今回の動画です。
豊臣秀吉死後の豊臣政権においては五大老の徳川家康が影響力を強めた。そして関ヶ原の戦いで家康は東軍の指揮を執り三成ら西軍を撃破する。家康は戦後処理や論功行賞を主導するなど実権を握った。この際、豊臣家の蔵入地(いわゆる太閤直轄地)を東軍への恩賞という形で全国にあった220万石の内ほぼ4分の3を削減してしまった。これにより、 豊臣家の所領は摂津・河内・和泉の約65万石程度まで削がれた。
しかし豊臣秀頼の影響力はその後も強く、また金山や銀山を所有していたことで、資金も豊富だったため、徳川幕府と豊臣家の権力関係は、日本を二つに分断することになってしまった。