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コロナで死に瀕した女医を見守った看護師の回顧

2021-12-22 13:30:00 | 日記

下記の記事は東洋経済様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

 

2017年に始まったオランダの日刊紙『デ・フォルクスラント』のコラム「ある特別な患者」は当初の予想に反して大反響となり、書籍化されオランダのベストセラーとなった。

その内容は医師や看護師たちが「自分の人生を変えたひとりの患者」について語ったインタビューをまとめたものだ。医師たちの本音や葛藤が赤裸々に記されており、一般読者から専門家まで、多くの人々に感動を与えた。

新型コロナウイルス、虐待、出生前診断、難病、安楽死など様々な問題をめぐる物語であり、「どう生きるべきか」について考えるヒントにもなる。アメリカをはじめ世界中で続々と翻訳出版され、日本でも刊行された本書『ある特別な患者』の中から、新型コロナウイルス、虐待、安楽死に関するコラムを1つずつ、計3回に分けてお届けする。

 

新型コロナウイルスにかかった女性医師

●暗闇のなかで /ヨゼ・シュロー(集中治療看護師) メタが集中治療室に移されたのは、入院から数日たった土曜日の朝だった。そのときにはもう、彼女は最悪の事態を覚悟していた。

その日の夜、メタから「集中治療室に入った」と連絡をもらったので、私は夜勤が始まってすぐに彼女のもとを訪れた。ひどい熱を出し、息切れを起こし、苦しそうにあえいでいる彼女を見て、私は状況の深刻さを理解した。

メタは、20年以上前から私と一緒に働いている集中治療医だ。数日前、彼女は新型コロナウイルスに感染し、自分の病院の患者になってしまったのだ。

そのウイルスがどんな症状をもたらすかは、彼女自身、嫌というほどわかっていた。

2度と家族に会えない恐怖

いずれ人工呼吸器が必要になるのは明らかだった。これからのことを考えると怖くてしかたがない、とメタは言った。

鎮静剤を投与したあと、彼女がもう2度と目を覚まさない可能性はゼロではなかった。しかし、感染の危険がある以上、夫や子どもや友人たちに会うことはできない。

メタは深い孤独のなかにいた。

そのときの彼女のようすは見るに忍びなかった。やがてメタは感情を抑えきれなくなり、大声で泣きはじめた。それが迫りくる死への恐怖のせいなのか、愛する家族にさえ自分の思いを伝えられない苦しみのせいなのかは、私にはわからなかった。

「スマートフォンでメッセージビデオを撮るのはどうだろう?」と私は提案してみた。少しでもメタの気持ちを落ち着けてあげたかったからだ。

メタはそのアイデアを気に入ったようだった。でも、私が気を遣って部屋から出ようとすると、彼女は「ここにいてほしい」と言った。

私は言われたとおり、防護服を着たままベッドサイドに腰を下ろし、愛する人たちに語りかけるメタの姿を彼女のスマートフォンで撮影した。

落ち着きを取り戻したメタ

ビデオを撮っているあいだ、メタは驚くほど落ち着いていた。さっきまで彼女を支配していた混乱は、影もかたちもなくなっていた。もしかしたら、家族に余計な心配をさせないように、必死に感情を抑えていたのかもしれない。

私はその間、自分が邪魔者だという気持ちをぬぐえずにいた。メタが心の奥底で何を思っているかなんて、できれば聞きたくなかった。

とはいえ、途中でやめるわけにもいかないので、私はその場にとどまった。こうして私は、メタの人生における最もプライベートな時間を共有することになった。

彼女は最後まで落ち着きを失わなかった。もう2度と家族に会えないかもしれないという状況でそんなふうにふるまえる彼女の強さに、私は心から驚いていた。

冷静な口調で話す彼女と向き合いながら、私は自分にこう言い聞かせた。メタがこんなにも懸命に感情を抑えているのに、私が泣くわけにはいかない、と。何度も嗚咽が漏れそうになったが、私は必死にこらえつづけた。

あの日の記憶は、いまでも頭のなかの手の届かない場所にしまってある。思い出したらきっと……涙があふれてしまうからだ。

その後、事態は急展開を見せた。鎮静剤が投与される前、メタは私たちにいくつかの指示を出してきた。「このカテーテルを使いなさい」「こまめに足に触れて、体温が下がっていないかを確認しなさい」といったことだ。

病気で苦しんでいるのは自分だというのに、メタは最後まで医師としての仕事をまっとうしたのだ。そんな彼女を見て、私たちの顔には自然と笑みが浮かんでいた。

まもなく、メタはうつ伏せに寝かされたまま眠りに落ちた。私たちにできるのはそこまでだった。あとは……彼女しだいだ。

ところが、彼女はその日のうちに別の病院に移されることになった。同僚たちが、「メタの治療にあたるのがつらい」と言ったからだ。

私は最初、彼らがなぜそんなことを言うのか理解できなかった。メタは私たちの仲間なのだから、私たちが面倒を見るのが当然だと思っていた。

でもその後、私も同僚たちと同じ気持ちになった。

「患者の家族」こそが本当の英雄

その日、私ははっきりと悟った。新型コロナウイルス感染症は、私がこれまでに見てきたなかで最もやっかいな病気だ、と。

ひとりでベッドに横になり、生きるために必死に闘うメタの姿は、このウイルスの恐ろしさを端的に表していた。

最近、医師や看護師を「英雄」と呼ぶ人が増えているが、私に言わせれば……本当の英雄は「患者の家族」だ。愛する人の顔を見られないまま、家にとどまって不安や恐怖と闘っているのだから。

彼らがどれほどつらい思いをしているかは、想像にかたくない。別の病院で治療を受けているメタのことを思いながら、私はほかの患者のケアに力を注いだ。患者が孤独に押しつぶされないように、ベッドに家族の写真を飾り、音楽をかけ、時間の許すかぎり病室に顔を出した。

最終的に、メタの容体は回復した。別の病院に移されてから10日後、人工呼吸器が外されたという知らせが入ってきて、私たちはほっと胸をなで下ろした。

その後、彼女は私たちの病院のリハビリ施設で数週間のリハビリを受け、無事に家に帰っていった。

退院から2カ月後、私は彼女の家にお見舞いに行った。まだ全快には程遠かったものの、メタは元気そうな笑顔を見せてくれた。

寄り添うことで同じ道を歩く

以来、私とメタの関係は少し変わったように思う。もともと彼女はとても親しみやすい女性だったが、感情をあらわにすることはなく、常に他人と一定の距離を置いているように見えた。

『ある特別な患者』(サンマーク出版)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします。紙版はこちら、電子版はこちら

しかし、あの土曜日の夜、メタは私の前で悲しみに打ちひしがれていた。私はそんなメタに寄り添ったが、彼女がそのことをどう思っているのかはわからなかった。

私はただ、思いついたことを実行に移しただけだ。でも退院後、メタはそのときの気持ちを話してくれた。

「私が暗闇のなかにいたとき、そばにいてくれてありがとう。あのとき、あなたの人生と私の人生が交わったような、不思議な感じがした。短い時間だったけど……きっと私たち、同じ道を並んで歩いてたのね」

いまや私たちは、かけがえのない時間を共有している。

私もメタも、あの日のできごとをけっして忘れないだろう。

エレン・デ・フィッサー : オランダの日刊紙『デ・フォルクスラント』の科学ジャーナリスト



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