今回阿形先生をブログに出したのは、今多くの若い人たちに知ってもらいたいのは、67年前世界を相手に戦った太平洋戦争。多くの軍人や民間人を含めて300万人近く亡くなったが、昭和・平成と生きている我々や子ども達に対しその時代の状況を詳細に伝える事が我々の役目ではないかと思っている。
また若い人たちに知ってもらいたいのは数多くの若者が戦場で亡くなった事。特に最後は学徒動員。国の為に特攻隊で敵艦に爆弾と一緒に突入して戦死した学生達皆死を前提とした特攻と玉砕だ。私はいつも思う。国の為に戦って亡くなった多くの軍人に対し今の政治家は感謝のかの字もない。
逆に戦後日教組が平和の名のもとに学校で日本の兵隊は中国や朝鮮それと東南アジアを侵略そして住民に対し残虐な行為をしたとわざわざ平和教育の時間をとって今でも教えている。こんな事を子ども達が聞けば日本人嫌いになるのは当たり前だ。とにかくこの平和教育を中止させ今の平和が戦争で多大なる犠牲の元にあるのだと云う事を教えてやらなければならない。
私が一番関心するのは阿形先生は日頃から今一番感謝しなければならないのは、この国の為に亡くなった多くの軍人に対し将来に渡って感謝することが大事だと言っている。確かに私もそう思う。
やはり残された日本人そしてこの国の為に命を捧げた軍人に対し、国民は心から感謝をすることが義務ではないかと思う。その為には靖国神社に国家を挙げて参拝するのは当たり前。それに対し反発する国会議員がいるから、このような人間は国会議員になる資格はない。
大東亜聖戦碑護持会 顧問 阿形充規先生
昭和14年11月24日阿形充規先生は東京都中野区野方で生を受ける。
父方は代々医者の家系・母方は教育者の家系で、母親は女学校の国語教師、父は旧帝大(現東大)を卒業し、上級公務員を務めた。
父方の家系は徳川松平家の御殿医という名家の出。
8月4日の大東亜聖戦祭
石川県護国神社に 大東亜聖戦大碑が建立されて早くも12年の歳月が流れました
一昨年10月11日には 大東亜戦争大碑建立十周年と副碑落慶記念式典が開催されました
田母神俊雄前航空幕僚長が 新会長に就任し2回目の大東亜聖戦祭が来る8月4日に行われることになりました
画像は大東亜戦争大碑
戦後67年の歳月の流れた今日の日本は 依然として欺瞞と謀略に満ちた東京裁判史観の桎梏から抜け出せずにおります
先の大戦以前には アジアやアフリカの大半は 欧米列強に植民地化されており 日本が唯一独立国としての地位を守り通し 厳しい欧米諸国の 経済・資源・軍事力封鎖にも屈せず 欧米列強の植民地化に立ち向かうために 大東亜共栄圏構想のもと アジア諸国の独立を勝ち取るために 戦いの火蓋を切ったのであります しかしながら残念なことに 資源乏しく 連合国の圧倒的な軍事力の差のもとに 日本は戦いに破れ 敗戦の憂き目を見ることになってしまいました
画像は副碑
日本が戦いを挑んだことによって アフリカや アジア諸国が 独立することができたという側面があったことも 日本人は決して忘れてはならないことだと思っております
今日においても尚 先の大戦を悪と見なす風潮がますます強まるなかにあって 世界から尊敬されていた我が国本来のお国柄も 世界に誇るべき伝統精神や美徳も もはや風前の灯火となっております
今日の世界情勢に目を向けて見ますと 三大軍事大国の 米・ロ・中が 軍事力を拡大し覇権争いをし その陰で各種の策略をもって資源獲得を企んでおります
画像は副碑
中東では 民主化を求めた民衆の手によって独裁政権が次から次えと倒され 政局が不安定になっており シリアでは今も尚とどまることを知らない内戦状態が続いております
この様に世界情勢が緊迫しているにも関わらず 我が国日本の政局に目を向けて見ますと政権争いに終始し 国民のためにあるべき政治が疎かにされているのが現状であります
かかる時に日本国民の一人一人が日本精神を甦らせ 祖国日本がどうあるべきかを真剣に考えなくてはならないのではないかと痛感いたしております
私は予てより この大東亜聖戦大碑を護る会に加盟し 毎年開催される護持会の式典に参加いたしております
本年も来る8月4日に 石川県護国神社で大東亜聖戦祭が開催されました
護國神社
家族と郷土の繁栄を見守り、人々が歩み進める人生においてふりかかる災いを鎮め、日々の生活を安全に、そして安心して送れることを祈り続けておられる神様です。
石川護國神社には、石川県出身の英霊(戦没者の御霊)をお祀りしてあります。
明治元年の戊辰の役(北越戦争)で戦死した加賀藩の百八名の戦没者の御霊を、同三年、卯辰山に招魂社を造営して祀ったのが創まりです。
以来、西南の役、日清日露の両戦役、支那事変(日中戦争)、大東亜戦争までの英霊、四万四千八百八十七柱を合わせ祀ってあります。(このうち、第九師団管下の富山・福井・岐阜・滋賀県出身の英霊一万九百十九柱が含まれます)
昭和十四年社名が石川護國神社と改称されました。その後、昭和四十五年に御創立百年記念大祭、昭和五十九年に御遷座五十年記念大祭、平成二年に御創立百二十年記念大祭、平成十二年に御創立百三十年記念大祭、平成十七年に終戦六十年臨時大祭が執行されました。
案内地図
日本の主な戦没者追悼施設
第二次世界大戦の戦没者数 軍人230万 民間人80万
靖国神社 東京都千代田区九段北 神社
追悼対象 幕末以降の「国家殉職者」(主に戦争で死亡した軍人)を祭神とする(約246万人)
政府式典 GHQ(連合国総司令部)占領をきっかけに、1945年11月以降は行われていない
千鳥ヶ淵戦没者墓苑 東京都千代田区三番町 納骨施設
第二次大戦で海外で死亡した軍人・民間人の身元不明の遺骨を納めた「無名戦没者の墓」(約35万人)
政府式典 5月下旬に拝礼式(8月15日、近くの日本武道館で全国戦没者追悼式)