古墳と雷電山古墳がもっとも関心がありました。
関東の最古級の古墳の中でもこの根岸稲荷神社古墳はちょっと雰囲気が違うような気がするので、今後も調査を続行しようと思います。
では、このあともマイナーな古墳を探訪しますよ。
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今日は朝からこちらへやってきて、とうかん山古墳、甲山古墳、雷電山古墳、そして野本将軍塚古墳を見ました。
ここでお昼休憩を取ります。
ランチはさきほどの移動中に気づいた味噌ラーメンの専門店らしき店に行きたいと思います。
店に着くと、まだ満席にはなっておらず、私たち4名はすんなりと席に着くことができました。
メニューを見ると、結構ヴォリュームがあって美味しそうなラーメンが並んでいます。
おっと、全員違うラーメンをチョイスだ!
少し待ってラーメンがやってきました!
お、美味そう!
ちょっと辛めのスープで美味しい。
豚バラ肉にも味が付いていて凝っていますし、意外にも生玉ねぎのザクギリが合います。
私は八王子ラーメンも好きなのでラーメンに刻み玉ねぎが合うことは知っているのですが、味噌にも合うんですねえ。
お口の中が玉ねぎチックになりますが、それはトレードオフとして我慢しましょう。
最近はラーメン屋の新規開拓をほとんどしないのですが、これは今年初のヒットです。
全員とも「美味い!」と感想を述べたので、この店は間違いないですよ。
また近くに来ることがあったら寄りたい。
食べているうちにみるみるお客さんが増え、私たちが出るときには待ちの人たちがたくさんいました。
そしてオマケに小ちゃいアイスも。
パッケージはアンパンマンだぜ!
こういう心遣いも嬉しいですね。
さて、お腹一杯幸せ気分になったので、午後の探訪を開始しますよ。
午後の一発目の古墳は、実は事前調査でもよく場所が分からなかったのです。
とりあえず、吉祥寺というお寺さんを目指します。
到着。
さて、古墳はどこにあるのだろう?
周辺を少しウロウロしたら、ようやくそれらしきものを見つけました。
あれだろう。
お、墳丘だ!
見つけました。
根岸稲荷神社古墳です。
でもここは説明板などはないですよ。
古墳の横には新江川(しんえがわ)が流れています。
墳頂にはお稲荷さんがいます。
低い墳丘の方墳のように見えますが、一応この古墳は墳丘長20mの前方後方墳なのです。
前方部は参道の方向かな?
まず、この場所には非常に来づらくて、ここに来る人は少ないと思いますし、来てもこれが古墳だとは思わないでしょう。
ところがこの古墳が歴史上、非常に重要な古墳なのです。
何と、この根岸稲荷神社古墳は、埼玉県で最古の古墳かもしれないのです!
関東の出現期古墳の出土品を見ると、在地系の土器より濃尾や畿内などの影響の強い外来系の土器の方が多く目につくのですが、この古墳からは珍しく在地の吉ヶ谷式の系譜に連なる壺が出ています。
築造時期は、卑弥呼がまだ活躍していた3世紀前半の可能性があります。
※補足 この日の探訪の帰り道、朝霞市博物館に立ち寄り、第34回企画展「朝霞から見る古墳の出現」の展示図録を購入しました。 それによると、根岸稲荷神社古墳の墳丘の大きさは、一辺20mの方丘部に長さ5mの前方部がくっついており、前方部の方向は探訪時に私が推測した参道側(南側)ではなく、約90度違って東側でした。 |
ところで、根岸稲荷神社古墳の近くには多くの古墳があるのですが、この古墳のみ新江川の右岸にあり、おかしいなあと思いました。
この川は市野川に合流するのですが、この地点の流れに関しては丘陵の先端近くを無理やり突破しているので、少なくともこの近くの流れに関しては自然の流れとは思えません。
※補足 帰宅後、根岸稲荷神社古墳周辺の地形を調べてみました。 まず、これが現在の地形図です。 根岸稲荷神社古墳は丘陵の先端部分にありますが、古墳のすぐ西側を流れる新江川が丘陵をぶった切っており、明らかに自然ではありません。 上の現地の写真を見てもわかる通り、人工水路的な佇まいを見せています。 新江川と市野川の合流地点が「T字」になっており、これは明らかに人工です。 現在の地形の様子を分かりやすくするとこうなります。 そして、明治40年の測図を見ると、新江川は丘陵先端をぶった切っていません。 これで古墳の西側部分は近代になってからの人口流路だということが分かりました。 ただ、なぜ丘陵の裾を迂回させず、わざわざ面倒そうな開削工事をしたのでしょうか。 おそらくこうした方が水の流れを制御しやすいからだと思いますが、この理由は治水や土木の専門家の方なら分かるかもしれませんね。 ご存じの方がいらっしゃったらご教示ください。 |
さて、個人的には今日の探訪はこの根岸稲荷神社古墳と雷電山古墳がもっとも関心がありました。
関東の最古級の古墳の中でもこの根岸稲荷神社古墳はちょっと雰囲気が違うような気がするので、今後も調査を続行しようと思います。
では、このあともマイナーな古墳を探訪しますよ。
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