らば~そうる “IN MY LIFE”

旅、音楽、そしてスポーツのこと。過去、現在、そして未来のこと・・・「考えるブログ」。

470.ビートルズ・レコーディング機材

2007-02-18 | 12.THE BEATLES
【EMI第2スタジオ・コントロール・ルーム】

 今回は、ビートルズの数々の名曲を生み出したレコーディング機材
について取り上げてみよう。一口に「レコーディング機材」と言って
も、それは「マイク」から「リミッター」や「ADT」に至るまで、
非常に多岐にわたる。従って、ここでは代表的な「ミキシング・コン
ソール」と「レコーダー」について触れることにする。

 最近、アマチュアの方でもホーム・レコーディングの機材が比較的
廉価で手に入るようになり、プロ・レベルの音質を備えた作品を創作
できるようになった。実際ところ、レコーディングに必要な最低限の
機材は、ミキシング機能とレコーディング機能である。

 YAMAHAの『AWシリーズ』は、ひとつの機材の中に両機能を備えて
いる。しかし、プロのスタジオではミキシング・コンソールとレコー
ダーと各々機能を分担した機材が設置されている。ビートルズの場合
主たる仕事場は、あの「EMI第2スタジオ」であった。そこに設置
されていたミキシング・コンソールは、「EMI・REDD 37」と
いうオリジナル・タイプであった。このREDD 37は、デビューの
頃から使用された。1967年の『SGT. PEPPER'S 』のあたりまで写真等
で確認されているというから、長い期間使用されていたようである。
いっぽうレコーダーについては、いくつか機材の変遷が見られるので
ここで再確認してみたい。

 初期の“PLEASE PLEASE ME”“WITH THE BEATLES”は2トラック・
レコーダーで生み出されたアルバムである。その時の機材は、BTR
(British Tape Recorder )製であった。ジョージ・マーティンは、
2トラック・レコーダーの1トラックをヴォーカル及びコーラスに、
もう1トラックを演奏に分離して録音した。これらをそのままレフト
チャネル・ライトチャネルへ振り分けたステレオ盤も当時発売されて
いたのだが、彼の狙いは、ステレオ・ミックスではなかった。当時の
ファンは、もっぱらラジオやポータブルのプレイヤーでビートルズの
「音」を聴いていたのである。このようなトラックの使い方は、ビー
トルズの売りであった「ヴォーカル・コーラス」と「楽器のアンサン
ブル」とのバランスを調和させた「モノラル・ミックス」を、完璧に
なものに仕上げるためだったのである。

 2トラックという「制約」の中でありながら、ビートルズの楽曲は
厚みを感じる。これは4人の技量ももちろんのことであるが、音質的
にリスクの高い「オーヴァー・ダビング」を効果的に使用したからで
ある。「ジョンのハーモニカ」「ハンド・クラップ」そして「ヴォー
カルのダブル・トラック」などは好例であろう。 

 1963年10月17日から採用されたSTUDER・J-37は、4トラック
レコーダーである。‘I Want To Hold Your Hand’の音は、この機材
から生み出された。4トラック・レコーダーが導入された当初、ビー
トルズの楽曲は相変わらず「ライヴ録音」「一発録り」でレコーディ
ングされていた。しかし、1964年10月の‘I Feel Fine ’あたりから
この方式を改めたのである。すなわち、ヴォーカルやパーカッション
そしてリード・ギター等を後からオーヴァー・ダビングしたり、特定
トラックを差し替える方式を採用し始めたのである。“HELP! ”前後
で彼らの「音」が変化を見せ始めた要因のひとつは、以上述べた事由
によるものである。1965年にレコーディングされた‘Yes It Is ’の
複雑なコーラス・ワークや‘Yesterday ’の弦楽四重奏等は、まさに
4トラック・レコーディングの産物であろう。しかしそのいっぽうで
皮肉にも‘Ticket To Ride’のような「悲劇」(あえてこう表現)も
生まれてしまったのである。それは、マルチトラック化の恩恵を受け
ベース担当のポールが、リード・ギターを弾けるようになったことで
ある。「音楽的成長」「レコーディング技術の発達」が、「ライヴ・
バンド」としての機能を徐々に解体させることになっていったのかも
しれない。

 その後、1966年の「ライヴ活動の停止」を経て、この4トラック・
レコーダーからあの『SGT. PEPPER'S 』が生まれたことは、きわめて
衝撃的なことであった。しかし逆に言えば、仮に4トラック・レコー
ダーが登場していなかったら、ビートルズ中期の素晴らしい作品群は
生まれていなかったのではないかとさえ思えるのである。

 1968年には3M製の8トラック・レコーダーが導入された。これに
よって、確かにリダクション・ミックスが劇的に減少したプラス面も
あったのだが、それ以上にグループとしての結束力に悪影響を及ぼす
マイナス面が出てしまったのである。4人の創作活動が、「チーム」
から「個人」へと変化してしまったのだ。“THE BEATLES ”(通称:
『ホワイト・アルバム』)のレコーディングの過程がそれを物語って
いる。そして1969年「悲惨」な“GET BACK SESSION”を経て、珠玉の
アルバム“ABBEY ROAD”を生み出すに至ったのである。

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