飛鉄(HITETSU)

飛行機、鉄道などの撮影のあれこれを綴っています。

ゆうづる物語 その9

2016-12-07 07:00:00 | アーカイブ ゆうづる
二発目は、構図を縦位置に変更している。 背景の山々の紅葉が綺麗だったことでそうしたのだろう。 結果、その効果どうりとなった。 重連でないのが残念だが、それは贅沢というものだ。 こんな条件で撮影できることはなかなかないだろう。 今のデジタルでは表現できない、レンズ、フィルム などが生みだす産物がここに凝縮されているように 感じる。今見ても十分に美しいし遜色は全くない。 5レ ED75157(青) 小繋ー小鳥谷 1987年11月2日

ゆうづる物語 その8

2016-12-06 07:00:00 | アーカイブ ゆうづる
カシオペアも時期的に是非この場所で一回は狙いたかったが 遂に叶わなかった。 この場所は、快晴でかつ朝日が照らすのは秋の一瞬しかない。 日が短くなると、この場所は晴れていてももう日が当たることは ない。そんな条件下でしか撮影できない場所だ。 この日は狙ったのか偶然だったのかは覚えていないが、 この場所はこの一回きりで撮影終えてる。 残念なのは1000番でないこと、重連でないこと。 もう叶わぬ夢になってしまった。 天気がよく思い切ってカラーを装填して撮影した ことも今となってはよかった。 秋の紅葉も相まって非常に美しいと思う。 一回目は横位置で撮影している。 6003レ ED75154(青) 小繋ー小鳥谷 1987年11月1日

再掲示:ゆうづる物語 その5

2016-12-05 07:00:00 | アーカイブ ゆうづる
添付写真が漏れてしまったので再掲示です。
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水戸以北がED75運用なので、水戸までは田端のEF81がその運用を
勤めていた。まだ北斗星が誕生する以前の話で、EF8195号機ぐらいしか
異端児的なカマもなく、ローズピンクしかあとはいなかった時代だ。
ED75の赤に対して当時はローズピンクはなんか褪せた塗装を
思わせる感じがあり、ゆうづるのマークがつくとは言え、殆ど興味がわかず
また早朝着という条件もあって、EF81のカットは撮影しなかった。
95が運用に入ったというので近場に出かけてみたときのカット。
でもこのカットの狙いは、あけぼのとの並びカット。
推回4レの95と上野着のEF65が運よければこの場所で顔を
並べるというので狙ったわいいが、結果残念なカットに。
ほんの何十秒かの差の産物なんだが、毎日行って狙うような
ものでもなく、この一回きりで終えている。
余談だが、この時代のあけぼののMHはなんか文字は太いわ
赤い色が強いわで好きになれなかった。作りを間違ったとしか
思えなかった。


推回4レ EF8195(田)日暮里 1987年9月14日

ゆうづる物語 その7

2016-12-05 07:00:00 | アーカイブ ゆうづる
2回目の定期4レの時刻には583系がいなくなった ものの、案の定中線には当時のお座敷列車のモカ座が留置されて おり、編成全体が見渡せなくなっていた。 まあこれも今となってはの、、、だが、やはり夜のバルブは おまけ程度だったことを示している。 余談だが、パンタの違い、電機暖房表示灯の形状違いから 次位が700番台であることが伺える。 4レ ED751034+715(青) 盛岡 1987年10月31日

ゆうづる物語 その6

2016-12-04 07:00:00 | アーカイブ ゆうづる
学生故に時間はいくらでもあったが、撮影に先立つ資金はなかった。
8月に東北に行ってからは9月は0回、10月にようやく再訪したが
すでに下旬となっていた。
撮影の始めは、盛岡バルブ。
盛岡は上下線の間に中線があり、普通はここに車両がいるはずが
ないのだが、以外に当時の流行のお座敷客車などが夜間留置されて
いたりして、編成全体が見える日が少なかった。
ならば他の駅にいけばよいのだが、駅構内がある程度明るいこと
停車時間が長いこと、などの条件をクリアしているのは
盛岡ぐらいだった。
なので中線の留置車両がいるのは折込済みとして撮影せざるを
得なかった。
今日はなんとはつかりの583系が停車中で、これもまた
リスクだった。今となっては貴重な並びではあるが当時は
がっかり感の中、シャッターを切っていただろう。
余談だが、まだこの時代は青森までの新幹線シャトル特急として
はつかりの任を583系、485系が頻繁に走っていた。

6002レ ED75714(青)盛岡 1987年10月31日

ゆうづる物語 その4

2016-12-02 07:00:00 | アーカイブ ゆうづる
やたら重連の写真が多いような気がしますが、 この時代は、常磐線の水戸まではED75の運用範囲でした。 福島のED75は主にあけぼのや東北本線での臨時運用に 充当されていましたので、常磐線で運用されることは ありませんでした。なので常磐線界隈での 臨時運用はすべて青森のED75が充当されていました。 しかし常駐という形をとっていませんで、必要都度青森から 送り込まれていました。 その送り込みスジがこのゆうづるのスジでした。 青森から一気に回送でき、毎日あるわけですので 格好の回送スジだったわけです。 行きも帰りもこのゆうづるのスジに乗せて青森~水戸 を往復する度に、重連ゆうづるが走ったわけです。 当時はまだ客車列車の臨時が多くあったのでこういう 光景が結構あったりしました。 単機よりやはり、重連のED75が引くゆうづるが いいわけで、このロジックがわかると、当時の運転報 から重連になる日を狙うようになり撮影に興じていました。 関東から行くわけで一回きりの撮影ではやはりコスパが 悪すぎるので、こういうお駄賃がどうしても欲しくなって いったのでしょう。 ただまだこの頃はそいう意図なしに撮影していたと思います。 多分・・・・ 5レ ED75143+149(青) 渋民ー好摩  1987年8月20日

ゆうづる物語 その3

2016-12-01 07:00:00 | アーカイブ ゆうづる
まだ8月だと盛岡側でも十分に撮影できる。 この時も盛岡側での撮影を行っている。 いまはどうなのかわからないが、この時代には 線路間の草はほぼない。 どこでもすっきりとした絵が撮影できた。 長い編成も気持ちいいが、線路間のすっきり感は いまでは信じられないぐらいだ。 今も撮影できるだろうか。カシオペアの撮影では ここの再訪はできなかった。 おそらく撮影できないのではないかと思う。 6003レ ED75159(青)渋民ー好摩 1987年8月20日

ゆうづる物語 その2

2016-11-30 07:00:00 | アーカイブ ゆうづる
5分差での後走りの定期列車は下に下りて 300mm(6X7用)のレンズに変えて撮影している。 真ん中の信号機が煩いが、個人的にはここでは このカットのほうが好みだ。 今ではありえないが、当時はこれでもほぼ望遠レンズ の領域だった。 35mmでは200mmにも満たない焦点距離のレンズだった。 今度は先頭が1000番台で、こちらも重連での 牽引だった。 あまりED75の形式に頓着した覚えがないが、 やはり1000番台>0番台>700番台の順 が好みだった。1000番台は当時の青森には 後半の1033以降しか在籍がなく1001などは JR貨物へ移籍したため、当時はゆうづるの先頭に 立つことはなかった。 逆に、日本海沿岸仕様といわれた700番台も 東北本線側に進出してきたため、ゆうづなどの 運用にも入るようになり、どの番代が入るかは 当日撮影時にしかわからなかった。 30年前ですので、今のような情報インフラ 機器などは一切なかった時代です。 5レ ED751036+7**? 1987年8月19日 小繋ー小鳥谷

ゆうづる物語 その1

2016-11-29 07:00:00 | アーカイブ ゆうづる
これは1987年8月から1988年3月までのわずか8ヶ月間に 想いを入れて撮影した寝台特急ゆうづるの撮影記録である。 こういうのを衝撃が走ったという表現が正しいのだろうか。 先輩M氏のコレクションを見せて頂いた時のこと、 ED751001の重連のゆうづるの写真。それまで 赤電機などは特段深い興味もなかったので、わざわざ 撮影に行くようなこともなかった。 直流区間にいたので、基本はやはりEF58などがメインで 北の赤電機を撮影する時間と費用があればEF58撮影に 費やしていたような気がする。 M氏はHMが全国的に復活したのでED75のHM区間も 撮影しに行かれたと話されていたと記憶している。 赤い車体にオレンジのヘッドマーク同色系なので 沈んでしまいそうな気もするが、どっこい何故か この組み合わせが映える。またED75とういう D型のカマの組み合わせが何故か無性に撮影意欲を 掻き立てられた。 どこで撮影したらよいかもわからないので、まずは 真似からということで、夏休みを利用して早速現地に 赴いた。 時は東北ブルトレも末期を向かえ、ゆうづるも基本 1往復しかなく、不定期で+1往復あるだけだった。 しかも、5分差のスジという撮影効率はいいが、 まったく構図すら変えられないような設定のスジだった。 残念ながら初めての日は曇り、山合いということもあって 明るさがなくモノクロのフイルムを倍増感の800にして 挑んでいる。6X7とう大判の機材だからこそでもあった。 狙ったから否かは不明だが、初列車は重連だった。 しかも715号機。そう下り最終ゆうづるを牽引した 番号でもあり、私には始まりも終わりもこのカマとなった のは偶然の一致だった。 そしてこの日を境に、翌年3月まで東北通いが始まった。 6003レ ED75715(青)+? 1997年8月19日 小繋ー小鳥谷