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眞子さんの生き方は皇室を「時代に合ったもの」に変えつつある

2021-12-24 08:30:00 | 日記

下記の記事は日刊ゲンダイデジタル様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

 

 米国で新婚生活を始めた眞子さん夫妻。自分の選んだ道を諦めず、バッシングも乗り越えて自由を手にできたことは、何ごとにも代えがたいに違いない。それだけに、この先もずっと日本には戻ってこない気がする。

 

 戦後、元内親王が海外で長期間生活する事例は、眞子さんが初めてではないだろうか。

 

 皇族の海外生活でよく例に出されるのが東久邇稔彦王である。もう100年近く前のことだ。大正デモクラシーの影響で「外遊」と称してヨーロッパに渡るのだが、この時期に渡欧した皇族には、他に北白川宮や朝香宮らもいた。滞在先のフランスでは、貴族に招かれて狩猟したり、著名人を招いてパーティーや舞踏会を開いたりと、花のパリを物見遊山のように堪能したようである。彼らがパリで生活する費用はすべて皇室費から出していた。年間に使う金額は、今のお金にすれば億単位だったというからうらやましい。おそらく使い放題だったのだろう。

それに比べると、元皇族とはいえ、眞子さんのNY生活はなんともつましい。日用品を自分でスーパーで購入しているらしい。それも、皇室費から一銭ももらわず、自分で生活していくというのだからたくましい。

 

さて、異例の結婚をした眞子さんに対し、「皇族の品格を汚した」「皇室を変質させかねない」といった批判が今なお根強い。確かに眞子さんの選択は過去に例がない。この連載の「眞子さんの乱」でも書いたが、国民は婚約破棄が当然と思っていたのに、最後まで結婚を貫いたこともそうだ。異例といえば異例である。

 

■「伝統を汚す」とか「変質させる」の批判こそ時代遅れ

それに比べると、元皇族とはいえ、眞子さんのNY生活はなんともつましい。日用品を自分でスーパーで購入しているらしい。それも、皇室費から一銭ももらわず、自分で生活していくというのだからたくましい。

 

さて、異例の結婚をした眞子さんに対し、「皇族の品格を汚した」「皇室を変質させかねない」といった批判が今なお根強い。確かに眞子さんの選択は過去に例がない。この連載の「眞子さんの乱」でも書いたが、国民は婚約破棄が当然と思っていたのに、最後まで結婚を貫いたこともそうだ。異例といえば異例である。

 

■「伝統を汚す」とか「変質させる」の批判こそ時代遅れ

 

 しかし、どこが問題なのだろうか。

 

 伴侶となる小室圭

 

さんに対していろいろ批判はあったが、すべて小室家のことである。重ねて書くが、私たちは自分の結婚のことなら個人の自由だと思うのに、皇室の結婚となると家と家同士の結合という、普段なら考えもしないフィルターで見てしまう。

 世間の批判から、結納に当たる「納采の儀」も、挙式の日取りを伝える「告期の儀」も、天皇皇后に感謝を伝える「朝見の儀」もなかったことは、たしかに異例だ。世間では結納などしないことは当たり前でも、皇室は別で、伝統を守れということだろう。

 

 しかし、皇室の儀式には明治になってできたものが少なくない。できたてほやほやの新政権を皇室中心にまとめるため、皇室の権威づけにさまざまな儀式が「伝統」かのようにつくられた。「納采の儀」もその一つである。

 

 戦前の大日本帝国憲法と皇室典範が対等であった二元法体系なら問題はなかっただろうが、現在の憲法は、結婚は両性の合意のみによるとしている。納采の儀にこだわることの方がおかしいのではないか。皇室だけが超越して存在できる時代ではない。もし皇室の「伝統」をいうなら、1000年以上も前の太古から続いている儀式だけを継続すればいいのではないか。

 皇室を変質させかねないという論もおかしなものだ。皇室もまた時代の中で生き続けているのであり、当然時代に適応していくべきだろう。むしろ、そのように改革していかなかった宮内庁の責任は重いといえる。

 

 眞子さんの結婚が大きな問題になった時でも、身を削って解決しようと試みた形跡はないし、親身になって眞子さんの相談に乗ったとも聞かない。眞子さんの結婚に対する批判があったのに、国民に理解してもらおうと丁寧に説明することもなかった。皇室に降りかかっている問題を、宮内庁長官を含め、自分たちの責任として解決しようとした職員は果たしていたのだろうか。この無責任体制こそ、眞子さんを追い詰めていったとしか思えない。

 

 時代は大きく変化しているのに、皇室だけは何もしなくても生き延びられると思っていることの方が異例であろう



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