ビートルズ4人の本名について、№814 の記事で取り上げました。
記事を書いているうちに、名前の由来や、彼らの出身地であるリヴァ
プールを思うにつけ、「アイルランド」とビートルズの関連について
思うところが出てきたのです。特に、1972年の「血の日曜日事件」に
おけるジョンとポールの関連性、というよりも共通性について、私論
を展開いたします。
ビートルズの出身地であるリヴァプールは、昔の時代からイングラ
ンドとアイルランドを結ぶ拠点として繁栄しました。リヴァプールは
アイルランドからの移民を多く受け入れていたのです。従ってリヴァ
プールの住民は、ケルト系(アイルランドやスコットランドをルーツ
とする)であったのです。ビートルズの4人も例外ではありません。
※ちなみに、イングランドはアングロ・サクソン系です。
4人の中で、先祖の出身地についてもっとも意識が強かったのは、
ジョンでした。“LENNON”という名前の起源を述べた文章を1974年の
アルバム“WALLS AND BRIDGES ”のブック・レットに掲載しているの
です。1975年に誕生した“SEAN”は、“JOHN”のアイルランド名です。
ポールの姓である“McCARTNEY ”の“Mc- ”は、アイルランド系や
スコットランド系の名前によく見られる接頭語です。
アイルランド問題は、イギリスが歴史上において解決されない状態
が続いた、社会的問題です。その図式は簡単に言えば「イングランド
対アイルランド」「プロテスタント対カトリック」になります。1921
年、アイルランドはイギリスの支配から脱却し、カトリックの国家、
アイルランド共和国を興しました。しかし、北部6州はイギリス出身
であるプロテスタントが約70%を占めていたため、「北アイルランド」
としてイギリスに留まる道を選択しました。
この「分割」が悲劇を招きました。北アイルランドのカトリック教
徒は、様々な差別を受けたのです。1968年に不自由な生活を強いられ
ていたカトリック系住民が、差別撤廃を要求し立ち上がったのをきっ
かけに、対立していた両教徒の間で紛争が勃発しました。
・・・長い年月が過ぎました。1998年 4月10日、30年間の紛争が
続いていた北アイルランドで和平交渉が合意に達し、和解への歴史的
一歩が踏み出されたのです。
30年間の紛争の中で、もっとも悲惨な出来事はいったい・・・。
それは、1972年 1月30日にロンドンデリーで発生した「血の日曜日事
件」です。
既にアイルランド紛争に関心を寄せていたジョンは、街頭デモにも
参加したり、アイルランドの悲しい運命について歌った曲を作ったり
行動を起こしていました。そして、「血の日曜日事件」をニュースで
知るやいなや、彼は‘Sunday Bloody Sunday’を作りました。イギリ
ス政府の武力行使に対する激しい「プロテスト・ソング」です。この
曲はアルバム“SOMETIME IN NEW YORK CITY ”に収録されました。
その頃、政治とは距離を置いていたポールでしたが、彼も行動に出
ました。ポールの母メアリーはアイルランド出身でカトリックだった
のです。ポールはこの事件をニュースで知ると‘Give Ireland To The
Irish ’を書きました。彼はこのストレートなメッセージ・ソングを
ウイングスのファースト・シングルとしてリリースしました。しかし
発売前に、BBCはこの曲を放送禁止にしてしまったのです。
1970年のビートルズの解散後、なにかにつけてその「対立」ぶりを
言われ続けてきたジョンとポールですが、彼らが同じ事件により同じ
行動を起こしたことは注目に値します。それは、曲作りのパートナー
シップこそ失われたものの、互いの心の奥に「何かつながるもの」が
存在していたということです。
後にポールはこのように述べています。「‘Give Ireland To The
Irish ’を作るまでは、ジョンのやつ政治的な曲ばかり作って、頭が
イカレているんじゃないかと思っていた。何も言わないでいるほうが
ずっと賢明じゃないのかってね。だけど、今になってやっとジョンが
心から感じたことを歌にしていたことがわかったんだ」。
いっぽうジョンもこのようなコメントを残しています。「ポールの
'Give Ireland To The Irish ’と僕の‘Sunday Bloody Sunday ’は
きっと同じ夜に書かれたに違いない。僕も事件が起きた直後に作った。
ポールと僕には、そんな形での結びつきがあったんだね」・・・。
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記事を書いているうちに、名前の由来や、彼らの出身地であるリヴァ
プールを思うにつけ、「アイルランド」とビートルズの関連について
思うところが出てきたのです。特に、1972年の「血の日曜日事件」に
おけるジョンとポールの関連性、というよりも共通性について、私論
を展開いたします。
ビートルズの出身地であるリヴァプールは、昔の時代からイングラ
ンドとアイルランドを結ぶ拠点として繁栄しました。リヴァプールは
アイルランドからの移民を多く受け入れていたのです。従ってリヴァ
プールの住民は、ケルト系(アイルランドやスコットランドをルーツ
とする)であったのです。ビートルズの4人も例外ではありません。
※ちなみに、イングランドはアングロ・サクソン系です。
4人の中で、先祖の出身地についてもっとも意識が強かったのは、
ジョンでした。“LENNON”という名前の起源を述べた文章を1974年の
アルバム“WALLS AND BRIDGES ”のブック・レットに掲載しているの
です。1975年に誕生した“SEAN”は、“JOHN”のアイルランド名です。
ポールの姓である“McCARTNEY ”の“Mc- ”は、アイルランド系や
スコットランド系の名前によく見られる接頭語です。
アイルランド問題は、イギリスが歴史上において解決されない状態
が続いた、社会的問題です。その図式は簡単に言えば「イングランド
対アイルランド」「プロテスタント対カトリック」になります。1921
年、アイルランドはイギリスの支配から脱却し、カトリックの国家、
アイルランド共和国を興しました。しかし、北部6州はイギリス出身
であるプロテスタントが約70%を占めていたため、「北アイルランド」
としてイギリスに留まる道を選択しました。
この「分割」が悲劇を招きました。北アイルランドのカトリック教
徒は、様々な差別を受けたのです。1968年に不自由な生活を強いられ
ていたカトリック系住民が、差別撤廃を要求し立ち上がったのをきっ
かけに、対立していた両教徒の間で紛争が勃発しました。
・・・長い年月が過ぎました。1998年 4月10日、30年間の紛争が
続いていた北アイルランドで和平交渉が合意に達し、和解への歴史的
一歩が踏み出されたのです。
30年間の紛争の中で、もっとも悲惨な出来事はいったい・・・。
それは、1972年 1月30日にロンドンデリーで発生した「血の日曜日事
件」です。
既にアイルランド紛争に関心を寄せていたジョンは、街頭デモにも
参加したり、アイルランドの悲しい運命について歌った曲を作ったり
行動を起こしていました。そして、「血の日曜日事件」をニュースで
知るやいなや、彼は‘Sunday Bloody Sunday’を作りました。イギリ
ス政府の武力行使に対する激しい「プロテスト・ソング」です。この
曲はアルバム“SOMETIME IN NEW YORK CITY ”に収録されました。
その頃、政治とは距離を置いていたポールでしたが、彼も行動に出
ました。ポールの母メアリーはアイルランド出身でカトリックだった
のです。ポールはこの事件をニュースで知ると‘Give Ireland To The
Irish ’を書きました。彼はこのストレートなメッセージ・ソングを
ウイングスのファースト・シングルとしてリリースしました。しかし
発売前に、BBCはこの曲を放送禁止にしてしまったのです。
1970年のビートルズの解散後、なにかにつけてその「対立」ぶりを
言われ続けてきたジョンとポールですが、彼らが同じ事件により同じ
行動を起こしたことは注目に値します。それは、曲作りのパートナー
シップこそ失われたものの、互いの心の奥に「何かつながるもの」が
存在していたということです。
後にポールはこのように述べています。「‘Give Ireland To The
Irish ’を作るまでは、ジョンのやつ政治的な曲ばかり作って、頭が
イカレているんじゃないかと思っていた。何も言わないでいるほうが
ずっと賢明じゃないのかってね。だけど、今になってやっとジョンが
心から感じたことを歌にしていたことがわかったんだ」。
いっぽうジョンもこのようなコメントを残しています。「ポールの
'Give Ireland To The Irish ’と僕の‘Sunday Bloody Sunday ’は
きっと同じ夜に書かれたに違いない。僕も事件が起きた直後に作った。
ポールと僕には、そんな形での結びつきがあったんだね」・・・。
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このネタはいつか書くつもりでした~
違う方向性でこのネタを書くことにします。
アイルランドの地図見て、北と南に分かれてることで、
こういう分かれ方しているということは、相当な血が
流されたのだろうなと想像してしまいますね。
ゑ~
ぜひ書いてください~。
同じテーマでもモノの見方は、無限ですよね。
楽しみにしております♪
「アイルランドの地図」という語を目にし
急に「ロンドンデリー・エア」を聴きたくなりました。