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大衆に媚びる朝日新聞

2012年09月15日 | 原子力問題

大衆に媚びる朝日新聞

本日の朝日新聞の社説記事を読んで感じたことは、いつもながらの「大衆迎合新聞」だなということであった。参考までに本日の朝日新聞の大衆迎合記事を掲げておく。
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2012年9月15日(土)付

新エネルギー戦略―原発ゼロを確かなものに
 2030年代に「原発ゼロ」を目指す――野田政権は14日、脱原発に向けた新しいエネルギー戦略を決めた。

 茨城県の研究炉に初めて「原子の火」が灯(とも)ったのは、1957年8月。以来、拡大の一途だった日本の原子力政策は、大きな転換点を迎えた。

■再稼働は最小限に

 野田政権は当初、全廃には慎重だったが、最終的に「原発稼働ゼロを可能とする」社会の実現をうたった。原発が抱える問題の大きさを多くの人が深刻に受け止めていることを踏まえての決断を、評価したい。

 とはいえ、脱原発への道筋が明確になったとはいえない。

 新戦略では、新増設をしない▽運転期間40年の厳格適用▽原子力規制委員会が安全性を認めたものだけ再稼働、という3原則を掲げてはいる。

 だが、今ある原発に、単純に40年規制を適用しただけでは、30年1月時点で20基が、40年時点でも5基が残る。

 大地震が起きる可能性が極めて高い地域にある浜岡原発(静岡県)や活断層の影響が懸念される原子炉などへの対応も、あいまいなままだ。

 電力需給の面では、原発事故から2度の夏の経験を経て、最大でも数基の原発を動かせば、乗り切れる見通しが立った。

 再稼働を最小限に抑え、早期の原発ゼロをどう達成するのか。新戦略に盛り込まれた「あらゆる政策資源の投入」を早急に具体化する必要がある。

 そもそも巨額のコストがかかる原子力は、政府の支援や保護なしでは成り立たない。

 今後は、こうした保護・優遇策を停止し、廃炉支援やほかの電源の促進、あるいは立地自治体の経済を構造転換するための制度へと全面的に組み替えなければならない。

 ただ、40年を待たずに閉める炉については、電力会社の経営への影響を緩和する手立ても必要だろう。

 完全に設備を撤去するまでは専門技術や人材も欠かせない。新戦略では、国の責任で対策を講じるとした。たとえば、原発を特定の法人に集約して集中管理する「準国有化」についても議論の対象になろう。

■核燃サイクル凍結を

 問題は、脱原発にかかる経済的、政治的な「コスト」だ。

 火力発電が当面の代替電源となり、燃料費が膨らむ問題は軽視できない。一定の電気料金値上げはやむをえないが、節電の余地を生みにくい中小企業などのことを考えれば限界はある。

 新戦略が指摘するように、官民あげて天然ガスの輸入価格を下げる努力が欠かせない。価格が安い石炭火力についても、二酸化炭素の排出量を減らせる最新技術の実用化へ、支援態勢を充実させたい。地産地消型をはじめとする自然エネルギーの育成は言うまでもない。

 政治的に最大の課題は、核燃料サイクル政策の見直しだ。

 原発ゼロを目ざす以上、使用済み核燃料を再処理する必要はなくなるが、再処理施設を受け入れてきた青森県は廃棄物を押しつけられかねないと猛反発している。原子力協定を結ぶ米国も、安全保障上の問題などから懸念を示しているという。

 しかし、摩擦が大きいからと決断を先送りしていけば、かえって使い道のないプルトニウムや置き場のない放射性廃棄物を増やすことになる。

 まずは事業を凍結し、国が責任をもって後始末にあたるべきだ。青森県や関係各国と協議しながら、使用済み核燃料を保管する中間貯蔵施設の確保に全力をあげる。消費地も含めた国民的な検討の場が必要だ。

■市場の力も活用して

 政界はすでに政権交代で色めきたっている。だが、どの政党が政権につこうとも、原発を減らしたいという国民の意志を無視はできまい。

 では、どのような枠組みを設ければ、脱原発への長期の取り組みが可能になるだろうか。

 一つの案は、法制化だ。原子力基本法の見直しだけでなく、脱原発の理念を明確にした法律があれば、一定の拘束力が生じる。見直しには国会審議が必要となり、透明性も担保される。

 もう一つは、市場の力を活用することだ。

 電力改革を進め、地域独占制を廃止して、発電分野での自由競争を促す。原子力規制委員会は電力会社の懐事情に配慮することなく、安全性に特化した極めて厳格な基準を設ける。

 競争のなかで、安全性確保のための追加投資が経済的に見合わなければ、電力会社の原発依存は自然と減っていく。

 「原発ゼロは現実的でない」という批判がある。しかし、放射性廃棄物の処分先が見つからないこと、原発が巨大なリスクを抱えていること、電力会社が国民の信頼を完全に失ったこと、それこそが現実である。

 簡単ではないが、努力と工夫を重ね、脱原発の道筋を確かなものにしよう。

>><<終わり

脱原発路線を主張するのはいいけれども、それでは、日本のエネルギー政策や安全保障体制をどのように構築してゆくのか、という問題について、明確で説得力のある論証がない。

「脱原発」路線を掲げたとき、電力料金の高騰による国内産業の競争力の低下、あるいは、国内産業の海外への生産基地の移転による国内産業の空洞化という問題に、さらには、日本経済の国際競争力の低下、また国際競争力の低下による国際的な地位の低下といった問題にどのように対処してゆくか具体的に論証をもって主張していない。

この問題については、池田信夫氏の論説が反論の論証になっていると考える。参考までに、池田信夫氏の論考を記録しておく。

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『原発停止が日本を破壊する』池田信夫

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51810229.html

 

 

 

 

 

 


「日本維新の会」国政進出

2012年09月09日 | 国内政治経済

「日本維新の会」国政進出 「八策の下結集」 理想と打算交錯

産経新聞2012年9月9日(日)08:02

「日本維新の会」国政進出 「八策の下結集」 理想と打算交錯
(産経新聞)

 ■TPP慎重派参加/公明推薦前のめり

 橋下徹大阪市長率いる「大阪維新の会」がいよいよ、国政進出の号砲を放った。「既成政党の打破」を掲げ、次期衆院選での勢力拡大と政権獲得を目指す。その支柱になるのが基本政策「維新八策」であり、橋下氏は「集団(維新)をまとめるための軸」ともいう。しかし、政策を軸に政治を動かす「理想」と、打算が渦巻く「現実」とのギャップが早くも表面化している。(今堀守通)

 「価値観を一緒にしないと、困難を一緒に乗り越えていけない。既存の政党では決定できないようなことが、維新八策の下に集まったメンバーなら決定できる」

 維新八策の意義をこう訴える橋下氏は、とりわけ環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)問題を強調する機会が多い。「農協改革なんて自民も民主もできない。TPPに賛同できる人は農協改革も賛同できるメンバーだ」として、既成政党との対立軸になる政策だというのだ。

 一方、大阪維新幹事長の松井一郎大阪府知事は「日教組、自治労、官公労にべったり支援されてきた方とは無理だ」と、民主、共産両党の議員を激しく突き放す。

 ◆政策すり合わせなく

 しかし、現職議員らの維新新党への合流の可否を判断する9日の公開討論会には、松野頼久元官房副長官ら3人の民主党議員が出席する。しかも松野氏は、民主党の「TPPを慎重に考える会」の幹事長だった。

 松野氏は先月下旬のテレビ番組で「政策論でTPP反対なのではない。民主党はTPPでなく、EPA(経済連携協定)やFTA(自由貿易協定)推進だったからだ」と釈明したが、すでに新党参加が認められるのは確実とみられている。自民党の石破茂前政調会長は8日のテレビ番組で「政策はどうでもいいから入れてね、というのはよくない」とクギを刺した。

 一方、7日には、橋下、松井両氏が公明党の白浜一良副代表と会談、公明党が次期衆院選で擁立する9小選挙区の候補者を支援することを伝えた。大阪と兵庫の計6選挙区については、維新として推薦を出す方針だ。しかし、公明党とは八策を基に政策のすり合わせをしていない。「大阪都」構想実現に向け、大阪市議会で公明の協力を得るための「見返り」なのだという。

 ◆首相は市長の部下?

 橋下氏は8日の記者会見で、自らの国政進出を改めて否定した。新党本部を大阪に置くことも含め、「大阪から国を変える」ためで、市長と新党代表との兼務についても「プライベートな時間を削ればいいだけだ」と強調する。

 しかし、政治判断を迫られる場面で代表が東京にいないと政党活動、場合によっては国政の停滞を招く。維新が衆院で第一党になると、国会議員団長が首相候補になる。国会議員団長は代表の部下なので、市長が首相に指示するという異常な現象も生じかねない。

 
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国家社会の変革というのは実に大変な大事業である。橋下徹氏が、既成政党の劣化にともなうて、国民の政治や日本の将来に対する不安に乗じて、国民の支持を集めていることは理解できる。
 
しかし、この会議に集まった人々が、本当に既成の政治家や官僚たちと比較して、優れた哲学、卓越した行動理論を持っているかというと、大いに疑問である。「維新の会」も徐々に具体化されその実態がわかってくると、それに託した期待が大きかっただけに、その失望も反動として大きくなるのではなかろうか。
 
国家の哲学について、この維新の会に集まった人たちが、まともな理念や綱領を持ち得ているかというと、本日の公開討論会を聞いていてもわかったように、失望を味わった者も少なくないというのが実感ではなかったろうか。が多いのというのが実態ではなかろうか。
 
むしろ、共産党のように、また、カトリック教会のように、50年、100年、150年といった時間のスタンスで、しっかりとした哲学と理念をもって地道な日常の実践に徹底的に従事する団体の方がよほど尊敬に値するのではないだろうか。
 
 

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