皆さんのお役に立てば幸いです

色々の無料ホームページからお役に立て様な記事を探して掲載します。主に健康・くらしです。

秋篠宮さまが語る“ご家族”…名前を伏せる眞子さんに「あんたどっかで見た顔だね」、紀子さまが私邸の悠仁さまのもとへ“駆けつけた日”

2021-12-02 11:00:00 | 日記

下記の記事を文春オンライン様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

儀式を終えた悠仁さまは報道陣に……
 「ゆうゆう」と名付けたのは、父、秋篠宮さまだ。今では家族の間で「ゆうちゃん」と言われたり、姉の眞子さまや佳子さまからは「ゆっぴー」と呼ばれ可愛がられている。

 秋篠宮家の長男、悠仁さまはもう5歳。11月3日、東京・元赤坂の赤坂東邸で「着袴(ちゃっこ)の儀」と「深曾木(ふかそぎ)の儀」が無事行われた。これらは5歳を迎える頃に健やかな成長を祝って行われる皇室儀式で、一般家庭の七五三にあたるものだ。平安時代から伝わるもので、特に「深曾木の儀」は主に男子皇族の儀式とされ、秋篠宮さまが行って以来、41年ぶりとなった。

「深曾木の儀」では童形服(どうぎょうふく)姿の悠仁さまが、髪を少し切り取られた後、碁盤の上から飛び降りた。なぜ碁盤かは諸説あり不明だが、秋篠宮ご一家らが儀式を見守った。

 儀式を終えた悠仁さまは、報道陣から「おめでとうございます」と声をかけられると、「ありがとうございます」と答えていた。

 悠仁さまは平成18(2006)年9月6日に秋篠宮ご夫妻の3番目の子供として生まれ、現在はお茶の水女子大学附属幼稚園に通う。皇室に男子が生まれたのは、秋篠宮さま以来、41年ぶりのこと。

 悠仁さまは皇太子さま、秋篠宮さまに次いで皇位継承順位3位。「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定めた現行の皇室典範の下では、皇太子ご夫妻の長女、愛子さまにはその資格がなく、このままいけば将来、悠仁さまが天皇となる。皇太子さま、秋篠宮さまの次世代の継承者であるだけに悠仁さまの成長ぶりは国民の関心を集めている。

 私は秋篠宮さまと20年以上、交際を続けている。悠仁さまが生まれてからの5年間も折に触れ、宮さまの「父」としての姿や言葉を見聞きしてきた。悠仁さま5歳に合わせ、その姿を伝えてみたいと思う。

「単語の数が増えてきたように感じます」
 生後3カ月近くの悠仁さまについて、宮さまは「よく眠って、よく泣いて、よく笑って。よくお乳も飲んでいます」と語り、悠仁さまのそばで「エル・コンドル・パサ(コンドルは飛んでいく)」などの曲を鼻歌まじりにギターで弾くことを明かした。1歳を過ぎたころには、「数歩ぐらい、一人で歩くようになりました。行動範囲も広がり、目覚まし時計や玄関のチャイムなどに興味があるようです」と宮さまは話し、紀子さまは、「小さな探検家のように関心を抱く物に手を伸ばして、確かめようとかわいい指でさわったり、関心の対象に向かって勢いよく進んで行ったりする」と話していた。

 悠仁さまが少しずつ言葉を発するようになったのは2歳のころだった。

「単語の数が増えてきたように感じます。まだセンテンスで話すということはないのですが『ごちそうさま』が『ごちそうさまでした』というふうに少しずつ言葉が長くなってきました」

 と宮さまは語っていた。3歳のころになると、三輪車に乗って外で遊んだり、宮邸の庭でカブトムシやカマキリを捕まえて遊ぶなどかなり行動的になった。また、食事や着替えなど身の回りのことも自分でできるまでに成長した。
学習院ではない“異例の選択”
 昨年春に東京都文京区にあるお茶の水女子大学附属幼稚園に入園した。宮さまや兄皇太子さまは学習院幼稚園に進まれただけに、国民からは少なからず異例のことと受け止められた。

 この選択はご夫妻が3年保育(学習院幼稚園は2年保育)を強く望まれたことのほかに、「早い段階から子供たちの社会に入れたらよい」との気持ちからのようだ。

 幼稚園では、庭で友達と虫探しをしたり砂場遊びをしている。室内では木製の線路をつなげて電車ごっこをするなど元気な様子だ。紀子さまは「幼稚園生活を始め、自分がしたこと、うれしかったこと、驚いたことや不思議に思ったことなどを目を輝かせながら話してくれます」と話し、宮さまは「幼稚園をエンジョイしているようなので、私もうれしく思っております」と喜んでいる。


 今年、悠仁さまは幼稚園生活2年目。年中組となったが、昆虫や植物への興味が続いている。夏場は昆虫採集と畑仕事に熱中したようだ。宮邸だけでは飽き足りず、毎週末はご両親と一緒に御所に出掛け、両陛下に挨拶をした後、皇居の森で昆虫採集をした。悠仁さまと紀子さまが虫取りに出掛けている間、宮さまは天皇、皇后両陛下と歓談する。

土にまみれながら野菜の世話をする悠仁さま
 また、宮邸の庭の畑ではニンジンやブロッコリーを栽培。悠仁さまは水撒きをするなど土にまみれながら野菜の世話をした。現在、宮殿の庭にはテンジクネズミ科の体長70センチほどのマーラが2頭いる。池にはコイとアオウオがいる。今年夏になる前に悠仁さまは、宮邸の居間でスズメガの幼虫(約15センチのイモ虫)を見つけ飼育。やがてクロメンガタスズメの成虫に育った。

 生き物や植物が好きなところは宮さまと共通している。それも二人とも、「大きいもの」を好むところがそっくりだ。悠仁さまは、昆虫は何でも好きなようだが、図鑑を見ながら世界最大のガで羽を開くと13、4センチ以上にもなるヨナグニサンにも心ときめかせている。

 恐竜にも興味を持つ悠仁さま。一部の骨しか出土していないが、史上最大といわれる草食恐竜のアルゼンチノサウルスが好きだ。
秋篠宮さまがハラハラする悠仁さまの“行動”
 世界の生き物が紹介されるNHKテレビの「ダーウィンが来た!」を一緒によく見る。また、本を見ながら大きさ比べをする。宮さまと一緒に犬や恐竜同士で大きさを比較して、

「こっちが大きい」

「こっちの方が大きいよ」


 と話し合っている。図鑑などで新しい知識を吸収している悠仁さまは本物に触れてみたいらしく、最近は動物や植物でも「○○が見たい」というのが口癖だ。

「昆虫でも木でも興味があるものの多くは日本にはないものですから、外国に行かないと見られませんね。タイ、ラオス……。マダガスカルもおもしろいですね」

 と、宮さまは早くも悠仁さまと一緒に外国へ調査に出掛ける日々を思い描いている。

 そんな二人は今、超大型犬を自宅で飼いたいと考えている。紀子さまは「小さい犬もかわいいじゃない」と水を向けるが悠仁さまは頑としてきかないらしい。

 ただし、「成犬前でもシェパードほどになり、散歩中に綱を引っ張られて危険なため、自宅で飼育するにしても悠仁がもう少し大きくならないと難しいですね」

 と、宮さまは考えている。

 生き物が好きな二人は、男同士ということもありとても仲良しだ。一緒にお風呂に入り話をしたり、宮さまが両手で「水鉄砲」を作って、それで悠仁さまにお湯をかけたりして遊ぶ。右手の3本指を左手の手のひらで包み込み、指と手のひらの間にお湯を入れて勢いよく飛ばすという仕組みだ。

「成長するにつれ、行動の幅が広がっているように思いますね」と、宮さまは目を細める。たとえば宮さまは木登りは苦手だが、悠仁さまは高い木の上も大丈夫。下から宮さまはハラハラしながら見守り「早く降りて来い」と、いつも心の中で心配している。

 勉強のほうはというと、悠仁さまはひらがなは読めるようになった。漢字はまだ難しいが、画数の多い漢字が好きだ。文字というよりも絵の感覚で親しんでいる。

震災当日、紀子さまは悠仁さまのところへ
 東日本大震災後の秋篠宮ご一家の支援活動は、幼い悠仁さまに少なからず影響を与えているのではなかろうか。

 3月11日、ご夫妻は宮邸の応接室で来客と面談していた。初めはカタカタという小さい揺れがあり、そのうちに大きな揺れを長く感じた。宮さまと訪問客は外に避難。紀子さまは私邸にいる眞子さまと悠仁さまのところへ飛んで行った。私邸にいた眞子さまと悠仁さまは、揺れが収まってから紀子さまと庭に出て様子をみた。都内にいた佳子さまは午後4時ごろに帰宅した。当時、宮邸には宮さまのご家族と十数人の職員がいたがけが人はなかった。

 揺れがおさまったあと、宮さまは電話で両陛下にお見舞いを述べた。宮邸を調べると庭の石灯籠が倒れ、池の水もだいぶ外にこぼれ出ていた。また、宮さまの本棚からは本や資料が崩れ落ちていた。夜中にも余震が続いた。電車が止まるなどしたため帰宅できず宮邸に泊まる職員もいた。
「上からの目線ではいけないのではないのか」
 3月18日、ご夫妻は、いずれも紀子さまが総裁を務める「結核予防会」と「恩賜財団母子愛育会」の幹部から被災地の状況や被災地支援について説明を受けた。3月末にはご夫妻と眞子さま、佳子さまの4人は、外務省国際法局長などから諸外国の震災支援の様子などを説明された。4月7日にご夫妻は東京都江東区の避難所を訪問したのを皮切りに、新潟県や群馬県の避難所を訪れた。5月10日、青森県内の被災地を訪問。引き続き、7月初めにかけて岩手県大槌町や山田町、福島県いわき市、宮城県気仙沼市などの被災地を回った。ご夫妻らが大震災の関連で出掛けた回数は今年10月初めまでに30回近くにのぼる。

 太平洋岸にある岩手県大槌町は、アワビやウニなどの海の幸や豊かな自然に恵まれている。また、貴重な淡水魚「イトヨ」の生息地としても知られている。宮さまは、シンポジウムに出席するため同町を訪れたことがある。また、ご家族も同町を訪問したことがあるなど縁は深い。大震災で大きな被害を受けたが、今年5月末、同町を訪れたとき、以前、宿泊したことのある海沿いの5階建てのホテルが3階まで津波に飲まれていたのを目撃し、驚いたという。

「やはりテレビで見るのと現地で被災状況を目の当たりにするのとでは大きく違います。被災地へ来てみると被害の大きさや深刻さがじつによく分かった」


 と話す。被災者に声をかける際には、津波の恐怖を思い出させてはいけない。宮さまは、どの程度、たずねて良いものか気を配りながら住民たちから話を聞いた。

「励ますという、上からの目線ではいけないのではないのか。支援活動のお手伝いをしたい。なんらかの形で関わらせていただきたいとの気持ちでこれからも携わっていきたい」

 と、宮さまは語る。

地元の人からは、眞子さんに「どっかで見た顔だね」
 震災後、宮さまは子供たちに被災地で支援活動をしなさいと強制はしなかった。ただ、「なんらかの形で支援活動に関われるといいね」と、話していたという。こうした気持ちを汲み取ったのか、この夏、眞子さまと佳子さまは、一人のボランティア学生として被災地入りし、子供たちと一緒に遊んだ。

 眞子さまは、岩手県山田町と大槌町、それに宮城県石巻市を訪れ、夏休みの出前講座のお手伝いをした。皇族としての立場でなく一人の学生として参加し、名前等も伏せたままだった。地元の人からは「どっかで見た顔だね。あんた、こっちの出身かい?」と聞かれたこともあったという。



コメントを投稿