こちらにお越しいただいている皆様へ見解をうかがいたく。
先日オフィスで後輩から「ご苦労さまで~す」と言われ変な感じが
したんだよね。この場合「お疲れさまで~す」ではないのかと。
昨今の文化庁の調査の結果、相手が上司でも「ご苦労さまです」と
言う人が15%いるらしい。上のケースの場合の多数派は「お疲れさ
まです」だって。
らば~そうるの場合、「ご苦労さま」はなんだか尊大な感じがして
どうも好きになれないんだよね。そこで、目上であれば「お疲れさま
です(でした)」、目下であれば「お疲れ様さま」と「丁寧語の有無」
で使い分けるようにしている。もっと言うならば「相手との距離感」
を意識しているのかな。とは言ってもそんな杓子定規でもないけど。
※「目上」はともかく、「目下」という語もあまり好きではない。
しかし本来は、「お疲れさま」も「ご苦労さま」も「目下への労い
の言葉」なのだそうだ。いっぽう、どちらも「相手に対する感謝の意
味があるのだ」という専門家もいるんだって。もう、ややこしいな。
ここでふと考えてみた。さすがに調べるまで行動する意欲は湧かな
かったが、両方とも「目下への労いの言葉」であれば、目上へはどの
ような言葉を発すればよいのだろうか。「ありがとうございました」
かな。
こりゃ、眠れんわ~。
というのもいやなんで、調べてみた。その結果を総合すると
1.目上に対し「お疲れさま」単独で使ってはいけない。
2.目上には「お疲れさまでした」「お疲れさまです」などと言う。
3.「ご苦労さま」に関しては、「ご苦労さまでした」と「でした」
を付けても目上には使えない。
との私的見解に達した。ふぅ~。
ところが最近、「目下から『お疲れさま』と言われると腹が立つ」
とおっしゃる、取引先の中堅幹部社員の方と話をする機会があった。
なんでも「余計なお世話だ!」という気分になるそうだ。「『お疲れ
さまでございました』とか『お疲れになりましたでしょう?』とかで
も、いけませんか?」と質問したところ、答えは「ダメ」。
言葉に対する感覚には、人それぞれ違いがあるよね。「文法」だと
か「慣用」だとか、決まり・ルールのようないわゆる紋切り型では、
対処できない場合もあることを意識しないといけないのかもね。
先日オフィスで後輩から「ご苦労さまで~す」と言われ変な感じが
したんだよね。この場合「お疲れさまで~す」ではないのかと。
昨今の文化庁の調査の結果、相手が上司でも「ご苦労さまです」と
言う人が15%いるらしい。上のケースの場合の多数派は「お疲れさ
まです」だって。
らば~そうるの場合、「ご苦労さま」はなんだか尊大な感じがして
どうも好きになれないんだよね。そこで、目上であれば「お疲れさま
です(でした)」、目下であれば「お疲れ様さま」と「丁寧語の有無」
で使い分けるようにしている。もっと言うならば「相手との距離感」
を意識しているのかな。とは言ってもそんな杓子定規でもないけど。
※「目上」はともかく、「目下」という語もあまり好きではない。
しかし本来は、「お疲れさま」も「ご苦労さま」も「目下への労い
の言葉」なのだそうだ。いっぽう、どちらも「相手に対する感謝の意
味があるのだ」という専門家もいるんだって。もう、ややこしいな。
ここでふと考えてみた。さすがに調べるまで行動する意欲は湧かな
かったが、両方とも「目下への労いの言葉」であれば、目上へはどの
ような言葉を発すればよいのだろうか。「ありがとうございました」
かな。
こりゃ、眠れんわ~。
というのもいやなんで、調べてみた。その結果を総合すると
1.目上に対し「お疲れさま」単独で使ってはいけない。
2.目上には「お疲れさまでした」「お疲れさまです」などと言う。
3.「ご苦労さま」に関しては、「ご苦労さまでした」と「でした」
を付けても目上には使えない。
との私的見解に達した。ふぅ~。
ところが最近、「目下から『お疲れさま』と言われると腹が立つ」
とおっしゃる、取引先の中堅幹部社員の方と話をする機会があった。
なんでも「余計なお世話だ!」という気分になるそうだ。「『お疲れ
さまでございました』とか『お疲れになりましたでしょう?』とかで
も、いけませんか?」と質問したところ、答えは「ダメ」。
言葉に対する感覚には、人それぞれ違いがあるよね。「文法」だと
か「慣用」だとか、決まり・ルールのようないわゆる紋切り型では、
対処できない場合もあることを意識しないといけないのかもね。
ご挨拶として使うときと、
そうじゃないときとで変わってきますよね。
私の場合は目下に対してでも
(目下、っていう存在がないので、例えば生徒さんに対してとか)
「ご苦労様」という言葉は使わないです。
この言葉自体に抵抗があるので、今まで使ったことないし、
言われたこともあんまりないような気がする。
んで、目上に対しては
「おつかれさまでございました」と言ってました。
役員秘書をしてたときに、秘書室長から
「うちの会社ではそういうふうに統一してるから」と言われた記憶があるの。
今は、目上の人に対しては「おつかれさまでございました」とはあまり使わず
「ありがとうございました」が基本で、
それにトッピングとして「お疲れのありませんように」「お世話になりました」のどちらか、もしくは両方言うようにしてます。
トッピングまで言おうとすると
自然とそこで時間がかかるので
丁寧に聞こえるっていう利点もあります。
ああー、でも本当はなんて言ったらいいんだろうかなー。わからん。
この頃「正しい日本語」だとかグダグダ言うメディアが目立つんだけど、それって単に「時代の空気が読めないのかな?ちみは?」って感じで正直言って片腹痛いのね。
言葉ってのはコミュニケーションの道具。思っていること、考えていること、意思と気持ちを伝えるもの。
今、この同時代に生きている老若男女が使っている言葉を、あーだこーだ言ってもしょうがなくて、要は「なにを伝えたいのか」ってことに着目して気持ちをくみ取ることが大切なんじゃないでしょか。
「この若造言葉遣いも知らない大バカだ」って切り捨てるのは簡単なことだけど、その大バカものがアナタに「お疲れ様でした」って言ったときどう感じるか。素直にねぎらいの気持ちを受け取れるかどうか。相手の言いたいことを推測できる能力があるのかどうか。今同じ時間に生きている人と上手にコミュニケーションがとれるかどうか。
まぁ、堅苦しく考える必要はないのであって、かるーくいけばいいと、私は思うな。
見解をご披露いただき感謝でありまする。
後日またレスいたしやす。zzz。
ご意見ありがとうございます。
>これって仕事を終えて先に帰るときの
>ご挨拶として使うときと、
>そうじゃないときとで変わってきますよね。
おっしゃる通りですね。
論点をあえて「ビジネス上のシーン」に絞っていますが
ほんとうにその時のシチュエーションによって
どのように感じ取り
応対するか。
まさに「応酬話法」だと思います。
トッピングという言葉は新鮮でした♪
発する側も受け取る側も
基本はやはり、相手を慮る気持ちですよね。
そうなんですよ。
言葉は生きているんですよね。変化する。
私もこのブログでいくつか
「日本語」に関する話題を取り上げてきました。
「見れる」と「見られる」
「すいません」と「すみません」など。
時代時代によって言葉や文法は推移する。
主として若い年代が情報発信源となる「造語」
は、いっさい否定しません。
会話が「かみあって」いればいいわけで。(^^)
「正しい日本語」と題して情報発信する
メディアがすべて、時代を読めていないとは
私は思わないのですが
大事なのは、そのメディアが情報発信の中で
それこそ何を伝えたいのか
だと思うのですよ。
>要は「なにを伝えたいのか」ってことに着目して気持ちをくみ取ることが大切なんじゃないでしょか。
まさにこの通りだと思います。
このスタンスがあって
「でもね、現時点での原理原則はあるよ。」
というスタンスで私は接しています。
ビジネス・シーンが多いのですが、普段でも
例えばバイクで彼女を後ろに乗っけている
あんちゃんから道を尋ねられたとき
相手の言葉もそうですが
自分が発する言葉にも注意しています。
そんなあんちゃんが会話が終わったとき
「ありがとうございます。」
と言ってくれるのは本当にうれしいし
こちらも
「気をつけてね。」
となりますよね。
ここらへんが、
>まぁ、堅苦しく考える必要はないのであって、かるーくいけばいいと、私は思うな。
ということでしょうか。
堅苦しく考えるということではないのですが
「ちょっと違うよね」
と思ったら、その場で直接声をかけますよ。
それで「共感」「納得」してもらえたら
なおさらよいですね。
もちろん、自分が指摘されることもあります。
一生勉強だと思っていますよ。
「作物」
なんて読むのでしょうか。
「さくもつ」ですよね。
ただ、これは「田畑に作る植物」の意味の場合。
特に文芸や美術の分野で製作されたものは
「さくぶつ」と読みます。
であれば、
「農作物」
なんて読むのでしょうか。
この場合、現時点で答えはひとつですね。
国営放送のアナウンサーが
「・・・今回の大雨の影響でのうさくぶつに
大きな被害が出ました」
とアナウンスしています。
これは軽く考えられませんね♪
いかがでしょうか。
自分も当惑するケースで考えが堂々巡りしてしまうようなことが
やはりありますね。
少し前の話題ですが、食後の「ごちそうさま」を
外食等でカネを払った側が言うのは間違っている
のでは?との投稿が新聞(朝日だったかな?)に
載り、自分は「カネの問題じゃなかろう!」と
内心叫んだものです。しかしその反面、自分が当然と
考えることに疑問を持つ人も現にいるのだなぁとも
思いました。
コミュニケーションは「深い」ですね♪
>自分が当然と
>考えることに疑問を持つ人も現にいるのだなぁとも
思いました。
「自分の常識、他人の非常識」というフレーズを
思い出しました。