定年夫婦の暮らし方(店長日記)

盛岡に住む定年夫婦(昭和20年生)の暮らしを分ち合います。

115回ピースボート世界一周航海記その39(トルコ・イスタンブール)

2024年03月13日 | 思い出の旅行

 2023年ピースボート航海記 その14(イスタンブール トルコ)
 
     11月5日(日) 05:00ガラタ港、サル、パザール埠頭着岸予定
             21:00 帰船リミット

 4時、目が覚める、あとはうとうとするだけ。
 6時30分起床
 7時朝食、14階から持ってきていたパン3種類(半分づつ)、ミニハンバーグ、野菜、
りんご、みかん、紅茶
 7時30分、終了、観光の準備、遠くからアザールの声が聞こえる。
 8時前、ビスタラウンジへ、入国用のバーコードをもらう。
 説明によるとマラソンの影響でバスではなくトラムで向かうことになったとのこと。下船しトラムの駅前で待つこと40分?どうもトラムが先に行ってしまったようだ。(何の説明も無いが噂が流れて分かった)代わりにフェリーで移動するとのこと。小さな港で待つ、30分以上は待った。小さな港に大きなフェリーが入ってくる、波が高く船は揺れるなか着岸、慣れているようだ。桟橋より船が高く、船員が手で引き上げてくれる、凄い力持ちだった。小さな女性は体ごと引き上げていた。
 全員乗せてフェリーは出発、荒れるボスポラス海峡を航行、かなりの数のフェリーが行き来している、PW号とは違う角度での海や街並みが見れた。やがて城壁が見えてくる、よく見ると城壁に沿った道を人が大勢走っている。今日行われているマラソン大会の様だ。旗を持っているランナーも見えた、市民マラソンも同時に開催しているのだろう。城壁を過ぎると大きなモスクが見えてきた。緑の屋根はブルーモスクに違いない。
 フェリーは小さな桟橋に着けようとしたが波が高く横揺れが大きい、横倒しになるのではとちょっと心配する。波が高いため着岸を諦め別の桟橋(Eminonu)に向かうとのこと。かなり戻って大きな桟橋に横付けする。
 集合場所を確認して解散、PBスタッフがソフィアモスクまで案内すると言うのでついて行くことにした。所狭しと並んでいる商品、煌々とした照明はバザールのような雰囲気、お菓子、スパイス、化粧品、雑貨、照明など多彩な商品を扱っている商店街を抜ける、途中、大きな店でトイレタイム、ピースボートのスタッフと懇意のようだ、日本語で挨拶される、トイレは男女兼用で便器は1つ、先に入った中国人女性がなかなか出てこない、やっと出てきたかと思うと洗面台で髪をとかしたり化粧をするのに呆れた。こんな人が増える中国は大丈夫か?
 更に進んで、Sultanahmet(公園)で解散、公園はマラソンコースになっている、選手が続々走ってくるのが見え、時折、歓声が聞こえる。私たちはソフアモスク(Hagia Sophia Mosque)を目指す、道は凄く混雑して歩きにくい。モスクの近くがゴールの様だ、道がマラソンのために半分になっておりそのために混雑がひどい。モスクに到着、門を潜ると大きな中庭に入る、中央にモスクがあり入口が見える。ソフィアモスクだと思っていたらどうもブルーモスクのようだ、中に入るのは時間制限がある、次は1時30分と言われた。1時間以上あるので入るのは諦めた。代わりに外から中を覗く、中はだだっ広い空間、周囲に小さなステンドグラスの窓が連続して何層にも連なって室内を明るく華やかにしている。壁や柱には黒字に金のアラビア文字の装飾、偶像崇拝が禁じられているので全て抽象文様で飾られている。床は絨毯、大きな円形の照明が頭上近くまで下げられている。祈りの空間として考え抜かれた結果このような様式が完成したのだろう。
 モスクを出て、公園に戻る。公園ではパレスチナの人々がパレスチナの旗を振りイスラエルへの抗議を行っていた。世界にパレスチナ問題を訴えることに尽力している様だ。
 集合場所(公園の下)を確認しに行ったがマラソンコースで道路が遮断されて渡れない、離れた場所に陸橋(下はマラソンコース)が見えたのでそこま歩いて渡たる。大きな城壁が見えてくる、地図で調べると王宮(Topkapi Palase)だった、王宮内(公園)を散策、博物館があったが余裕が無く入らなかった。王宮前でソフィアモスク写真をとる。円形と鉛筆のように尖った4本の尖塔がモスクとしての存在感を表している。高い尖塔はキリスト教会と同様に遠方からの目印(地図)、気づき(信仰を忘れるな!見ているぞ!)としての役割があったと思われる。
 ピースボートの若者がいたので道を聞くと目の前の王宮の城壁の周りを回って行けばSultanahmet(集合場所)に出られると教えてくれた。これで集合場所に戻れると一安心。集合まで2時間ほど時間があったのでバザールやブルーモスクにも行きたかったが体力の問題もあり諦め、休みを兼ねて昼食を取ることにした。城壁を周り、駅の前を通り集合場所Sultanahmetを確認できたので近くのレストランで遅い昼食を取る、レバーケバブ、スープ、ケバブ(パン生地でケバブを巻いたもの)、コーラを注文、スープ、ケバブ(パン生地でケバブを巻いたもの)の順で美味しかった。1万円近い料金は高かった。
 集合場所に10人ほど集まってきたが集合時間の4時になってもバスは来ない、「諦めて歩きましょう」と言うことになった。パシフィック・ワールド号が見えているので迷うことはないので安心して歩くことにした。ガラタ橋(Galata Bridge)を渡る、橋は二重構造になっており上が通常の橋、下は店舗があったとのこと(後から下の道を歩いたと言う人から聞く)。上では釣り人で長い欄干は完全に占領されていた。釣り竿を固定する道具(木製で欄干に取り付ける)に取り付けて椅子に座りただ当たりが来るのを待つ人の行列は異様な風景だった。足元のバケツや発泡スチロールの箱に釣った魚が入っていた。イワシのような小さな魚、鯛の様な丸い魚、サヨリの様な細い魚が見られた。このガラタ橋の先は金角湾(ヨーロッパ大陸に牛の角のように切り込んだ細長い湾)だ。
*後で橋の下を通った人から「上から釣り針が降ってくるし、釣れた魚を引き上げるし、その魚を狙って鴎が飛んでくるし、通るのは大変だった」とのこと。
 歩くことでイスタンブールならではの光景を楽しむことができた。橋を渡り海沿いにPW号に戻る、免税店でカミさんはお土産を購入、キリが無い。
 部屋に戻り、シャワーを浴びる。気持ち良い。混雑のために予定通り観光できなかったが
 ・ボスポラス海峡をフェリーで渡る(小さな船からの旧市街地の景色)
 ・マラソン大会を見物(歓声と人混み)
 ・パレスチナの人々がアピールしている姿(若者がパレスチナの旗を振っていた)
 ・ブルーモスク、王宮、城壁を見物(昔の栄華、国際関係の厳しさ、軍事的環境が偲ばれる)
 ・小さな夫婦で経営しているレストラン(中学生くらいの男の子が手伝っている姿を見た)
 ・釣り人でいっぱいのガラタ橋(Galata Bridge)(庶民のささやかな娯楽?)
 ・バザールの様な店舗(品揃え、展示、照明が演出している)

 

 山火事、爆撃されたように見えたのでウクライナ戦争が飛び火したのかと思ってしまった。

 

 ダーダネルス海峡にあるキリトバヒル城(1463年建設)

 城の上のメッセージはGooglepixel調べで「神に感謝します。私たちはトルコ人です。そして私たちは永遠にトルコ人です。私の種族のトウランの理想万歳」の意味。

 

 イスタンブール港風景、先はボスポラス海峡を経て黒海へ繋がる航路

 

 停泊地の風景、モスクが見える

 

 パシフィック・ワールド号が停泊した岸壁の風景、波が荒い。

 

 ボスポラス海峡の風景、フェリーが行き来する賑やかな港町、ここを抜ければ黒海そしてクリミア半島につながる戦略上重要な海峡である。

 

 フェリーから見た風景、頑丈な城壁に囲まれたかっての東ローマ帝国(旧市街地)

 

 海岸沿いの道をマラソンランナー(イスタンブールはマラソンの大会があった)が走るのが見えた

 城壁の上にトプカプ宮殿が見える。

 

 アヤソフィア(ビザンチン様式の教会350年創建、1453年オスマン帝国によって征服されモスクになる1935年以降は博物館として使用される)

 

 ブルーモスク(スルタンアフメト・モスク)オスマン帝国の第14代スルタン・アフメト1世によって1609年から16年の歳月をかけて建造された。 

 

 市内風景、活気がある。

 

 街の風景

 

 惣菜屋さん、これは何だろう?

 

 パレスチナ人のアピール 

 

 ブルーモスク入口

 

 門を抜けるとモスクが現れた。

 

 ブルーモスクの中庭 

 

 ブルーモスクの全景

 

 モスクの内部を窓越しに撮影 

 

 レストランで

 

 レバー料理

 

 ガラタ橋の釣り風景(釣った鯖を焼いてパンに挟んだサンドイッチ、鯖サンドは名物とのこと)

 

 これでは鯖サンドは無理

 

 夜のイスタンブール港、出航を待つ。  

 

 11月6日(月) イスタンブール出港2日目

 7時、起床、昨日は疲れていたので良く眠れた。
 8時過ぎ朝食5階、納豆、豆腐、さんま、味噌汁、梅干し、すき焼き、ヨーグルト、トマトジュース、日本茶
 京都の方(中年男性)と一緒になる、食通の様だ、昨日はターミナルのレストランでステーキ(1万円)を食べ、安くて美味しかったとのこと。また、ニューヨークでは15万円したアメリカブランドの洋服を5万円で買った、流行に関係ない服なのでいつまででも着れるとのこと、おしゃれでもある。
 10時、帰室、発表会の準備、
 11時30分、ビスタラウンジで本番前の打ち合わせ、終了後14階で昼食、食後部屋に戻り休息。
 14時30分、7階ビスタラウンジへ、いよいよ「アウシュビッツ見学報告会」本番。トキさんが来ないハプニングがあったが何とか無事に終了した。ピースボートの冨岡さんが頑張った。
 16時10分、帰室して休む。
 17時50分、14階で夕食。ご飯をしっかり食べる。
 19時30分、14階で打ち上げ、Kさんがワインとウィスキーを提供してくれた。K夫妻、Tさん、Tさん、Tさん、Tさんといつも一緒だった女性、発表会には参加しなかったが青年が後から参加してくれた。栗原さんからスコットランドで手に入れた特別のウィスキー(アルコール度40度以上)を飲ませてもらった、特別な香り(樽か、植物か)が特徴、アルコールで舌がピリリとなる。我々もジャマイカ産ラム酒を提供する。
 Tさんがその音色に感激したと言うコカリナを演奏してくれた。太さ3センチ、長さ6センチ位の木製(楓)の小さな楽器だった。確かに澄んだ高音が魅力的だった、アンコールで「故郷」を演奏(低音が出ないので高音に編曲している)後、皆で合唱した。日本に郷愁を感じた。
 コカリナはKさんの友人だと言う、素晴らしい人なので水先案内人推薦したいと言っていた。旅をしただけではなく結果をまとめ発表したことはピースボートらしく良かった。これからもアウシュビッツの見学と発表会は継続して欲しい。(前回もやったとのことだったが、)


11月7日(火) イスタンブール出港3日目

8時、5階レストランで朝食、ご飯が2杯きた、頼み方がまずかった様だ。内容はほぼ同じメニュー。ガラス越しの隣にKさんとMさんたちがいた。
9時、帰室、記録、写真の整理など
12時、パストート受け取り、
   14階で昼食、軽くパン、鳥の唐揚げ、野菜、コーヒー牛乳、
   ここでもK、Mさんと出会う。
13時、帰室、ギリシャの記録
17時、5階で夕食、さいたま市から来た方と一緒、82歳で16歳から父親に教わって剣道をしているとのこと、剣道で台湾には100回以上、世界各国に行っているとのこと。元気なおじさんだ。
18時30分、帰室、明日の準備、記録の整理
20時過ぎ、就寝、なかなか寝つけなかった、結局うとうとして朝を迎えることに。


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