【「千葉マリン・スタジアム」ではなく「現在のシェア・スタジアム」】
1965年 8月15日21時過ぎのニューヨーク。‘SHEA STADIUM’で人類
史上最大のコンサートが行われました。ビートルズ「伝説のシェア・
スタジアム公演」です。
エド・サリヴァン氏の声がスタジアムの中に響き渡ります。
レディーズ・アンド・ジェントルメン
故国の人々が誇りに思い
女王からは勲章を授かり
ここアメリカでも愛されているグループ
ビートルズの登場です!
これを合図に、4人はダグアウトから登場します。本日が初めての
お披露めとなるあの黄褐色の襟なしジャケットで。55,600人の大観衆
の大音量はピークを迎えます。フィールドの片隅にある電光掲示板に
「危険ですので、ご着席ください」の文字が光っているものの、何も
意味をなしていません。観客はさらに猛烈な勢いで4人に声援を送り
続けます。ジョンがマイクに向いました
ハロー! ハロー!
そしてほどなく・・・。‘Twist And Shout ’でコンサートは幕を
開けました。‘Baby's In Black ’では・・・
次は“BEATLES Ⅵ”からのスロー・ナンバーっていうか、実はどう
いうタイトルのアルバムに入っているのか、知らないんだ。ボクも
まだ持っていないしね。
と言うと、楽しそうに笑いました。ジョンは続けます。
これはワルツだったかなぁ。まあとにかく、タイトルは・・・。
ここで事件が起きます。女の子が一人、制服姿の5人の警官に追わ
れながら球場内を疾走しています。
あ~、あの子を見てみなよ。あ~・・・。
こんな調子で「ショウ」は続きます。みんなが大声で叫んでいます。
誰かの耳に4人が織り成す音楽が少しでも聞こえたのでしょうか。今
でも語り草になっています。その場に居合わせた人がこう言いました。
ほんとうに何も聞こえなかった・・・
彼等が何を演奏しているかを知るには、ひとつの音さえ聞こえれば
十分だったんだけれど、レコードの音はすべて頭の中に入っていた
から。で、何度も何度もレコードを聴いたから、たとえ聞こえなく
ても、聞こえてくるのよ。
開幕から約30分が経過し、ポールがコメントします。
次が最後の曲です。
彼は腕時計に目をやりそれを指差すと、手のひらを合わせた両手を
耳の下に持っていき、「スリーピング・タイム」の仕草をしました。
‘I'm Down’の始まりです。ジョンが“VOX Continental ”をヒジで
弾く炎のプレイを炸裂させます。後日、彼は「ギターが無いと手持ち
ぶさたな感じで、何をしたらよいのかがよくわからなかった」と説明
しています。
ステージでキーボードを弾いたのは、あれが初めてだったな。
ジョージなんか、ギターが弾けなくなるくらいゲラゲラ笑ってたね。
ボクがちょっとワイルドに鍵盤をヒジでガンガンたたき出したとき
にさ。軽く笑いをとってやろうと思ってやっただけなんだけどさ。
わかるだろ。
・・・そのほぼ1年後。1966年 8月23日に4人は同じ地に立ちコン
サートを行いました。驚くべきことに、チケットは11,000枚売れ残り
ました。
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確かに意外です。
やっぱりあれでしょうか。ジョンのあの発言の影響が一番大きいのでしょうか。
「あの発言」が無かったとしても微妙
だったのかもしれませんね。
今だから振り返って言えることですが
1966年は変革の年でしたので。
・・・と考えています。