飛鉄(HITETSU)

飛行機、鉄道などの撮影のあれこれを綴っています。

ゆうづる物語 その18

2016-12-20 07:00:00 | アーカイブ ゆうづる
後発の4レは重連だった。中線には何もないすっきりとした 風景で本来目指してる絵だった。 何故か記録では153号機となっていたが間違いが判明した。 5と3と見間違ったのだろう。 どっちにしてもカマ的にには大差ない。 4レ ED75155+152(青) 盛岡 1987年12月29日

ゆうづる物語 その17

2016-12-16 07:00:00 | アーカイブ ゆうづる
12月はもう年末の時期になってようやく撮影に出向いている。 年末年始の長期休暇を利用して出かけたのだろう。 毎度の盛岡のバルブからスタートしている。 上り6002レの時間は定期はつかりにいつも邪魔されてた。 今日も漏れなくであった。 この頃は上野に姿を見せなくなった583系だが、ゆうづるの合間にも 殆ど撮影をしていなかった。 今となっては惜しいことをしたが、いつの世も同じだ。 6002レ ED75154(青)盛岡 1987年12月29日

ゆうづる物語 その16

2016-12-15 07:00:00 | アーカイブ ゆうづる
翌日はいつもの苫米地でなく小繋を 訪れている。 30年前の小繋でのカットだ。 ほとんど変わらないが、左の車止めあたりの 線路が今はなく、上下線間の草も生え放題だ。 11月下旬にはここはもう雪景色だ。 カマには雪が付着しており、かろうじてヘッドマーク のゆうづるのマークが残っている。 これで真っ白だと目も当てられない。 再掲示であるが、先日のカシオペアの カットもUPします。 焦点距離も倍なので切り位置も異なりますが。 30年後にここを再訪することなど夢にも 思わなかった。 5レ ED75152+147 小繋 1987年11月29日

ゆうづる物語 その15

2016-12-14 07:00:00 | アーカイブ ゆうづる
夜の上り4レはいつもの盛岡で。 すでに、峠超えをしてきたカマの先頭には 雪が付着している。白魔の季節が始まった証だ。 中線に留置がないすっきりとした本来のバルブだ。 多分気温は0度前後なっている頃だろう。 重連狙いが多い中、単機牽引はさぞかし 物足りなっただろう。 4レ ED75148(青) 盛岡 1987年11月28日

ゆうづる物語 その15

2016-12-13 07:00:00 | アーカイブ ゆうづる
翌日は苫米地に向かっている。 カーブでなく、駅先端より撮影している。 剣吉側からは坂を上がってくるストレートだ。 貨物も最後尾まで納まるストレートだ。 臨時の6003レがない日で、定期の5レのみ 日で今日はこの1枚で終えている。 繁忙期でないため、増車もなくカニ込みで 10両の短い編成時だ。 5レ ED75153(青)苫米地 1987年11月28日

ゆうづる物語 その14

2016-12-12 07:00:00 | アーカイブ ゆうづる
この月は上旬と下旬の2回訪れている。 バイトをしてはその資金を全部費やしていた。 さて盛岡のバルブからスタートしていたが、 案の定中線留置のモカ座の餌食に。 かなり仙台寄りに留置されており、対向ホームからは 撮影できずにこんな絵になっっている。 幸いに重連でない日だった。 ハイビームの餌食にもなってフレアが出ている。 あとから、わかったことだが、左の留置客車 はスーパーエキスプレスレインボー だった。モカ座と同じ線に二本留置 で手前まできて、上りゆうづるの 釜にかかることになった次第だった。 4レ ED75152(青) 1987年11月27日

ゆうづる物語 その13

2016-12-11 07:00:00 | アーカイブ ゆうづる
お約束の定点撮影。 こちらは147号機です。 当時0番台のカマは青森に143から160までが 在籍していました。 多分ほとんどの番号を撮影したような記憶です。 1000番台、700番台などの運用区別はなく 混在共通運用でしたので、どの番号が来るかは 撮影時までのお楽しみでした。 今のような情報インフラは当時は何もなかったわけですから。 6003レ ED75157(青) 苫米地ー北高岩 1987年11月3日

ゆうづる物語 その12

2016-12-10 07:00:00 | アーカイブ ゆうづる
翌日も同じ苫米地を訪れている。 とはいってもまた同じアングルを撮影するわけでは なく別なアングルを撮影している。 ここは先日のカシオペアでも訪問して撮影でき 30年前とほぼ同じでした。 なかなか30年以上前と同じように撮影できる ところも少なく今尚健在なのは嬉しい限りです。 この日は重連ではありませんでした。 ピントの山をはずしていますね。 余談ですが、ナンバープレートがどれも白く 塗られており、折角のステンレスの帯と配色が 揃わず、いつも違和感をおぼえていました。 モノクロでははっき写っていいのですが カラーでは本来銀色のはずのプレートが 白く違和感が鮮明になりすぎる印象でした。 6003レ ED75157 苫米地ー北高岩 1987年11月3日

ゆうづる物語 その11

2016-12-09 07:00:00 | アーカイブ ゆうづる
昨日のコピーではありません。 カマの番号が違います。 これが5分差の定期列車。 こちらは1番違いの715が先頭。 しかしこの715は結構撮影しているような気がします。 当時は700番台っていうだけで半分残念な気持ちでした。 2本とも重連は狙って撮影してるでしょうね、多分。 今なら絶対にありえないことですが、5分差で 優等列車が2本も走ることなど絶対にないでしょう。 5レ ED75715+729 苫米地ー北高岩 1987年11月2日

ゆうづる物語 その10

2016-12-08 07:00:00 | アーカイブ ゆうづる
時はすでに11月を迎えており、もう盛岡側での撮影はきつく なってきていた。カシオペアのような長時間停車はないので 1日1回または2回の勝負となるので、場所選びには慎重だった。 この時期になると300mmクラスの焦点距離を使うことが 多くなってきている。はやり6X7の画質は捨てがたいが、 200mmにもみたないレンズでは撮影パターンも 限度が見えていた。また当時(今も)も有名なカメラマンI氏 の作風に影響を受けてか、とても200mm以下のレンズでは 撮影できないような構図に憧れを抱くようになった。 ようやくここで望遠レンズの使い方の基本を学んだともいえる。 しかし、6X7の交換レンズで35mmの300mmクラスのレンズ などはまったく購入できるはずもなく、そこはお手軽 テレコンバーターにお世話になる羽目に。しかし、標準がF4なので それはもうピント合わせに苦労した記憶がある。 今のようにAFはないしF8といえば、もうファインダーは ほぼほぼ暗くピントの山が殆どわらない感じだった。 それでもいままで使ったことのない領域がファインダーの中には 広がっていて感動していた。 そんななんちゃって望遠レンズあってこそのカットがこの日撮影 されている。場所は有名な苫米地のカーブ、アウト側からイン側 を狙って撮影するこの構図こそがいままでにない作風を物語って いた。今でこそ普通のアングルだが、当時の自分にとっては とても新鮮で斬新だった。以降、私の定番アングルになった。 先日のカシオペアで何十年ぶりにここを訪れたが、線間の 草が生え放題となっており、もうこのアングルは撮影できなく なっていた。往年の撮影地故に非常に残念であった。 6003レ ED75714+1035 苫米地ー北高岩 1987年11月2日