
最近の日本の現状は政治を含めて社会は大混乱。相変わらず児童虐待、それも今まで我々が想像もしていなかった虐待というより、子供に対しての拷問だ。
それでも近隣住民が泣き叫ぶ声や叫び声に対しても、声すら上げない。この冷血動物達。誰でもいい、勇気のある人間が出てこないのか。私は毎回訴えているのは、無関心は最大の悪だ。
それに多くの児童ポルノ被害最多。この問題は毎回連合会としては最大の大きなテーマにして社会に訴えるだけでは無く、政治家にも呼びかけている。
それにしても中々我々と関わっている政治家以外の政治家の反応は鈍い。しかし鈍いだけじゃ話しにならない。この問題は日本の将来の為には避けてはならない問題である事を自覚してもらいたい。

それに未だ理解出来ない政治家達の頭の中身。 何回も我々に同じ事を言わせて貰いたくない。未だ10代の子が年間600人から多いときで年間800人。その中でも小中高生の自殺が300人。これだけ多くの自殺をしている事の認識が、あるのかどうか。まして現代は少子化。ということは、年々増えていると云う事をどのように、思っているのか。日本の将来を考えたら大変な問題であると云う事を、考えないのか。それでも子どもは日本の宝だ。この言葉は、口先だけなのか、理解に苦しむ。
それから学校の問題。今、我々の川崎市多摩区の南菅中学校で起きた、友達をいじめから救おうと声をあげた処、逆にその矛先が自分の方に来た為に、おそらく彼は彼なりに戦ったはずだ。しかし、彼は彼なりの考えがあって、自分が死ぬ事によって、いじめをやってはいけないと社会に訴えた。その後の我々の調査で、彼の通ってた学校の教師に大きな問題があった。というのが我々の結論。

例えばいくら学校でいじめの問題に対して声を上げないのは現役の教師が、いじめ問題に取り組もうという意識が無い限り、自分の処で抱えこみ、教頭や校長には連絡せずにしなかった為に起きた事件ではないかと思っている。
この問題はまだ説明が長くなりますので、明日にでも継続してカキコをしようかと思っております。この件に関しては教育委員会も認めている。これからもこの問題を追求して行きます。

今回私が古くからお付き合いし大尊敬している、政治家 平沼赳夫先生から以前空手の試合の時に頂いた、素晴らしいメッセージを是非皆さんに読んで頂きたいと思い、ここに紹介します。そして今一度、我々も日本人としての生き方を考えたいと思います。

メッセージ
第30回 拳心会空手道選手権大会が開催されますこと、心よりお慶びを申し上げます。役員・関係者各位の日頃からのご尽力に重ねて敬意を表する次第です。
さて極東の果てにあって、私たちの日本は民族の中心に世界最古の歴史と伝統を持つ皇室を奉戴し、自然との調和、人との調和、争いを好まず「和」を非常に大切にする独自の文化を築いて参りました。同時に「義」のためには己の身も顧みない武士道も生み出しました。
しかし今の日本の世相をみますと、親の子殺し、子の親殺し、弱いものをいじめて恥とも思わない目を覆うような非道な事件が溢れています。己の欲望の充足を何よりも優先する殺伐とした社会に堕しています。
誰も責任を取らない自分中心主義、道徳心や宗教心の欠けた政治や教育、扇情的で偏向した報道の結果、素直に日本人としての誇りや愛国心を持てなくなっていることにも大きな原因があると思います。
国を愛する心とは、風土や歴史や伝統を学び、祖先を敬い、誇りを持ち、同じときを共に過ごす人々を大切に思う心です。過去から現在、そして未来へと民族の誇りと伝統のバトンを継承する使命と喜びに気付くことです。それは保護された子供の状態から成長し、自らも人の「親」となる覚悟と自覚を身につけることでもあります。
また法律や規則や権利以前の本当に大切なもの、生命や自然への畏敬と感謝、利他愛、無欲、無私の心というものの存在を知ることが必要です。それは、宗教的道徳教育や、古より連綿と受け継がれ練磨されて来た武士道精神の精華である「武道」の修練を通してのみ、はじめて感得することが出来ます。
日本の未来を守るため、次代を担う若い世代の健全な育成が急務です。武士道、この素晴らしい日本の伝統、価値観を守るために、あらゆる努力を惜しまず継続することは、我々の責任であり義務です。倦まず弛まず諦めず後進の指導と自己の鍛錬にご精進されておられる皆様に、心よりの敬意を申し上げ、あわせて明日への責任を果たすため、尚一層のご活躍をご期待申し上げます。
衆議院議員 平 沼 赳 夫
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平沼赳夫(ひらぬま たけお) |
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昭和14年(1939)8月3日生 |
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たちあがれ日本 代表 ( 当選10回 ) |
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妻:真佐子、長女:廣子 長男:慶一郎、二男:正二郎 |
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読書・ドライブ・音楽鑑賞 |
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信天命而尽人事 (天命を信じて人事を尽くす) |
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175cm |
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75kg |
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A |
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獅子座 |
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卯 |
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昭和37年(1962)4月~昭和48年(1973)3月 |
日東紡績株式会社勤務 |
昭和53年(1978)12月~昭和55年(1980)6月 |
中川一郎秘書 |
昭和55年(1980)6月 |
岡山一区より3度目の挑戦で衆議院に初当選 |
昭和62年(1987)11月~昭和63年(1988)12月 |
大蔵政務次官 |
平成元年(1989)6月~平成5年(1993)6月 |
自由民主党岡山県支部連合会会長 |
平成2年(1990)2月~平成2年(1990)12月 |
自由民主党財政部会長 |
平成3年(1991)1月~平成3年(1991)11月 |
衆議院大蔵常任委員長 |
平成3年(1991)11月~平成4年(1992)12月 |
自由民主党政務調査会副会長 |
平成5年(1993)1月~平成5年(1993)7月 |
衆議院農林水産常任委員長 |
平成5年(1993)11月~平成7年(1995)3月 |
自由民主党全国組織委員長 |
平成7年(1995)3月~平成7年(1995)8月 |
自由民主党組織広報本部団体総局長 |
平成7年(1995)8月~平成8年(1996)1月 |
運輸大臣 |
平成8年(1996)11月~平成9年(1997)9月 |
衆議院議院運営委員長 |
平成9年(1997)9月~平成10年(1998)8月 |
自由民主党財務委員長 |
平成12年(2000)7月~平成12年(2000)12月5日 |
通商産業大臣 〔第二次森内閣〕 |
平成12年(2000)12月5日~平成13年(2001)1月6日 |
通商産業大臣 〔第二次森改造内閣〕 |
平成13年(2001)1月6日~平成15年(2003)9月22日 |
経済産業大臣 |
平成22年(2010)4月10日~ |
たちあがれ日本 代表 |
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