先日、次女が学校からの帰り道、弱った猫を見つけました。
この寒空の下、あまりにもかわいそうで、
とりあえず我が家で面倒をみることにしました。
毎日病院へ連れて行き、
薬や栄養分を点滴で体に入れ、
何とか元気になるよう手当をしましたが、
不治の病だったため、
うちへ来て10日目の夜、小さな命のともしびが消えてしまいました。
たった10日ほどですが、
毎日、面倒をみているうちに、
家族みんながその猫を愛してしまっていたのでした。
だから、
みんながとてつもなく深い悲しみに暮れました。
特に、長女の悲しみは深く深く、
私は、どう声をかければいいのかわからず、
とまどってしまいました。
結局、
黙って長女の肩をかかえ、
さすってやるくらいのことしかできませんでした。
それまでぐっとこらえていたのか、
長女はポロポロと涙を流し、
静かに、それでいて激しく、
泣き続けました。
それで、はっと気づきました。
私は「言葉」を探していました。
相手に寄り添うこと、
それは「言葉」がなくてもできることなのに、
そんなことを忘れていた自分が情けなかったです。
相手に寄り添うこと(共感)とは、
相手の気持ちを理解しようとする態度を示すことで、
決して、スキルだけでできるものではありません。
心あって、はじめてそのスキルが生きてくるんだ、
ということを再確認したのでした。
この寒空の下、あまりにもかわいそうで、
とりあえず我が家で面倒をみることにしました。
毎日病院へ連れて行き、
薬や栄養分を点滴で体に入れ、
何とか元気になるよう手当をしましたが、
不治の病だったため、
うちへ来て10日目の夜、小さな命のともしびが消えてしまいました。
たった10日ほどですが、
毎日、面倒をみているうちに、
家族みんながその猫を愛してしまっていたのでした。
だから、
みんながとてつもなく深い悲しみに暮れました。
特に、長女の悲しみは深く深く、
私は、どう声をかければいいのかわからず、
とまどってしまいました。
結局、
黙って長女の肩をかかえ、
さすってやるくらいのことしかできませんでした。
それまでぐっとこらえていたのか、
長女はポロポロと涙を流し、
静かに、それでいて激しく、
泣き続けました。
それで、はっと気づきました。
私は「言葉」を探していました。
相手に寄り添うこと、
それは「言葉」がなくてもできることなのに、
そんなことを忘れていた自分が情けなかったです。
相手に寄り添うこと(共感)とは、
相手の気持ちを理解しようとする態度を示すことで、
決して、スキルだけでできるものではありません。
心あって、はじめてそのスキルが生きてくるんだ、
ということを再確認したのでした。