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つづいて根岸裏4号墳を目指します。
実はさきほど通りかかったときに皆の目にとまったちょっと大きめの墳丘がそれであります。
近接して邪魔にならない場所に車を停めます。
あ、あれも古墳じゃない?
では、4号墳へ。
これです。
さきほど車窓から見えたときも結構立派な墳丘だと思いましたが、『埼玉の古墳 比企・秩父』(塩野博/著)によると、径は東西が29.5m、南北が31mを測る円墳で、築造時期は6世紀前半としています。
なお、同書では調査の結果わかった周溝跡から、前方後円形であることを示唆しており興味深いです。
墳丘に登ってみましょう。
ここも甲山古墳のようにテラス部分がありますよ。
墳頂から国道側の眺め。
しかし、古墳にしてはやけに土が柔らかく、足がズボッと埋まってしまう場所もあります。
でも、ちゃんと古墳であることは証明されていますからご安心ください。
もしかしたら所有者の方が形状を分かりやすくするために土を盛って復元してくださったのでしょうか。
ではつづいて、さきほど案内標識が見えた、おくま山古墳へ行ってみましょう。
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つづいて根岸裏4号墳を目指します。
実はさきほど通りかかったときに皆の目にとまったちょっと大きめの墳丘がそれであります。
近接して邪魔にならない場所に車を停めます。
あ、あれも古墳じゃない?
※補足 帰宅後、『埼玉の古墳 比企・秩父』(塩野博/著)で確認したところ、上の墳丘は根岸裏14号墳の残存で、同書には現存する墳丘の規模は、長径約20m、短径約18m、高さ約3mを測り、比較的形状をよくとどめた円墳とあります。 20mもあるようには見えなかったのですが、発掘調査の結果、14号墳の周溝は4号墳の周溝にぶつかっており、全周はしていないことが分かっています。 なお、築造時期は7世紀中葉から後葉ということで、終末期古墳になりますね。 |
では、4号墳へ。
これです。
さきほど車窓から見えたときも結構立派な墳丘だと思いましたが、『埼玉の古墳 比企・秩父』(塩野博/著)によると、径は東西が29.5m、南北が31mを測る円墳で、築造時期は6世紀前半としています。
なお、同書では調査の結果わかった周溝跡から、前方後円形であることを示唆しており興味深いです。
墳丘に登ってみましょう。
ここも甲山古墳のようにテラス部分がありますよ。
墳頂から国道側の眺め。
しかし、古墳にしてはやけに土が柔らかく、足がズボッと埋まってしまう場所もあります。
でも、ちゃんと古墳であることは証明されていますからご安心ください。
もしかしたら所有者の方が形状を分かりやすくするために土を盛って復元してくださったのでしょうか。
ではつづいて、さきほど案内標識が見えた、おくま山古墳へ行ってみましょう。
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