今回の動画です。
平治の乱で破れた源義朝は、平清盛に殺されてしまう。その後、衰退した源氏は、どうのように復活を遂げたのか。
今回の動画。
藤原氏の摂関政治から後白河法皇による院政がはじまり、新しい政治体制へ。策略家の後白河は平清盛、源義朝らを操り、保元の乱、平氏の乱が巻き起こります。
歴史上のヒーローも、時の政権によって悪逆非道の反逆者に。
明治以降、平将門は朝廷に反逆した極悪人としてのレッテルを張られてきました。
でもその反乱の実際は、政治を行わない朝廷や汚職を繰り返す地方役人たちに対しての、
痛快なレジスタンスに他なりませんでした。
戦後、海音寺潮五郎の小説「平将門」によって、ようやく人々に受け入れられ、
大河ドラマでは加藤剛さんが名演技でその名声を高めたのです。
今回はそんなお話し。さて、家康の「家」はどこから?
今回の動画は、【平安時代#4】「武士の出現 末法思想と浄土教」です。
釈迦の教えが通用しなくなる末法思想が伝わり、世の中が不安定になったころ疫病が蔓延し、さらに人々を恐怖に追い込みました。こうした時代背景の中で、当時まだ身分の低かった武士が活躍する時代へと進んでいきました。
仏教の本を調べてみると、現在でもなお「末法の世」であると言います。
この世の危機は千年、二千年と続くのでしょうか。
平安中期、折からの疫病「天然痘」に対する恐怖と相まって末法に対する人々の恐怖が増幅されました。
そこに現れたのが空也上人。踊りながら念仏説法を行い、人々に極楽往生を説いたのです。
京都市中で感染者に交じり、説法を行い続けたのです。食も施したと伝えられています。
国家鎮護のための威厳に満ちた仏教が、初めて人々の恐れに寄り添った、まさに革命的な出来事でした。
「厭離穢土 欣求浄土」家康公の旗印の言葉。まさにこの時代、源信によって説かれました。
家康公はそれを実現して見せたのですが、その平和も再び崩されていった歴史的事実を看過してはいけませんね。
今回の動画は、【平安時代#3】藤原氏の摂関政治、国風文化についてです。藤原氏が権力の頂点を極め、政治を行った時代。さらにその時代、遣唐使を廃止したことで国風文化発展しました。
外国人が日本を訪れると、必ず見学・体験したいものが「和風」の文化です。
建造物や衣服、食事に至るまで、私たちの暮らしに根付いている和風の文化。
これらの基本形が出来上がったのが平安時代でした。
今回は遣唐使廃止後の日本の姿について、少し勉強してみたいと思います。
私の地元である岡崎市の例を出しましたが、歴史的建造物の屋根一つを見ても、
和様と唐様の違いがあります。ちょっと気を付けてみるだけでも楽しいですよ。