日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

下総国分尼寺跡|千葉県市川市 ~さりげなく住宅地に溶け込んだ説明の要点の押さえられた遺跡~ 【市川の古代遺跡と松戸・鎌ヶ谷の小金牧跡探訪⑤】

2020-05-31 20:03:20 | 歴史探訪
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 里見公園を出て下総国分尼寺跡へ向かいます。

 国分寺と国分尼寺は国府とは谷を挟んだ東側に造られました。

 国府台病院の裏側まで来て、国分寺跡がある丘を望みます。



 坂道を下り、谷底まで来ました。

 谷底と言っても周辺は完全に住宅地化されていますよ。

 お地蔵さんもマスク。



 お地蔵さんがコロナにかかったら、56億7千万年後に弥勒菩薩が現れるまで地球は悪の手におちてしまうから身体を大事になさってください。

 ところで、全然関係ないですが、地球の寿命が56億7千万年後という説があるようですが、それが本当だとしたら何で昔の人がそれに合わせたように弥勒菩薩の降臨を考えたのでしょうか?

 降りてきた国府側の丘を振り返ります。



 降りてきたって、弥勒菩薩はまだ降りてきませんよ。

 あらかじめ用意しておいた地図を見ながら歩いて行くと広場が現れました。



 ここですね。

 下総国分尼寺跡に到着しました。

 分かりにくいですが、わずかな段差があり、金堂の基壇跡を示しています。



 立派な石碑がありますよ。



 金堂跡の北側には講堂跡。



 講堂跡は道路が分断しています。

 講堂跡から金堂跡を見ます。



 講堂跡の道路の反対側部分には礎石とおもわれる石が置かれています。



 これらは礎石かな?







 ここが講堂跡ということは、パターン的にはさらに北側には尼さんたちが宿泊した尼坊があったはずですが、そちらの方はもう公園の敷地ではありません。

 私が公園内に入ってきたのは脇からだったようで、違う出入り口に説明板がありました。





 中門や南門の位置も今はガッツリ住宅ですよ。

 とくだん豪華な整備がされているわけでもないですが、サラッとさりげない感じでありながら、きちんと要点が抑えられた好感の持てる公園です。

 いいですねえ。

 それでは次は僧寺跡へ行って見ますよ。

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