今回の動画です。
豊臣家滅亡、戦国最後の戦となる大坂夏の陣。豊臣秀頼ら豊臣軍は、冬の陣で徳川家康と和睦することとなったが、その後、豊臣方についていた浪人衆の徹底抗戦派に押し切られ、夏の陣へ発展していってしまった。徳川との戦を望んでいなかった真田信繁だったが、命懸けの戦いに挑んだ。大坂城は総堀が埋められ、籠城戦ではなく野戦を強いられることとなったが、単なる野戦ではなかった。圧倒的に不利だった豊臣軍は、徳川軍を苦しめるため、真田信繁を中心の知略をめぐらせ、戦国最後の戦いに挑んだ。さて、その策略とは…