昨日の土曜日(2018年11月17日)は、西新宿のクラブツーリズムにて講座を3本やらせていただきました。
今回は毎月やっている連載講座で、東北の古代史・中世史講座の第11回および日本書紀講座と関東の古代史講座のそれぞれ第2回です。
東北は19名様、日本書紀は29名様、関東は18名様のご参加をいただきました。
皆様、いつもありがとうございます!
これと同じ内容は、今週の水曜日(21日)にもやりますよ。
先月から1日に90分の講座を3本やる日を設けているのですが、それだけ喋っても喉の方はとくに問題ないことが分かりました。
たまに趣味のカラオケにも行っていますし、子供のころは母親に「口から先に生まれてきた」と言われていたくらいなので何とか大丈夫そうです。
ちなみに、クラツーの隣のビルの地下(一風堂とかカレー屋さんとかある場所)の中華屋さんの味噌ラーメン、美味いですよ。
新宿なのに690円!
美味しいのに店の名前を憶えていなくてスミマセン・・・
さて、前回の記事でお伝えした通り、11日(日)は久しぶりに東国を歩く会で「歩く日」を開催しました。
その内容も引き続きアップしたいのですが、7日(水)には雷電號を駆って信州と甲州の史跡を見てきたので、本日はその時の様子を簡単にお伝えします。
歴史探訪に行くときは早朝に出発するに限ります。
ただ、あまりにも早く家を出ても、現地に到着する時刻が早すぎると、それはそれで史跡が見れなかったり、博物館がまだ開館していなかったりで都合が悪いので、私の場合は朝の最初の移動で目的地域の一番遠くまで行ってしまうことにしています。
そして後は家に向かって戻りつつ、探訪をするという感じです。
今回の旅の本来の目的は来月催行する甲州の古代史ツアーの下見ですが、ついでなので信州も見てこようと思います。
雷電號があれば信州へ行くくらいチョロい。
まずは長野市内にある前方後方墳の姫塚古墳へ行ってみますよ。
5時半に出陣。
長野へは中央道経由ではなく関越道経由で行きます。
高尾山ICから圏央道へ入り、鶴ヶ島JCTから関越道というよく走るコース。
しばらく北上し、藤岡JCTから上信越道へ。
そういえば、一昨年の4月にクラツーと契約した後、ツアーの仕事の研修のために長野へ行ったときにこの道を走りました。
今思えば、あの当時からツアーの仕事をきちんとできる自信がありましたな。
私は「根拠のない自信ドリヴン」といって、何かをするときに「根拠のない自信」によって駆動することが多いのです。
たまに失敗しますが・・・
結婚とか・・・
それはさておき、本質的には「サーヴィス業」であることを忘れないように仕事をしています。
お客様に喜んでいただくために、クラツーでは「歴史」をサーヴィスとして提供し、ダスキンでは「掃除」をサーヴィスとして提供しているわけで、物事の本質は変わりません。
いかにお客様に喜んでいただくか、という視点で今日も面白スポットを探してきますよ。
・・・そろそろトイレ行きたい。
軽井沢を越えた先の佐久平PAで休憩です。
ここまで1時間半かかりました。
再度出発!
上田を通過。
上田は会ったことのない父方の祖母の故郷です。
更埴JCTから長野自動車道に入ったと思ったら、更埴ICですぐに降り、カーナヴィに脳内を支配されつつ古墳の近くまでやってきました。
実は今日はほぼ下調べ無しで来ました。
仕事のときはもちろんきちんと調べていきますが、こういった趣味に近い探訪の場合は、結構下調べ無しで来ることが多いです。
その方が現地での発見がより刺激的になって探訪が楽しくなるからです。
最初の目的地である姫塚古墳に近づくと、古墳は山の上にあることを知りました。
こんなことさえまったく調べずに来てしまったのです。
山を少し登っていくと駐車場がありました。
ここからもまだ上に道が続いていますが、駐車場があるということはここで降りたほうが無難なんでしょう。
時刻は7時50分。
では行ってみますよ。
説明板もあるね。
そっか、姫塚古墳の隣にはもっと大きな前方後円墳である川柳将軍塚古墳があるんですね。
予備知識なしで来ると、こういう発見が楽しいですね。
私は前方後方墳マニアとして全国の前方後方墳を訪ね歩いている関係上、姫塚古墳に着目して来たわけですが、川柳将軍塚古墳は長野県最古・最大級の古墳ということで楽しみです。
駐車場付近からの景色。
行きます。
5分ほど登ると東屋がありました。
ここの説明板はサディスティックだな。
東屋付近からの景色。
道の右手上には陪塚が並んでいるということですが・・・
よく分かりませんね。
しかし、この道だったら車でも登れたな・・・
お、説明板が見えたぞ。
川柳将軍塚古墳に到着!
先ほどの駐車場から10分の距離でした。
へー、「せんりゅう」なんですね。
説明板に書かれている通り、長野県で2番目に大きい93mの前方後円墳で、葺石と円筒埴輪が見つかっているとのことです。
森将軍塚古墳に続く地域王墓か・・・
いいですねえ。
森将軍塚古墳はこのあと行きますよ。
では、後円部に登ります。
立派な石碑。
そして説明板。
えーっ!
熊に注意ですか!
確かにこんな山の中だと熊がいてもおかしくないですね。
大丈夫だろうと楽観視する一方で、やっぱり怖い気持ちもあります。
こういう場所は一人で来ない方がいいのですが、仕方がないですね。
ところで、主体部は前方部と後円部にそれぞれ1基ずつあったということですが、「盗掘」されたのに出土品の詳細が書かれているのは面妖ですね。
盗掘じゃなくて「調査」じゃないですかね。
あ、でも「窃盗」を前提とした調査かも知れず、なるほど、アカデミックな窃盗団ということでしょうか。
後円部から前方部を見下ろします。
前期の古墳らしく、高低差がありますね。
林道を見下ろします。
墳丘の裾部分の一部が溜池のようになっています。
鞍部まで降り、後円部を見上げます。
前方部を見ます。
前方部の先端から見下ろします。
前方部から後円部を見ると、この通りの高低差。
おや、もう一つ説明板があるみたいですよ。
行ってみます。
立派な石碑もある。
へー、面白い。
最初は「埴輪円筒棺」という名前から円筒埴輪を棺に転用したのかと思いましたが、棺用に専用に焼いたんですね。
こういうのは聴いたことがないです。
「この地方から出土した他の円筒埴輪棺」と書かれていることから、円筒埴輪棺自体はこの地域で見られるもののようですね。
それでは、当初の目的地である姫塚古墳へ行ってみますよ。
でも姫塚古墳はさらに山奥なんだよなあ・・・
熊さん、出てきませんように。
そうえいば、くまのプーさんは下半身裸ですから、そういうのが現れても困る。
⇒この続きはこちらです
今回は毎月やっている連載講座で、東北の古代史・中世史講座の第11回および日本書紀講座と関東の古代史講座のそれぞれ第2回です。
東北は19名様、日本書紀は29名様、関東は18名様のご参加をいただきました。
皆様、いつもありがとうございます!
これと同じ内容は、今週の水曜日(21日)にもやりますよ。
先月から1日に90分の講座を3本やる日を設けているのですが、それだけ喋っても喉の方はとくに問題ないことが分かりました。
たまに趣味のカラオケにも行っていますし、子供のころは母親に「口から先に生まれてきた」と言われていたくらいなので何とか大丈夫そうです。
ちなみに、クラツーの隣のビルの地下(一風堂とかカレー屋さんとかある場所)の中華屋さんの味噌ラーメン、美味いですよ。
新宿なのに690円!
美味しいのに店の名前を憶えていなくてスミマセン・・・
さて、前回の記事でお伝えした通り、11日(日)は久しぶりに東国を歩く会で「歩く日」を開催しました。
その内容も引き続きアップしたいのですが、7日(水)には雷電號を駆って信州と甲州の史跡を見てきたので、本日はその時の様子を簡単にお伝えします。
* * *
歴史探訪に行くときは早朝に出発するに限ります。
ただ、あまりにも早く家を出ても、現地に到着する時刻が早すぎると、それはそれで史跡が見れなかったり、博物館がまだ開館していなかったりで都合が悪いので、私の場合は朝の最初の移動で目的地域の一番遠くまで行ってしまうことにしています。
そして後は家に向かって戻りつつ、探訪をするという感じです。
今回の旅の本来の目的は来月催行する甲州の古代史ツアーの下見ですが、ついでなので信州も見てこようと思います。
雷電號があれば信州へ行くくらいチョロい。
まずは長野市内にある前方後方墳の姫塚古墳へ行ってみますよ。
5時半に出陣。
長野へは中央道経由ではなく関越道経由で行きます。
高尾山ICから圏央道へ入り、鶴ヶ島JCTから関越道というよく走るコース。
しばらく北上し、藤岡JCTから上信越道へ。
そういえば、一昨年の4月にクラツーと契約した後、ツアーの仕事の研修のために長野へ行ったときにこの道を走りました。
今思えば、あの当時からツアーの仕事をきちんとできる自信がありましたな。
私は「根拠のない自信ドリヴン」といって、何かをするときに「根拠のない自信」によって駆動することが多いのです。
たまに失敗しますが・・・
結婚とか・・・
それはさておき、本質的には「サーヴィス業」であることを忘れないように仕事をしています。
お客様に喜んでいただくために、クラツーでは「歴史」をサーヴィスとして提供し、ダスキンでは「掃除」をサーヴィスとして提供しているわけで、物事の本質は変わりません。
いかにお客様に喜んでいただくか、という視点で今日も面白スポットを探してきますよ。
・・・そろそろトイレ行きたい。
軽井沢を越えた先の佐久平PAで休憩です。
ここまで1時間半かかりました。
再度出発!
上田を通過。
上田は会ったことのない父方の祖母の故郷です。
更埴JCTから長野自動車道に入ったと思ったら、更埴ICですぐに降り、カーナヴィに脳内を支配されつつ古墳の近くまでやってきました。
実は今日はほぼ下調べ無しで来ました。
仕事のときはもちろんきちんと調べていきますが、こういった趣味に近い探訪の場合は、結構下調べ無しで来ることが多いです。
その方が現地での発見がより刺激的になって探訪が楽しくなるからです。
最初の目的地である姫塚古墳に近づくと、古墳は山の上にあることを知りました。
こんなことさえまったく調べずに来てしまったのです。
山を少し登っていくと駐車場がありました。
ここからもまだ上に道が続いていますが、駐車場があるということはここで降りたほうが無難なんでしょう。
時刻は7時50分。
では行ってみますよ。
説明板もあるね。
そっか、姫塚古墳の隣にはもっと大きな前方後円墳である川柳将軍塚古墳があるんですね。
予備知識なしで来ると、こういう発見が楽しいですね。
私は前方後方墳マニアとして全国の前方後方墳を訪ね歩いている関係上、姫塚古墳に着目して来たわけですが、川柳将軍塚古墳は長野県最古・最大級の古墳ということで楽しみです。
駐車場付近からの景色。
行きます。
5分ほど登ると東屋がありました。
ここの説明板はサディスティックだな。
東屋付近からの景色。
道の右手上には陪塚が並んでいるということですが・・・
よく分かりませんね。
しかし、この道だったら車でも登れたな・・・
お、説明板が見えたぞ。
川柳将軍塚古墳に到着!
先ほどの駐車場から10分の距離でした。
へー、「せんりゅう」なんですね。
説明板に書かれている通り、長野県で2番目に大きい93mの前方後円墳で、葺石と円筒埴輪が見つかっているとのことです。
森将軍塚古墳に続く地域王墓か・・・
いいですねえ。
森将軍塚古墳はこのあと行きますよ。
では、後円部に登ります。
立派な石碑。
そして説明板。
えーっ!
熊に注意ですか!
確かにこんな山の中だと熊がいてもおかしくないですね。
大丈夫だろうと楽観視する一方で、やっぱり怖い気持ちもあります。
こういう場所は一人で来ない方がいいのですが、仕方がないですね。
ところで、主体部は前方部と後円部にそれぞれ1基ずつあったということですが、「盗掘」されたのに出土品の詳細が書かれているのは面妖ですね。
盗掘じゃなくて「調査」じゃないですかね。
あ、でも「窃盗」を前提とした調査かも知れず、なるほど、アカデミックな窃盗団ということでしょうか。
後円部から前方部を見下ろします。
前期の古墳らしく、高低差がありますね。
林道を見下ろします。
墳丘の裾部分の一部が溜池のようになっています。
鞍部まで降り、後円部を見上げます。
前方部を見ます。
前方部の先端から見下ろします。
前方部から後円部を見ると、この通りの高低差。
おや、もう一つ説明板があるみたいですよ。
行ってみます。
立派な石碑もある。
へー、面白い。
最初は「埴輪円筒棺」という名前から円筒埴輪を棺に転用したのかと思いましたが、棺用に専用に焼いたんですね。
こういうのは聴いたことがないです。
「この地方から出土した他の円筒埴輪棺」と書かれていることから、円筒埴輪棺自体はこの地域で見られるもののようですね。
それでは、当初の目的地である姫塚古墳へ行ってみますよ。
でも姫塚古墳はさらに山奥なんだよなあ・・・
熊さん、出てきませんように。
そうえいば、くまのプーさんは下半身裸ですから、そういうのが現れても困る。
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信濃が語る古代氏族と天皇 善光寺と諏訪大社の謎(祥伝社新書) | |
関裕二 | |
祥伝社 |