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ひきこもりを40年隠し続けた家族の強烈な孤立

2022-01-21 15:30:00 | 日記
下記の記事は東洋経済様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

高齢親子の共倒れや親の死体遺棄事件、「親が死んだらどうしよう」と日々頭を悩ませる家族など、「8050問題」の背景にあるのは、制度の狭間に置き去りにされ、声を上げたくても上げられない、あるいは、たとえ声を上げたとしても、どこにも届かない、という現実である。拙者『ルポ「8050問題」高齢親子“ひきこもり死”の現場から』より一部抜粋し、現場の声をリポートする。
困っている人がSOSを出せない社会
筆者が長年、全国各地の「ひきこもり支援」の現場を取材してきて感じるのは、まず、現在の日本社会は、ひきこもる人たちに限らず、困りごとを抱えた人たちの誰もが、SOSを出しにくい社会なのではないかという点だ。
現在の日本には「ひきこもっているのは恥ずかしいこと」「人に迷惑をかけてはいけない」「困った状況にいるのは自分の責任」といった価値観が根強くある。孤立は、本人の努力不足からくるという「自己責任」論だ。国は「共生社会」という理念を掲げているのに、地域には十分浸透していない。それどころか、現実は「~しなければいけない」とか「~してはいけない」という真逆の価値観に、当事者たちは苦しめられている。
そのせいで、困っていても声を上げることができずに、支援にたどり着くことすらできない。あるいは、ギリギリのところでようやく声を上げることができても、支援とつながったときには、すでに手遅れである事例もたびたび見てきた。
このような社会構造のせいで、ひきこもる子に限らず、「社会に迷惑をかけたくない」と、子を隠し、いわば“監禁”のような状態にしてしまう現状がある。
東京郊外に住む中川家も、親がひきこもる子を「恥ずかしい」と感じ、ひた隠しにしてきた。地域で家族全体が孤立している、典型的な世帯の1つだ。
中川家の次男である正雄さんは、1959年生まれの60歳。現在90歳になる母親と2人で実家暮らしをしている。すでに「8050」を超えた「9060世帯」だ。
正雄さんは、コンビニで買い物をするなどの簡単な外出はできるものの、ほとんど外の世界とつながることなく、約40年間ひきこもり状態にある。
筆者に相談をしてきたのは、正雄さんの妹である2歳年下の芳子さんだ。芳子さんは結婚をして、現在は実家から離れた土地で暮らしているが、90歳の母親が亡き後、兄がどうなってしまうのか、どうしたらいいのか、思い悩んで筆者に連絡をしてきてくれた。
このように最近は、「恥ずかしい」からと決して口外しようとしない親の世代に代わり、兄弟姉妹や叔父、叔母などの親族が、親亡き後に誰が面倒を見るのかといった危機感から相談してくるケースが増えてきている。
家族のあり方にひきこもり状態になってしまった原因が
芳子さんの話によれば、正雄さんがひきこもり状態になったのは、40年ほど前のことだ。
当時、正雄さんは22歳。調理師学校を卒業したのちに、とある日本料亭に就職し、元気に働いていた。しかし、職場は上下関係が厳しく、当時の母親の話によれば、正雄さんはよく顔を腫らしたり、唇が切れていたりする状態で職場から帰ってきたという。おそらく職場の先輩から暴力を受けていたのだと推測できる。
「普通の親だったら、殴られたような跡があれば、当然『どうしたの?』というようなことを聞くと思うのですけれど、うちの両親はそういうことは一切聞かなかったみたいです。幼い頃からコミュニケーションがとれていない家族で、親としての機能を果たしてなかったんです。兄がひきこもり状態になってしまったのも、そういった家族のあり方が原因していると思っています」
そう芳子さんは、振り返る。
そんな状態が続いたある日、正雄さんは突然、家出をしてしまう。おそらく職場のことに思い悩んだ末の行動だとは思うが、真相はわからない。
「兄はとてもおとなしく、気が弱い性格だったので、そのまま死んでしまうのではないか? と本当に心配しましたが、数日で戻ってきました。そのときも両親はとくに兄と話をすることもなく、兄はそのまま退職しました」
以来、正雄さんは働くことはなく、約40年という長きにわたり、社会とのつながりを遮断したまま、現在に至っている。
「父親は、とある大企業で役職についていました。エリート意識がとても強くて、口癖のように『大学というのは東大、京大、一橋のことを言うんだ』と言っていました。私たちは3人兄弟で、ほかに長男である兄がいました。次男の正雄は、勉強ができたので、いちばんかわいがられてはいました。
一方で、父は私たち兄弟3人に向かって、『お前たちは失敗作だ』と言ってくるんですね。大人になってからは、『大企業に入れないお前たちはクズだ』とか。子どもの能力をすごくバカにしていました。母親は完全に父親の言いなりなので、それに対して、どうと言うこともありませんでした」
実は、芳子さん自身も、中学時代の転校がキッカケとなり、一時的に不登校になっていた時期があった。そのことで学校から父親が呼び出されたことがあったが、見栄っぱりだった父親は「自分は海外に出張していて、知らなかったということにしよう」と言ったという。
「そんな父親ですから、当然、兄が大人になってから、ひきこもり状態になったことは、誰にも相談しませんでしたし、恥ずかしくてひた隠しにしていました。周りの親族も、大企業勤めや医者ばかりでしたから、母親も父親と同様に、誰にも相談していません」(芳子さん)
このように誰にも相談することがなかったことから、当然、公的な支援を受けることもなく、家族は社会から孤立してしまった。
経済面も健康面もギリギリの状態
「調理師の世界や、あるいはその職場が向いていないのであれば、こういう仕事もあるとか、必ずしも仕事ではなくても、地域にこんな居場所があるとか、そういう情報をいろんな人から聞いてくるとか、アクションを早い段階で起こしていれば、今の状況も違った展開になっていたのかもしれません」
父親は、正雄さんがひきこもってから約20年後、今から20年前にがんで亡くなっている。現在、母親は90歳。幸いなことに、大きな病気やケガをすることもなく、今は実家で、普通どおりの生活ができているという。だが、糖尿病を患っており、年々、歩行するのも困難になってきている。
芳子さんは、こう不安を吐露する。
「収入は、父親が残した年金と、母親が現在受給している年金のみです。家は持ち家のため、2人で生活する分は、ギリギリなんとかなっていますが、母親が亡くなってしまったら、兄の生活は、立ち行かなくなると思います。固定資産税とか火災保険とか払えなくなると思いますし……。経済面でも健康面でも、悩みだすとキリがありません。
母に介護が必要になったら、母が入院してしまったら、母が亡くなってしまったら、兄はどうなるんだろう……。『その日』が訪れるのは、導火線に火がついたように、間近であるように感じていて、日々、戦々恐々としています」
食事は母親がつくり、兄が自室、母親がリビングでバラバラに食べる。日々の買い物や洗濯、ゴミ出しなどの家事全般も、母親がすべて1人で行っている。
正雄さんは、公的支援は当然ながら、病院にも行っていない。母親も病院嫌いのため、これまで息子を受診させようとしてこなかった。
こうして、本人は「精神疾患でも障害でもない」、親も「うちの子は病気や障害ではない」と否定し、障害認定を受けていないため、支援の制度に乗れない、乗せられないのは、ひきこもりという状態の特徴である。まさに、制度の狭間に置き去りにされてきた課題と言える。
芳子さん曰く、穏やかで優しい正雄さんは「自分なんかが長生きしたら、芳子に迷惑がかかる」と思っているため、病院に行きたがらないのではないかと推測する。
「20年前に父親が亡くなったとき、すでに20年以上ひきこもり状態だった兄が頑張って、喪主挨拶をしてくれたこともありました。もっと早くに、父や母が第三者に相談をしていれば、今の状態にはなっていなかったのではないかと後悔しています。外に出られないわけではなく、亡くなった父親の墓参りに、年に1回は一緒に出かけています。ただ、肝心な話をすることはできないので、どうしたら第三者とつながってくれるのか、と悩んでいます」
未診断のため、障害年金の申請もできないし、持ち家があり、生活が何とかなっているため、生活保護の申請もしていない。年齢的に、国民年金の受給もまだ先だ。
「恥ずかしいから」とその存在を隠し、支援とつながることがないまま、時が経ってしまったケースでもある。
「隠される存在」であることが重荷に
中川さん一家のように、右肩上がりの高度経済成長期を引っ張ってきた親世代の価値観からすれば、ひきこもって働いていない子の存在が恥ずかしく、知られたくないからとその存在を隠し、さらには、うまくいっている家を演じている家族は多い。そんな親の態度を子どもが知ると、自分が親から隠される存在であることを感じて、ますます重荷に感じてしまい、動き出すことができなくなる。
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子は「自分は隠されるべき存在なんだ」と思うと、ほとんど監禁状態のようになり、本人たちはどうすればいいのか、どう生きていけばいいのかわからなくなってしまう。精神的にもどんどん内にこもっていく。
そんな状態が長く続けば、もしも親が「このままではいけない」とようやくアクションを起こそうとするようなことがあっても、すでに本人との信頼関係が崩れていて、コミュニケーションすらとることができず、何をやっても手遅れになってしまうだろう。
最も大切にするべきなのは、何もしなくてもいい、自分が幸せに生きているのなら、それでいいという生きることの意義である。世間体や他人との比較、評価を気にせず、生きることを最優先に考えるように社会全体を変えていく必要がある。
池上 正樹 : ジャーナリスト


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