8/31(金)に甲斐駒ヶ岳に登ってきたのですが、下山して高遠の温泉で汗を流しそのまま生まれ故郷の須坂市の実家に泊まってきました。
1年ぶりの実家です。 いつもと変わらず暖かく迎え入れて頂きますが、自分も含めて両親、祖母共に歳をしたなぁ というのが実感です。
実家を出てから既に20年の月日が流れましたが、実家の近所や市内の様子も20年前とは様変わり。
10年ひと昔といいますが、20年ですとふた昔ですものねぇ。
昨日(9/2)の午前中、少し市内を見て回ってみようと散策してきました。
実家にいた頃は大して興味もありませんでしたが、20年経って自分も歳をし、故郷の街も大分変ったので心境の変化でしょうかね。
【八丁鎧塚古墳】
古墳の存在自体を知りませんでした。 母曰く、『昔からあった』と言っていました・・・ でしょうねぇ・・・ 古墳ですから・・・
私が高校生の頃は市内でも一番活気があった通りですが、日曜日なのに閑散としています。
昔の電話番号って3桁だったの? 繁盛していた呉服屋さんだったらしいです。 今はシャッターが・・・
【旧小田切家住宅】
中高生時代に何回もこの辺は通りましたが、全く知りませんでした。
平成になって空き家だった建物を市が買い取り改装、新たに文化施設としてスタートしたのだそうです。
私が高校生の頃はまだこんな感じ。 そりゃ若者は興味無いですね
青い暖簾のある建物側が入口となります。 入場料は¥300 9:00~17:00
道路に面しているもう1面は見事な漆喰塗りです。
玄関から座敷に向かって
茶の間から台所に向かって
納戸からの小さい中庭
奥座敷の床の間
家具階段というのか階段家具というのか?
昔の欄間ってすごいですね。 組格子になっています。 今は普通の建具屋でも作らないでしょう。
座敷 ここが客人を招く場所かな? 中庭に面しているし。
中庭 画面左側が上の写真の座敷。 これ以降時計周りに撮影。
正面に見えるのは土蔵
中央から左側が土蔵で右側が主屋
改装前はこのような荒廃した状態だったらしいです。
主屋から土蔵に向かう通路。 青いタイルがキレイです。
漆喰の壁と扉。 今でも防火戸として通用します。
土蔵内部2階 作家の作品展示室になっています。
お勝手から台所
昔の風呂桶
母と祖母は懐かしいと言っていました。 昔風呂を借りに行ったお宅がこのタイプだったらしいです。 ってお風呂って借りるか銭湯だったんでしょうね。
外から茶の間をのぞく
前面の道路(大笹街道)からはこのように見えます。
中庭から街道側
旧小田切家を後にして歩いて次の場所に向かいます。
蔵の町として20年かけて道路、街並みを整備していったようです。 ここが昔はどこだったのか? 浦島太郎のようになります。
【須坂クラシック美術館】
ここも何回も通っていましたが、まさか美術館とは・・・
この礎石工法をぼたもち石積みと言いますが、大工になった今でも知りませんでした。
今、この積み方を出来る石工はいない、と通りすがりのおばさんが教えてくれました。 因みに母は知っていました。 さすが地元ですね
敷地内に入って主屋 こちらも入場料は¥300
敷地内から土蔵 今は岡信幸記念展示室となっています。
取次の間 奥に見えるのは箱階段
座敷と奥座敷
昔の建物の見せ場ってやはり床の間なのでしょう。
こちらの欄間も見事です。
箱階段を登って2階へ。
動乱の時代って、日本にもそんな時代があったんですね。
サロン的な感じになってる・・・
窓から外を眺めると蔵の街並みが見えました。
ちゃんと市内の歴史的な部分を散策したのは今回が初めてだと思います。
若い当時、こんなくそ田舎いつか出て行ってやる! なんて思っていました。 少子高齢化で町が衰退していく中、色々と試行錯誤している我が郷土。
少しばかりですが誇らしく感じました。 って自分も歳をしたからそう感じるんだろうなぁ。