⇒前回の記事はこちら
今日は飛鳥に来て正解でした。
天気もバッチリですし、大化前代の飛鳥時代の歴史を堪能することができています。
酒船石遺跡の近くには明日香民俗資料館がありますのでチョロッと寄ってみます。
お、本日の昼前にお伺いした川原寺さんのポスターが貼ってありますよ。
建物の2階に展示があるようです。
うん、名前の通り、民俗関係の展示ですね。
施設の名前が「民俗資料館」ではなく、「歴史民俗資料館」であれば考古遺物などの展示も期待できますが、民俗資料館の場合はこういう雰囲気ですね。
お米が3種類。
ホテルでの昨日の朝食では黒米を食べました。
今日の朝は出てなかったなあ。
では、飛鳥寺へ向かいますよ。
おや、道端に説明板があります。
凄いですね。
飛鳥寺の瓦を焼いた窯ですよ。
ということはわが国最古級の瓦窯跡ということになりましょうか。
そして14時半過ぎ、飛鳥寺に到着!
前回飛鳥に来たときはここの前の道を通りましたがスルーしました。
そのときは雷電號でめぐっていたのですが、思いのほか不自由で、非常に効率が悪かったです。
やはり飛鳥は歩いてめぐるのがいいですね。
驚くなかれ!
こんなにアツいお寺の説明板もなかなかないですね。
古の飛鳥に心躍りますが、現実には拝観料を納めて境内にお邪魔させていただきます。
今日は予想外にお金の減りが早い・・・
本堂に上がると、お寺の方が飛鳥大仏の前で解説してくださいます。
短い解説の後は、私からの質問攻撃。
いやー、楽しい!
しかも、こちらは写真撮影がOKということですので、私は一人残って飛鳥仏を撮りまくります。
本来、お寺の中で一番重要な施設は仏像が安置されている本堂ではなく、塔なのです。
飛鳥寺も古代の寺院らしく塔を中心とした伽藍配置となっており、金堂が完成してから大仏を造って建物内に搬入したそうです。
もともと、塔にはお釈迦様の骨(仏舎利)を納めることになっていました。
日本最古の仏舎利。
この仏様も火災にあって損傷を受け、少し痛々しい感じがしますが、困難を克服してきた表情にも見えます。
現在は釈迦如来像が単独で安置されていますが、当初は脇侍もおり、当然光背もありました。
正面から見ると少し顔の向きを傾けているのが分かるのですが、聖徳太子が生まれた橘寺の方を向いているそうですよ。
釈迦如来に向かって右側には阿弥陀如来像。
この掛け軸はハングルで何か書かれていますよ。
向かって左には、聖徳太子が16歳の時をイメージしてくつった像があります。
この釈迦如来像は最初にここに安置されてからまったく場所が変わっていないというのも驚異です。
うーん、この場から去りがたい・・・
あ、次の方々がやってきそうなのでこの辺で辞去させていただきます。
感動のあまり、歌でも歌いたい気分です。
当時の伽藍の復原図。
廊下に出るとちょっとした展示コーナーがありました。
発掘時の写真がたくさんあって興味深い。
おおーっ!
6世紀の瓦だーっ!
6世紀というと関東ではバリバリの前方後円墳の時代ですよ!
そのときすでにこちらではお寺が造られていたわけです。
山田寺の瓦!
大官大寺!
本日訪れた橘寺!
なんか私も感嘆符ばっかりだ!
誰もいない廊下で40代のおっさんが独り言を発しながらはしゃいでいる光景は異様だと思います。
光背の一部も出土しているんですね。
凄い・・・
そして百済の土器も。
もしかしてちゃんと見るのは初めてかもしれない蹴鞠。
感動に震えながらお堂を出ます。
境内を散策します。
鐘楼。
つづいて入鹿の首塚へ行きますよ。
飛鳥に来ると何気なく置かれている石が実は凄い物ではないかと勘繰ってしまいます。
ここですね。
いらっしゃいました。
ようやく入鹿に逢えました。
五輪塔の背後には今日の午前中登った甘樫丘があります。
五輪塔から飛鳥寺。
中大兄皇子と中臣鎌足はここで出会ったんですね・・・
感慨無量。
飛鳥寺に参拝できたので今日の目的は達しました。
結局、昼を食べずに15時15分。
早めにホテルに戻って駅前の松屋で牛丼食べようっと。
⇒この続きはこちら
今日は飛鳥に来て正解でした。
天気もバッチリですし、大化前代の飛鳥時代の歴史を堪能することができています。
酒船石遺跡の近くには明日香民俗資料館がありますのでチョロッと寄ってみます。
お、本日の昼前にお伺いした川原寺さんのポスターが貼ってありますよ。
建物の2階に展示があるようです。
うん、名前の通り、民俗関係の展示ですね。
施設の名前が「民俗資料館」ではなく、「歴史民俗資料館」であれば考古遺物などの展示も期待できますが、民俗資料館の場合はこういう雰囲気ですね。
お米が3種類。
ホテルでの昨日の朝食では黒米を食べました。
今日の朝は出てなかったなあ。
では、飛鳥寺へ向かいますよ。
おや、道端に説明板があります。
凄いですね。
飛鳥寺の瓦を焼いた窯ですよ。
ということはわが国最古級の瓦窯跡ということになりましょうか。
そして14時半過ぎ、飛鳥寺に到着!
前回飛鳥に来たときはここの前の道を通りましたがスルーしました。
そのときは雷電號でめぐっていたのですが、思いのほか不自由で、非常に効率が悪かったです。
やはり飛鳥は歩いてめぐるのがいいですね。
驚くなかれ!
こんなにアツいお寺の説明板もなかなかないですね。
古の飛鳥に心躍りますが、現実には拝観料を納めて境内にお邪魔させていただきます。
今日は予想外にお金の減りが早い・・・
本堂に上がると、お寺の方が飛鳥大仏の前で解説してくださいます。
短い解説の後は、私からの質問攻撃。
いやー、楽しい!
しかも、こちらは写真撮影がOKということですので、私は一人残って飛鳥仏を撮りまくります。
本来、お寺の中で一番重要な施設は仏像が安置されている本堂ではなく、塔なのです。
飛鳥寺も古代の寺院らしく塔を中心とした伽藍配置となっており、金堂が完成してから大仏を造って建物内に搬入したそうです。
もともと、塔にはお釈迦様の骨(仏舎利)を納めることになっていました。
日本最古の仏舎利。
この仏様も火災にあって損傷を受け、少し痛々しい感じがしますが、困難を克服してきた表情にも見えます。
現在は釈迦如来像が単独で安置されていますが、当初は脇侍もおり、当然光背もありました。
正面から見ると少し顔の向きを傾けているのが分かるのですが、聖徳太子が生まれた橘寺の方を向いているそうですよ。
釈迦如来に向かって右側には阿弥陀如来像。
この掛け軸はハングルで何か書かれていますよ。
向かって左には、聖徳太子が16歳の時をイメージしてくつった像があります。
この釈迦如来像は最初にここに安置されてからまったく場所が変わっていないというのも驚異です。
うーん、この場から去りがたい・・・
あ、次の方々がやってきそうなのでこの辺で辞去させていただきます。
感動のあまり、歌でも歌いたい気分です。
当時の伽藍の復原図。
廊下に出るとちょっとした展示コーナーがありました。
発掘時の写真がたくさんあって興味深い。
おおーっ!
6世紀の瓦だーっ!
6世紀というと関東ではバリバリの前方後円墳の時代ですよ!
そのときすでにこちらではお寺が造られていたわけです。
山田寺の瓦!
大官大寺!
本日訪れた橘寺!
なんか私も感嘆符ばっかりだ!
誰もいない廊下で40代のおっさんが独り言を発しながらはしゃいでいる光景は異様だと思います。
光背の一部も出土しているんですね。
凄い・・・
そして百済の土器も。
もしかしてちゃんと見るのは初めてかもしれない蹴鞠。
感動に震えながらお堂を出ます。
境内を散策します。
鐘楼。
つづいて入鹿の首塚へ行きますよ。
飛鳥に来ると何気なく置かれている石が実は凄い物ではないかと勘繰ってしまいます。
ここですね。
いらっしゃいました。
ようやく入鹿に逢えました。
五輪塔の背後には今日の午前中登った甘樫丘があります。
五輪塔から飛鳥寺。
中大兄皇子と中臣鎌足はここで出会ったんですね・・・
感慨無量。
飛鳥寺に参拝できたので今日の目的は達しました。
結局、昼を食べずに15時15分。
早めにホテルに戻って駅前の松屋で牛丼食べようっと。
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