人生、平々凡々-厄も明けて、人生折り返し-

中年を迎え、粋な大人と呼ばれたいと暗中模索の日々を生きているわけでして。

何とか1週間

2004-09-14 01:08:58 | Weblog
1週間記念万歳!
って、なんだかんだ毎日書き続けたなぁ。でも、最初からがんばりすぎると後々大変だから、そこそこにしようね。
あー9月は忙しい。連休あたりまで休む間がないなぁ。もう一息がんばるぞ。
出張準備で睡眠不足が続き、昼間は立ちくらみ&座りくらみ(急に振り向くと平衡感覚がなくなる。)の連続。明日はいよいよ出張スタート。あさってから客先で仕事。明日の晩こそは寝るぞ。
出来るだけのことはやったから、あとは客との相性というかその場の雰囲気というかで、何とか乗り切るぞ。

ブログやり始めて、当然のことながら、他の方のブログも見る機会が増えて、いろんな思いを持った人たちがいるんだなぁ。同じようなことで悩んだりしてるんだなぁ。と思ってます。
って、要は人の日記を隠れて読んでる時のような、何とも言えぬ喜びと罪悪感を楽しんでる様な感じ。

こないだ見たのは就職活動している学生さんのブログ。私にもそんな時期あったなぁと思いながら見てました。そこで語られていたことは、食うためだけに働きたくないと言う主張。確かにそうだ。
でもそれが許されないのも社会の現実だ。
よく自分の夢のために働きたいという話を聞くが、それってどうなのかな。
働くって、何か人がして欲しいことをしてあげた時に、その対価としてお金をもらうことだと思うんです。
喜ぶ人が多いほどお金が儲かり、喜ぶ人が少ないほどお金が儲からない。という理屈が成り立つと思う訳。
で、自分だけが喜んでいて誰が感謝の対価としてお金をくれるでしょうか?
働くことの基本は人に奉仕することだと、私は思います。その奉仕の対価としてお金が頂けると思います。
というか、そう信じたい。
食うためだけに働きたくないと言う主張は、働く=社会に参加するということを忘れていないだろうか。
学生の時に安穏として過ごしてきたその社会には、それを支える無数の社会貢献する人たちがいたということを、学生時代には気づきもしなかった。大人になったら、今度は君が支える側になるんだよ。
それは未来を支える子供たちを守るために。
それを受け継いでいくのが大人の役目ではないでしょうか?
ちがうかな。そんな社会はもう無いのかなぁ。
コメント
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