市橋章男のなるほど!歴史ミステリー

日本史、戦国など歴史に関する話を紹介。YouTube動画を共有します。

大坂の陣の背景① 日本を分断した豊臣と徳川の権力関係

2021-06-30 21:42:25 | 徳川家康シリーズ

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豊臣秀吉死後の豊臣政権においては五大老の徳川家康が影響力を強めた。そして関ヶ原の戦いで家康は東軍の指揮を執り三成ら西軍を撃破する。家康は戦後処理や論功行賞を主導するなど実権を握った。この際、豊臣家の蔵入地(いわゆる太閤直轄地)を東軍への恩賞という形で全国にあった220万石の内ほぼ4分の3を削減してしまった。これにより、 豊臣家の所領は摂津・河内・和泉の約65万石程度まで削がれた。
しかし豊臣秀頼の影響力はその後も強く、また金山や銀山を所有していたことで、資金も豊富だったため、徳川幕府と豊臣家の権力関係は、日本を二つに分断することになってしまった。

 


関ヶ原の戦い後の領地分配と浪人問題 大坂の陣の火種とは 豊臣秀頼と徳川家康の対立

2021-06-24 00:56:47 | 徳川家康シリーズ

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関ヶ原の戦いの終結後に起きたのが、勝者の東軍の武将たちへの領地分配だった。家康は東軍として戦った豊臣家臣の石高を加増した。その目的は関ヶ原の戦いによって生まれてしまった浪人たちを召し抱え、その問題を解決するためだった。ところがそれだけでは、浪人はなくならず、そららの武士たちは大坂城へ集結していってしまった。これが後の大坂の陣に火種となっていった。

 


関ヶ原の戦い新説と終結後 敗戦の将 石田三成の逃亡 実は小早川秀秋は裏切っていなかった?

2021-06-16 18:49:10 | 徳川家康シリーズ

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関ヶ原の戦いの新説。これまで考えたられていた通説の場所に西軍はいなかった。また小早川秀秋は西軍の石田三成を裏切り、東軍の徳川家康に味方したわけではなかった。さてその真相は?今回は近年考えらている天下分け目の関ヶ原の戦いの新しい説と敗戦し逃げ落ちた石田三成について紹介する。さらに逃亡した石田三成を捕まえた田中吉政の逸話なども登場。

 


関ヶ原の戦い 最終決戦!大谷吉継の首を守った名将とは!三成の敗因 島津の進言無視 小早川秀秋の密約

2021-06-09 19:04:30 | 徳川家康シリーズ

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石田三成が率いる西軍と徳川家康率いる反三成の豊臣家臣たち東軍が、決戦の舞台、関ヶ原で激突した。 僅か半日で終結したといわれているこの戦いには様々なエピソードが残れている。
大垣城で島津義弘が三成への進言、勝敗を分けた小早川秀秋の動き、大谷吉継の首を守った湯浅五助など、関ヶ原の戦い最終決戦の開戦から終結までを徹底解説!

 


上田合戦 真田信繁に敗れ徳川秀忠 関ヶ原の戦いで遅刻 家康激怒!

2021-06-02 20:55:43 | 徳川家康シリーズ

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石田三成ら西軍の挙兵を知った徳川家康は、打倒三成に向け東軍を結成。そして両軍は、尾張平野から最終決戦の地「関ヶ原」へと動いていった。
この時、徳川家康の別動隊として、息子の秀忠の軍勢が動いていた。ところが秀忠は、真田信繁 (幸村)らが治める上田城で苦戦を強いら入れていた…。
さらに情報伝達の不備で、家康から指令が届かず、秀忠は、関ヶ原の戦い遅刻し、参戦できなかったのである。今回の動画では、秀忠と真田が争った上田城の攻防について紹介する。