市橋章男のなるほど!歴史ミステリー

日本史、戦国など歴史に関する話を紹介。YouTube動画を共有します。

豊臣秀吉が最も恐れた徳川家康の政治力 五カ国総検地とは! 関東移封へ 家康はどのように三河・遠江・駿河・甲斐・信濃の五カ国を治めたのか!

2021-03-24 20:16:19 | 徳川家康シリーズ

今回の動画です。

豊臣秀吉が最も恐れた徳川家康の政治力 五カ国総検地とは!
関東移封へ 家康はどのように三河・遠江・駿河・甲斐・信濃の五カ国を治めたのか!

徳川家康は豊臣秀吉の政権下で、三河・遠江・駿河・甲斐・信濃の五カ国を領有する大名となっていた。各国を治めるために様々な政策を行い手腕を発揮していた。中でも五カ国総検地は、年貢を治める農民たちの立場に寄り添ったもので、この政策により国は豊かに治まった。後の天下人となる家康の政治力の基礎となる経験である。豊臣秀吉は、この家康のずば抜けた政治力を恐れ、家康の五カ国を取り上げ、関東へと国替えを命じた。これが関東移封である。これにより家康は当時沼地だった江戸を中心とした関東での国づくりをスタートさせることとなった。

 


明智光秀は生きていた?天海=光秀の真相!戦国史最大の謀反 本能寺の変を起こした光秀の謎に迫る…家康の側近・天海と明智の関係

2021-03-16 21:49:29 | 徳川家康シリーズ

今回の動画です。

明智光秀が謀反を起こし、主君の織田信長を討った本能寺の変。この後、光秀は羽柴秀吉に山崎の合戦で討たれてしまった。 ところが、実は明智光秀は生き延びていたという説がある。
家康の側近・天海という僧が、光秀だったというのである。この説は有力なものなのか…
大河ドラマ「麒麟がくる!」の最終回でも光秀が生き延びていたことを感じさせる終わり方だった。今回動画では、その謎の真相に迫る!


豊臣秀吉の朝鮮出兵と関白・豊臣秀次の切腹事件 二つの悲劇が招いた豊臣家臣の分断と関ヶ原の戦い「早わかり歴史授業60 徳川家康シリーズ29」日本史

2021-03-10 19:48:07 | 戦国

今回の動画です。

世界は大航海時代。西欧列強国がアジアを中心に植民地支配に乗り出していた。 そんな中、ポルトガルの明国支配の兆候を知った豊臣秀吉は、ポルトガルに対抗するために明の侵攻を決意した。そのためには通り道となっていた朝鮮への出兵が必要になったのである。豊臣の重臣・加藤清正らが中心となり侵攻の乗り出しが、2度目の朝鮮出兵「慶長の役」の途中で秀吉が病死してしまい、撤退を余儀なくされた。 またこの頃、秀吉は甥の秀次の関白を譲り、跡を継がせるつもりだったが、秀吉に嫡男の秀頼が誕生したことで、秀次を切腹に追い詰める事件が起きてしまった。朝鮮出兵と関白秀次の切腹事件は、秀吉の死後に巻き起こった関ヶ原の戦いの引き金になったとも考えられている。


豊臣秀吉の朝鮮出兵の背景 衝撃のサン・フェリペ号事件、ポルトガルの脅威、外国に売られた日本人奴隷の存在、伴天連の追放令

2021-03-03 19:42:12 | 徳川家康シリーズ

今回の動画です。

関白に就任した豊臣秀吉は、天下人となり日本を治めていた。ところが秀吉は西欧の列強国の脅威を感じるようになる。
日本訪れるイエズス会やフランシスコ会などのキリスト教会の宣教師たちの布教活動や南蛮貿易によって西洋の文化が伝わってきたが、この南蛮貿易やキリスト宣教師によって、日本人奴隷の売買など、とんでもない事件が起きてしまう。

こうした事情から秀吉は伴天連追放令を出すなどの政策を出し対応した。
そんな中で起きたのが、スペイン人を磔にしたサン・フェリペ事件である。

またポルトガルからの脅威を感じた秀吉は、明への侵攻を計画し、その通り道だった朝鮮への出兵が実行された。今回の動画では、日本に訪れた外国からの脅威に対応した秀吉の外交戦略と朝鮮出兵の背景を紹介する。