⇒前回の記事はこちら
つづいて、蘇我馬子の邸宅があったらしい島庄辺りを見てみます。
多分、この辺だと思うのですが。
Webで説明板を見た気がするので周辺を探しています。
うーん、見当たりませんね。
やはり事前にきちんと調べてこないとダメですね。
まあでも、この辺に蘇我馬子が住んでいたのは間違いないでしょう。
『明日香村の文化財⑥ 島庄遺跡』によると、島庄遺跡は飛鳥時代を中心とした縄文時代から中世までの複合遺跡で、7世紀の遺構に関しては蘇我馬子の邸宅や天武の子の草壁皇子の「嶋宮」の跡との「関連性が注目」されるということです。
それでは、飛鳥寺方面へ歩きます。
素敵な通りに出ました。
食事ができる店もありますが、まだ行けそうなので歩きます。
せっかく面白い場所に来ているので、座って30分も食事をしていたら時間がもったいない。
・・・なんて強がりを言いますが、本当は予算が厳しいのです。
天理教の教会だ。
もちろんお会いしたことはありませんが、何代目かのダスキンの社長で天理教の方がいらっしゃったそうです。
甘樫丘が見えます。
つづいて坂船石遺跡にやってきましたが、亀形石造物の見学はこれまた有料ですぞ。
せっかく来たので見てみましょう。
谷状の場所にありますね。
なるほど、水に関する祭祀遺構ですか。
祭祀遺構ということは、要するに何かわからないということですね。
いや、でも飛鳥時代のものでしょうから貴重ですし面白いですね。
ホントだ、足が4本あって亀のような形をしている。
こんな感じの地形の場所にあります。
今度は無料で見られる場所へ行ってみましょう。
蘇我氏の本拠地である飛鳥を歩いていると石を使ったものが数多く散見できて、列島内でもかなり特殊な地域という感じがしますね。
蘇我氏はペルシャ人だという人がいますが、確かにオリエンタルな雰囲気もあります。
いや、面白い。
ではさらに歩き続けましょう。
⇒この続きはこちら
つづいて、蘇我馬子の邸宅があったらしい島庄辺りを見てみます。
多分、この辺だと思うのですが。
Webで説明板を見た気がするので周辺を探しています。
うーん、見当たりませんね。
やはり事前にきちんと調べてこないとダメですね。
まあでも、この辺に蘇我馬子が住んでいたのは間違いないでしょう。
『明日香村の文化財⑥ 島庄遺跡』によると、島庄遺跡は飛鳥時代を中心とした縄文時代から中世までの複合遺跡で、7世紀の遺構に関しては蘇我馬子の邸宅や天武の子の草壁皇子の「嶋宮」の跡との「関連性が注目」されるということです。
それでは、飛鳥寺方面へ歩きます。
素敵な通りに出ました。
食事ができる店もありますが、まだ行けそうなので歩きます。
せっかく面白い場所に来ているので、座って30分も食事をしていたら時間がもったいない。
・・・なんて強がりを言いますが、本当は予算が厳しいのです。
天理教の教会だ。
もちろんお会いしたことはありませんが、何代目かのダスキンの社長で天理教の方がいらっしゃったそうです。
甘樫丘が見えます。
つづいて坂船石遺跡にやってきましたが、亀形石造物の見学はこれまた有料ですぞ。
せっかく来たので見てみましょう。
谷状の場所にありますね。
なるほど、水に関する祭祀遺構ですか。
祭祀遺構ということは、要するに何かわからないということですね。
いや、でも飛鳥時代のものでしょうから貴重ですし面白いですね。
ホントだ、足が4本あって亀のような形をしている。
こんな感じの地形の場所にあります。
今度は無料で見られる場所へ行ってみましょう。
蘇我氏の本拠地である飛鳥を歩いていると石を使ったものが数多く散見できて、列島内でもかなり特殊な地域という感じがしますね。
蘇我氏はペルシャ人だという人がいますが、確かにオリエンタルな雰囲気もあります。
いや、面白い。
ではさらに歩き続けましょう。
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