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中村玉緒「生まれ変わっても勝新太郎と結婚したい。お金には恵まれませんでしたが、人との出会いに恵まれました」

2021-12-18 12:00:00 | 日記

下記の記事は婦人公論.jp様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

 

女優として長年活躍し、バラエティ番組でも人気の中村玉緒さん。今年はインスタグラムやYouTubeを始めるなど、挑戦の年となりました。家族との死別や借金を乗り越え、前向きに生きる玉緒さんの考える幸せとは──(構成=丸山あかね 撮影=洞澤佐智子)

健康の秘訣は趣味にあり

7月に82歳になりました。おかげさまで元気に過ごしております。

今でも、昔から大好きなスロットをして、お仕事もやらせていただいて、無理なく気ままに暮らせています。そんな私を家族やスタッフが気に掛けてくれるので、不安も不便も何もないんです。本当にありがたいことですね。

先日、写真誌に「中村玉緒、パチンコ通い」なんて報じられていましたけど、私としては「それが何か?」という感じ。今日もこれからスロットをしに行くんです。ぐふふふふ。時間が空いたから行くのと違います。最初からスケジュールに組み込んでるんです。夕方に1時間ほどスロットをして帰ると心がすっきりして、よぉ寝られますから。私にとってスロットは精神安定剤みたいなものなんですよ。

 

麻雀も昔から好きで。指先を使うとボケ防止になると言いますしね。私はスロットのレバーは右手で操作する、麻雀牌は左手で取る……つまり全身運動になっているわけで(笑)。これが健康の秘訣だと思っています。

幸いなことに内臓はなんともないんですけど、脚がねぇ。ある時、右脚が痛くて歩けなくなりまして、人工股関節全置換術を受けました。手術して3年になりますが、今年中にまた検査しに行くんです。だってひとりで出歩けなくなったら困るんですよねぇ。私は家にじっとしていることができまへんねん。

誰だって家にじーっとしてたら、ええこと考えないのと違いますか? 「この先、どうなるのだろう」とハラハラしたり、「あの時、こうすればよかった」と後悔してはため息をついたり。けど落ち込んだところで何も解決しません。未来のことは誰にもわからない。過去は変えられない。だからクヨクヨ考えない。それが一番なんですよ。

コロナによる自粛中は嫌でも家に引きこもっていたでしょう?

モヤモヤする時は友達と電話で話すこともありました。同世代のお友達では五月みどりさん、水谷八重子さんとか……。みなさん潑刺としておられますので、ちょっと声を聞くだけで刺激をいただいて、私もまだまだイケると思えてくる。持つべきものは友達だなとつくづく思うのです。

いいことも悪いことも明日に持ち越さない

今は新しいことにチャレンジするのが楽しくて。今年の2月頃に、まずインスタグラムを始めまして、続いて3月にYouTubeも開設しました。私がどういう人間で普段どうやって過ごしているのか、若い人にも知ってもらうのが大切だと、事務所のスタッフをはじめ、周囲の人たちに勧められたのがきっかけです。YouTubeはお金になると聞いて、俄然、やる気になったんですけど、そんなに稼げるものではありませんね。(笑)

それでも続けているのは、みなさまに喜んでいただきたいから。それで『徹子の部屋』に出演させていただいた時の楽屋での様子や、ソフトバンク戦を観に行った時の様子をアップしました。視聴者の方からのコメントも、スタッフに読んでもらっているんですよ。

若い頃の玉緒さん(左)と勝さん(玉緒さんインスタグラムより)

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YouTubeのチャンネル名は私の座右の銘、「今日のことは今日で忘れる」とつけました。毎日、いろいろなことがありますけど、いいことも悪いことも明日に持ち越さないと決めてますねん。いいことは驕りにつながるし、悪いことを引きずれば心が晴れませんから。すっきりと生きるためには、自分のことは自分で決めることが大事です。そのうえで問題が生じても人のせいにしないこと。私、言い訳だけはしたくないんです。

 

それに、人の悪口は言いたくないし、聞きたくもないんです。誰かの悪口を言ってくる人に対しては、「そうですか」と応対はしますが、心の中では「この人とは距離を置こうかな」と思ってます。そして実際に静々と離れます。

人の批判をしている暇があったら、人を楽しませたいんですわ。たとえばですか? 飛行機に乗る時の荷物検査で「最初に言っておきますけど、大麻は入っておりまへんで」とか言ってみたり。検査官の方が「えっ!」という顔をなさる。

このブラックジョークはいつも大ウケで、昔やったらワーッと笑いが起こるところなんですけど、近頃の若い検査官の方は主人(故・勝新太郎さん)の起こした「あの事件」をご存じないんですね。不思議そうなお顔をされるばかりで、ちっともウケまへんので、もうネタにするのをやめました。(笑)

主人の命日を覚えていなかった

主人が亡くなって24年、息子の三回忌を終え、昨年は兄(四代目坂田藤十郎さん)も他界してしまい……。兄が老衰のため都内の病院で息を引き取ったのは11月12日だったのですが、その日、私の部屋に現れたんです。「お兄ちゃん、何してはるの?」と尋ねたら、ファーッと消えた。そのすぐあとに親戚から電話がかかってきまして、「今しがた息を引き取りました」と。兄の霊魂がお別れを告げに来てくれたんだと思いました。私には霊感なんてないんですけど、ああいうことがあるんですねぇ。

それにしても寂しくて。愛する人との死別は本当にこたえます。その都度、自分はもう立ち直れないのではないかというほど落ち込んで。主人の時は命日を覚えていなかった。悲しすぎて、頭では理解できても、心は受け入れることができなかったのでしょう。

若い頃の玉緒さん一家(玉緒さんインスタグラムより)

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それでもやがて静かな心で、現実を受け止めることができるようになるんです。時間というのは老いるという意味においては残酷ですけど、悲しみを癒やしてくれる優しいものでもあるのだと思います。

 

私の目下の楽しみは、主人の一番弟子だった松平健くんとご飯を食べに行くことです。松平くんは私のことを「玉緒さん」とは言わず、「奥さん」と呼びます。瞬時に主人が生きていた頃へとタイムスリップするようで、それが嬉しい。

主人とは映画『かんかん虫は唄う』で初めて共演したんですけど、最初は結婚するとは思いませんでした。当時は市川雷蔵さんとのほうが共演も多くて、噂になったこともありましたし。

ある時、主人が開いたホームパーティーの席で、主人のマネージャーから「勝さんのこと好きですか?」と訊かれて、「好きか嫌いかといえば好きです」と答えたんです。そうしたところ、またもやマネージャーを通して「勝さんが結婚を前提にお付き合いしたいと言っています」と。とってもシャイで繊細な人でした。

「勝プロダクションの倒産、大麻事件、莫大な借金……。苦労は絶えませんでしたが、私は生まれ変わっても主人と結婚したいと思っています」

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ズルいけれど憎めない人

私の父(二代目中村鴈治郎さん)に「娘さんをください」と挨拶する時、緊張から10円禿ができてしまったほど。23歳で結婚してからも、喧嘩をすると自分で謝ることができなくて、でも仲直りしたいとイジイジ。主人の親友だった石原裕次郎さんから電話がかかってくることもありました。「玉緒ちゃん、許してあげてよ」って。裕次郎さんに言われたらねぇ。

主人はズルいんですけど、憎めない人でね。ある時、夫婦茶碗の私のほうが割れてしまったことがあって。私は何でもいいやと適当なお茶碗を使っていたんですけど、主人は「玉緒、夫婦茶碗は片方が欠けたら両方とも買い直さないといけないよ」って。ロマンチストなんです。私はあれほどまでに純粋な人をほかに知りません。

勝プロダクションの倒産、大麻事件、莫大な借金……。苦労は絶えませんでしたが、私は生まれ変わっても主人と結婚したいと思っています。

 

思い出はいつも優しく心に寄り添ってくれるんです。2人の子どもに恵まれ、家族4人でいろいろなところへ行きました。主人は子煩悩でしたから、微笑ましい光景がパーッと思い浮かんできます。あれが幸せでなくてなんだろうと心がほっこりしてくる。すると私の人生は素晴らしいと確信することができて、生きる力が湧いてくる。思い出が与えてくれる、生きる力というのがあるんですよ。

何年か前の話ですが、個人タクシーに乗ったら運転手さんが「支払いはいいです」とおっしゃるんです。「勝さんから1500円のタクシー代のところ1万円いただいたことがありますから」って。人の喜ぶ顔を見るのが好きだとはいえ、そんなことをしていたら借金も膨らみます(笑)。困ったものだと思いながらも、何十年経っても主人の思い出が誰かの胸に残っていることを誇らしく感じるのです。

50パーセントは素の奥村玉緒で

生まれ変わっても勝新太郎の妻でいたいと言いましたが、借金を背負うのだけは二度とイヤですね(笑)。主人の死後、私は14億円もの借金返済に追われましたが、あれは本当にしんどかった。

ところが私は数々の運命的な出会いによって、長いこと時間はかかりましたが、やっと借金を完済することができまして。自分でも信じられへんのです。奇跡だと思います。

1990年、私はナイトクラブで歌を歌って稼いでいたのですけれど、ある日、着物作家の千地泰弘さんから着物制作のお話をいただきました。老舗の呉服店の社長さんをご紹介いただき、発表した「玉緒のきもの」が、当時着物には珍しかった薔薇を入れたデザインが好評で、たくさん売れたんです。

 

続いて93年には明石家さんまさんとの出会いに恵まれます。トーク番組に出ている私を見てピンときたとかで、『さんまのまんま』に呼んでくださった。そこから、さんまさんのバラエティ番組に出演させていただくようになりまして。さんまさんは私のことを「お母さん」と呼ばはりますが、本当に親子の縁で結ばれているのではないかと思ってるんです。

私はお金には恵まれませんでしたが、人との出会いに恵まれました。仕事を支えてくれる長良プロダクションの方々もそうですし、スロットと麻雀のお友達も。「人はひとりでは生きていけない」というのは、私のためにある言葉みたいですね。本当に、たくさんの仲間に助けられてここまで来ましたから。

今後の目標は、あと3年生きること。3年後くらいにポックリ逝けたら本望なんです。

私は主人亡きあと、半分は男になったと思っています。借金を返すため、子どもたちを育てるため、がむしゃらに働いてきましたから。

でもこれからは、50パーセントは中村玉緒としてお仕事をさせてもらって、50パーセントは素の奥村玉緒で好きなことをして生きたいと思うのです。仕事では気になる方との共演など、もっと新しいことに挑戦したい。もちろん趣味のスロットと麻雀もますます楽しみたいと思うてます。(笑)

玉緒さんがインスタグラムにアップしている書(玉緒さんインスタグラムより)

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私はどんなことがあっても、夜には主人の遺影の前でその日の出来事を話して、楽しい時間を過ごします。一日一日を、自由に気取らず、悔いなく過ごしていれば、自然と笑顔になります。笑顔が大事。笑う門には福来るって、ホンマなんですよ。

*中村さんインスタグラム

@tamao_nakamura https://www.instagram.com/tamao_nakamura/

 

*中村さんYouTubeチャンネル

中村玉緒の今日のことは今日で忘れる

https://www.youtube.com/channel/UCNjAmNmggymDDwtzYM6puGw

 

構成: 丸山あかね

撮影: 洞澤佐智子

ヘアメイク: 鈴木將夫

スタイリング: 堀口健一

 

出典=『婦人公論』2021年12月14日号

中村玉緒

女優

京都府生まれ。1953年、松竹映画『景子と雪江』でデビューし、54年に大映入社。その後、長良プロダクションに移籍し、映画やドラマ、バラエティ番組で活躍する。私生活では62年に俳優の勝新太郎さんと結婚し、2児をもうける。Instagram、YouTubeチャンネル「中村玉緒の今日のことは今日で忘れる」で最新情報を配信中

インスタグラム @tamao_nakamura

YouTubeチャンネル 中村玉緒の今日のことは今日で忘れる



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