11月16日(木)
日の出:4:54 日の入:16:11
7時起床、
8時、5階で和食、同年代の夫婦とピースボート、アウシュビッツ、ユダヤ人問題、差別、日本の軍隊など多彩な話題で話し合うことができた。
10時、帰室
14階でジュース、オレンジを食べ5階で休息
12時、6階で洋食の昼食、しっかりフルコースだった。
男3人と同席、メインは鶏肉、同席した方からオーロラの写真(赤青色が確認された)を見せてもらう、肉眼では白色しか見えない、画像処理して色が出たとのこと。私の写真はオーロラ?
また、望遠で撮った自衛鑑の写真(自衛官が半ズボンでリラッスしている姿)も見せていただいた。恐るべし望遠レンズ、油断できない。
二人は先に去り、残った一人(69歳)の方と懇談した。
13時30分、帰室、休息、カミさんは昼寝、私は船内新聞で封筒(お世話になった方にプレゼントを入れる)作り(8枚作成)
16時30分、森達也監督の映画「福田村事件」ができるまでを見る。
<船内新聞に掲載された内容>
「数々のドキュメンタリーを手がけてきた森さんが、関東大震災直後の混乱の中で実際に起こった殺害事件を劇場作品「福田村事件」に込めたメッセージについて述べる。」
四国讃岐から来た薬売りが関東大震災直後に朝鮮人が襲ってくるとの流言飛語により福田村で村民に襲われ8名惨殺された事件をテーマにしている。殺害に関わった村人は大正天皇崩御の恩赦により釈放されたとのこと。さらに悲劇的なことに襲われた人が被差別部落出身であったことから釈放に対する抗議は無かったとのこと。
上映中なので予告版を見ながらの説明であった。撮影はコロナ感染拡大中で大変だった(誰か罹れば中止)撮影場所もテーマがテーマだけに断られたが幸い森氏の本を読んでいた寺の理解を得て撮影できた、予算も無いので1ヶ月で完成させた。(通常は3ヶ月かかる)。制作は若松プロダクション、製作費1億円(3千万円はクラウドファンディングで集めた)俳優も積極的に出演してくれた。9月配信後、国内で上映されている、韓国の映画祭で受賞し苦手なレッドカーペットを歩いた、中国でも配信するとのこと。関東大震災時に在日韓国人が殺されたことを韓国ではほとんど知られていない、なぜなら在日韓国人は韓国人にとって裏切り者だから(在日韓国人は母国韓国と居住地日本からの二重差別を受けている)
森氏は日本は加害側に立った映画を制作していない、アメリカ、ドイツ、韓国でもしっかり映画化していると言う。安倍元総理など右派は自虐的と言う、また、歴史的な検証(例、南京事件)がまず必要と言う、全員が一致することはない、結局結論は出ない、だから謝らないと言うことか。
11月17日(金)
日の出:5:27 日の入:16:52
海賊対策終了
時差1時間早める 時差7時間 明日0時には8時間になる
夜は音と揺れがあったが朝になると揺れが収まり穏やかな航海
8時、朝食5階で二人だけだった。4人掛けテーブルに二人だけ。誰とも会話出来なかった。
10時、カミさんは運動会の応援、私は読書「我が闘争」、掃除スタッフが窓の覆いを外しに来た。海賊対策は終了、ようやく海が見え、照明を使えるようになった。
12時、カミさん帰ってくる。そのまま6階レストランへ、メイン:ステーキ、デザート:アイスクリーム、多いに満足。
私たちより若い夫婦と同席、北九州市から初めて乗った、レンタカーで乳頭温泉、三陸海岸に行ったことがある、乳頭温泉では白人の女性と混浴で一緒になった(奥さんの前で感激したと言っていた。)、日記を付けているとのこと。私は18年前の航海記はブログで配信している、地元新聞に6回シリーズで掲載してもらったことなどをお話しする。名刺をいただく。
13時、帰室、部屋で読書「我が闘争」
カミさんは運動会へ、
16時、カミさん運動会から帰ってくる。
運動会で出会ったのでNさんへのプレゼントを渡しに行く。
16時30分、カミさん帰ってくる
17時、5階のレストランへ夕食、大きなテーブルにバラバラに座らされて話が出来ない。前菜は牛肉と野菜、スープは牛のテール、コンソメ メインは白身魚のフライ、タルタルソース添え、デザート:ケーキ、コーヒー
私の隣は高齢の女性(80歳代)、離れて同年代の男二人、皆無口で食事。女性がカミさんに「どちらが勝ったの」と聞いてきたので「まだ、わかりません」と答える。その後、会話が途絶え、男二人は結局何も喋らず席をたった。食後、私が「どちらからいらしゃいましたか?」と話しかけると「前は神戸、今は千葉、何もないところ」と言う。色々聞くと50年前に神戸から引っ越してきたが千葉には何も無い、魚は取れるけど良いものは築地に行ってしまうとこぼす。ピースボートには1回目に乗り、飛鳥含めてクルーズ船は今回で4回目とのこと。クルーズ船に詳しい。飛鳥は船も客あしらえも良いがピースボートはボロだけど観光しやすいと言う。元気なお婆さんだった。
18時、5階ロビーで一休み、私は帰室
18時30分、洗濯とシャワー
19時30分、カミさん帰室、ソファで寝ていたとのこと。
21時、カミさんは洗濯して寝る
記録と読書「我が闘争」広告論が面白い、宣伝のポイント、重要性を認識していたことに驚く。
イギリスは優れていると言っている。日本も戦時ポスターが盛んに制作された。(職場の先輩だったUKさんの戦中のポスター作品を思い出す)効果、軍部の意向はどうだったのだろうか?
11月18日(土)
日の出:6:06 日の入:17:39
*時差調整 明日、30分、早める 計8時間30分
予定
14:45〜15:25 航海の雑学 最終回「ランカウイから日本まで」
16:15〜17:15 わくわく寄港地〜コロンボ&ランカウイ島〜
19:00〜 信仰についての集まり(盛岡のMさんから出席するように依頼された)
7時、起床
8時、朝食5階で和食を食べる
我々よりかなり若い夫婦と同席、奥さんは先に用があって退席、夫は残り懇談、盛岡から来たと言うと、盛岡に行ったことがある、息子が地方裁判所に勤務していた、結婚式も花巻でやった、岡山出身なので親戚は飛行機で行ったとのことなど、話が出た。夫は65歳と言うが若い、皺が無いし、髪は真っ黒だった、カミさんもびっくり。
今回、カナダ大使館勤務の息子一家と出会えた、そのことがPBに乗った目的とのこと、二人の孫が写っている撮った写真を見せてもらった。可愛い盛り、5歳の孫と2歳のひ孫を思い出した。
9時30分、帰室、シンドラー博物館、アウシュビッツ強制収容所の記録作成
カミさんは診療室へ
12時30分、カミさんは診てもらえなかったと言いながら帰って来る。
そのまま、咳が気になるので14階へ行き、昼食。やたらと辛い麻婆豆腐、野菜、豚肉、大学芋、ゼリー(抹茶味、珍しく美味しい)、コーヒー牛乳
13時15分、帰室、カミさんは診療室へ
14時45分、航海の雑学最終回、航路図でイスタンブールから横浜までの航路、岬、灯台を説明。
海賊対策での自衛隊の護衛、モンスーン、海流について
「自衛隊の海賊対策」
<状況>
・紅海の出口、一番狭い海峡が狙われやすい、この付近は浅瀬が多く、海賊は狙った船を浅瀬に追い込んで動けなくなったところを襲う。
・海賊は大型船に小さなボート数艘積み込んでいる。襲う時は速度の速い小舟を下ろして集団で襲う。
・タンカーが狙われやすい。(船員も少なく、身代金も多く奪えるからか?)
<対策>
・航行する船はコンボイを組み、なるべく高速で航行する
・危険な地域を明示して注意を喚起している。(かなり広範 西インド洋の南、半分)
・航行指定箇所のポイントA(危険地域)で自衛隊艦からメールが入り護衛をスタート、自衛隊艦が並走する。ヘリコプターも監視、ポイントC(危険度が一番低い)で護衛終了となる。全て英文で事務的に行われる、挨拶などは無い。ポイントAからCまで2日半の航行となる。
・海賊が発見された場合は自衛隊艦とヘリコプターで阻止する、その方法も決められている。
*前号写真参照
終了後、帰室、カミさんは寝ていた。5時30分前にレストランで待ち合わせることにした。
16時15分、7階シアター「わくわく寄港地 コロンボ&ランカウイ島」へ
17時、早めの退室して帰室、カミさんと夕食に5階レストランへ、案内されたのは二人席だった。前菜は鶏肉の蒸煮(美味しかった)、スープ(忘れた)、メインはカシューナッツカレー(口に合わなかった)、デザートは抹茶ケーキ(まあまあ)とコーヒー。
18時、帰室
19時30分、8階、ミーティングルームへ、盛岡のMさんに誘われて宗教について懇談。台湾の青年(大学4年生)、マレーシアの女性(東京外語大学留学経験あり)が参加、神について、キリスト教について、イスラム教について、宗教について体験、考えを交換する。気持ちの良い人たちだった。
21時、帰室、シャワーを浴びる。
21時30分、ラム酒を飲む。
11月19日(日)
日の出:6:19 日の入:17:55
予定
14:30〜15:30 わくわくスリランカ マリオ・ゴメス 7階シアター
7時、起床
8時、朝食、沖縄の親子(母親と娘、中2)、同年代の夫婦(妻/上智卒、司祭と出逢いながら未信者)、いわき市の歳上の女性と同席になる。
沖縄の親子とは沖縄の話、列車で行ったパリの話など、同年代の夫婦の妻とは受洗のきっかけや司祭の話をする。
9時、帰室、掃除は終わっていた。
部屋で読書(我が闘争)と昼寝(眠い)
13時、カミさんの咳がひどいので14階で昼食をする。ご飯、味噌汁、鶏肉、カレー、オレンジ、葡萄。食後、ミニシュークリームと紅茶
14時、帰室、読書、昼寝
17時30分、14階で夕食、ご飯、味噌汁、茄子の煮物、ひき肉の煮物(不味い)、野菜、オレンジ、メロン(食べ頃で美味しかった)。食後のデザートは中国人がうるさく移動する。オーバランドツアーで出会った青年(40歳)の席に座らせてもらう。カミさん転んでウェートレスに連れてきてもらう、本人は何とも無いと言う。ケーキ1個、紅茶
19時、帰室
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