飛鉄(HITETSU)

飛行機、鉄道などの撮影のあれこれを綴っています。

ゆうづる物語 その28

2017-01-08 07:00:00 | アーカイブ ゆうづる
1033から1週間後に再び同じ場所で撮影している。
確か、大学のスキー合宿の合間を縫って、訪れたと記憶している。
なので、場所もお手軽の駅撮りで撮影している。
天気だけバッチリだが、カマが残念な729。
当時の資料では、青森東区には713、714、715、716
721、727、729が在籍していたが、
713、721、716の牽引のゆうづるは未撮影に終わってる。
余談だが、この頃になると金帯の24系が編成に混じるように
なっている。来る3月改正で北斗星への投入が決まっている
準備編成車両だった。

5レ ED75729 1988年1月31日 苫米地

ゆうづる物語 その27

2017-01-07 07:00:00 | アーカイブ ゆうづる
この頃には6X7の短い焦点距離のレンズでの限界を
感じていた。300mm以上の世界に魅了されてしまった。
35mmはまだペンタのMXというカメラでレンズも200mmが
一番長いレンズだった。300mm以上のレンズを購入する資金もなく
当時6X7のレンズを35mmに転用できるアダプタが出ていた。
6X7のレンズの焦点距離をそのまま35mmで使えるという
画期的なものだった。さっそく購入してMXに6X7のレンズを
取り付けあっという間に300mmのレンズが完成した。
その付け焼刃的300mmで撮影したのがこのカットだった。
雪を舞い上げてやってきたのは1033。天気が残念だが、
わずに雪が付着したマーク、オレンジ色を残したマークが
ゆうづるを象徴していた。

5レ ED751033+158 1988年1月26日 剣吉~苫米地

ゆうづる物語 その26

2017-01-06 07:00:00 | アーカイブ ゆうづる
1月は元旦から勢力的に撮影していた。 学生だった身分ゆえ、資金が底を尽きると遠出ができなく 撮影日も慎重に選んでいたと思われる。 75メインのゆうづるなので、81なんぞには目もくれない なかったが、一回だけバルブに出かけている。 8181も95もあったけど、95以外はすべて ローズピンクが81なので別に今のようにローピンだから ということもなかった。 やはり75に比べると俄然モチベーションもなく ああこんなもんかと思ったのではないか。 特異なカマでもなく普通の田端の81だった。 5分差で走るゆうづる3、5号の上野での ありきたりの風景だった。 しいて言えば臨時の3号がある日しか並びはない ということぐらいか。 よく見るとナンバープレートがブロック式だ。 6003レ EF8190 5レ EF8186 1988年1月17日 上野

ゆうづる物語 その19

2017-01-05 07:00:00 | アーカイブ ゆうづる
見つからなかったネガをようやく発見。
しかしもうひとつのネガは見当たらず。。。
本当に整理していないとどこに何があるのか
全くわからない状態。
さて、苫米地でのカット。
この日は朝青森を出て苫米地に向っているが
青森から雪で前が見えないぐらいの雪だったと記憶している。
苫米地についてもこの雪。
露出もあったもんじゃないのと、マークがほぼ
見えないぐらいの雪だった。
カマはたいしたことはないが、カラーで撮影
できなかったくらいの明るさしかなかった。
多分通過の後はかなりの雪煙に巻かれたろう。
ちなみにこれは3号だが、5号は1039で
撮影済みだが、ネガが黒すぎるのかスキャナが
誤認識で読み取れなかった。
大差はないので、3号だけUPします。
鶴のマークの一部がかろうじてわかるぐらい。
後にも先にも、苫米地でこの雪を体験したのは
この日だけだった。

6003レ ED75729 苫米地~北高岩 1987年12月30日

ゆうづる物語 その25

2016-12-29 07:00:00 | アーカイブ ゆうづる
後続5レは重連だ。155は29日の4レの頭で
上っていったカマでようやくお勤めを終えて
帰路についたことになる。
この4レ時間は、結構上りの普通と被ることが
多い気がする。多分これが定時なのか5レが早く
来ているのかわからないが、こういうことも
加味した立ち位置だったのかもしれない。
これ以上下がってしまうと、客レが
ゆうづるの24系客車の後ろに被ってしまう
恐れが考えられる。
今となってはどっちもだが、当時はまたかと
思ったに違いない。
余談だが、この頃の12系は帯を消されて
青坊主になってしまい、本当に好きになれなかった。
12系オリジナルのままなら、まだ普通列車も
撮影していたかもしれない。

5レ ED75155+146 1988年1月1日

ゆうづる物語 その24

2016-12-25 07:00:00 | アーカイブ ゆうづる
何故か31日の上りは撮影がされていなかった。
天候で止めたのか、カマ番号をみて止めたのか
今となっては理由がわからない。
何故か晦日には、昼間小繋に出向いている。
きっと晴れたからだろうか。
理由は今となってはわからない。
さて、明けて1988年元旦。
撮影地で迎えた元旦。多分鉄人生の中でも
そうそうないと思う。
元旦の撮影はあったが、マルヨはないと思う。
さて、元旦朝も天候は崩れずに穏やかな
朝を迎えたようだ。
記念すべき1本目は、1039の6003レ。
30日に青森駅でバルブしているので
元旦の下りに充当されることはすでに
把握すみだった。

6003レ ED751039(青) 1988年1月1日

ゆうづる物語 その22

2016-12-23 07:00:00 | アーカイブ ゆうづる
迎えた昭和62年(1987年)の大晦日。
例によって苫米地を訪問している。
晦日だろうがなんだろうが、もうゆうづるの廃止は
目前に迫っていたわけで、撮影できる日はすべて
この撮影に充当していた。
この日は快晴の朝を迎えていてた。
残念ながらこの位置だと完全に面に日があたって
ない。もう少し後ろに下がって撮影したら
よかったかもしれない。
29日の上り2本を撮影済みなので、まんま
帰ってくるので当然カマ番号は事前に
把握済みということになる。


  6003レ ED75154(青) 1987年12月31日

ゆうづる物語 その21

2016-12-22 07:00:00 | アーカイブ ゆうづる
後発の4レは146号機で、ホームが違っていたので 撮影向きも逆になっていた。 何故か編成全体を撮影していない。 1039で満足したのか、146でガッカリ感で 撮影意欲がなくなったのか? 6X7だったので、もしかしたら編成全体を 撮影できないほどカマがホームぎりぎりに 停車していたのかもしれない。 当時は6X7のレンズは2本しかなく、 35mmでいう標準レンズは持ち合わせて いなかった。 4レ ED75146(青) 青森 1987年12月30日

ゆうづる物語 その20

2016-12-21 07:00:00 | アーカイブ ゆうづる
その19は、12月30日の下りなんだが、ネガがみあたらなかった。 なので、とび番号でその20としています。 何故か上りは青森でのバルブになっている。 恐らく昼間はED75の貨物や客レしかないので、南部縦貫鉄道で 時間を潰してそのまま青森にきたと思われる。 盛岡から八戸までは100キロぐらいあるので、 次の日のことを思っての行動だったのだろう。 そして初めての1039号機の撮影がこの日のカットだった。 青森はこの時代から上野方は暗くホームの光があたらない のでこういうカットになっている。 7両ぐらいだとぎりぎりホームの光が当たるが 当時7両のブルトレなどなかったので仕方なかった。 この時に30年後、あの悲劇に見舞われるとは 誰しも想像できなかったであろう。 6002レ ED751039(青) 青森 1987年12月30日