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前回の「ネコのこと33」で書いた飼い猫ミニの病気の話し
そのミニが
昨日の明け方、息を引き取りました。
悪性リンパ腫だとわかり、ちょうど半年。
とうとうこの日がきてしまいました。
8歳でした。
抗がん剤を打つと
胸の影が消えて息苦しさが治まり
元気になるので
迷いながらも半年間続けましたが
その効果も最初は4週間だったのが
3週間になり
2週間になり
最後は1週間しか効かなくなり
すぐ再発。
元気でいる1週間の為に、毎週抗がん剤を打ち続ける事
1回トータルで37500円というお金もそうですが
それよりなにより
それが本当にミニの為になるのか?
最初の頃こそあまり大きな副作用は感じられずでしたが
8回9回と繰り返すうちに
やはり身体へのダメージは大きいようで
横になっている時間が長くなり
抗がん剤の影響なのか
味覚が変わり
今まで好きだったフードを食べなくなり
やっと食べてくれたかと思うと
パタっと食べなくなる。
好きだったウエットを残し
カリカリばかり食べたりと・・・
でも食べてくれるだけで嬉しくて
体力を付けさせるためにも
いろんなフードを取り寄せ
あれこれ日替わりで
与えていました。
封を切って1口食べただけで
それっきりのカリカリが
一体何袋あるか。
真ん中に写っている缶の中には
色々な会社のカリカリが入っています。
そんな頃から
期待していたサプリも
一切食べてくれなくなりました。
治らない病気なら
もう延命でしかない抗がん剤をやめて
「看取り」に入ってもいいのではないか?
本当に悩みました。
毎日毎日悩みました。
寝ても覚めても
その事ばかり考えていました。
それでも
先生から縦隔型リンパ腫の最後は
胸に水が溜まりとても苦しむので
安楽死も視野に入れておいた方がいいと言われると
怖くて、止める事が出来ずにいました。
しかし、再発するまでの期間が短くなってきたので
先生にすすめられ
強い抗がん剤を打ったのが
9月5日。
そのあと、本当に身体がダルそうで
食欲も落ち、顏も生気がなく
その様子を見て
もうこれで終わりにしよう・・・と
やっと決断。
抗がん剤を止めたら
あとはもうどんな事があっても
受け止めて
あとは看取ろう。
本を読み、心の準備も。
そして
ミニは
それから
1週間で亡くなりました。
早かった。
とても早かった・・・
あんなに悩んで迷ったことが
たった1週間で終わってしまった。
この決断が良かったのか
抗がん剤を止めなければ
暫くは生きられたかもしれず
あれこれ思い
後悔し
今も心が揺れています。
先生から最後は安楽死も視野に・・・と
聞かされていた通り
最後の日は
ものすごく呼吸が苦しそうで
溜まったタンを苦しそうに吐き出し
辛過ぎて見ていられず
本当に辛く長い1日でした。
だんだんと動けなくなり
少しずつ衰弱していくのなら
静かに見守る事も出来ますが
苦しいので抱っこも嫌がり
肩や口で呼吸をする姿は
見ていても辛く
先生の言う「安楽死」という言葉が
頭をかすめました。
最期の最期、夜中の3時頃
弱ってフラフラになりながらも
私のベッドのところに
荒い呼吸なのに
最期のお別れに来てくれた姿は
今も忘れられません。
その後、しばらくして息を引き取りました。
静かに逝くというより
最後の顏があまりにも苦しそうだったので
最終的には呼吸困難の
窒息死で亡くなったのではないかと。。
そんなに苦しめてしまった自分を責めて責めて
もっと早く安楽死の選択もあったのではないかと思い
泣けて泣けて・・・
もう明日からは
朝早く診察券を入れに並ぶ事もない。
病院の待合室で、祈りながら検査結果を待つ事もない。
病院の帰り道、車で中で泣く事もない。
ミニの様子を気にして姿を探す事もない。
食べるご飯の量に一喜一憂する事もない。
ネットでフードを探す事もない。
外出から戻って、玄関を開けた時
いつも玄関前で待っていてくれるのに
そこに姿がないと
調子が悪いのではないかと
不安になる事もない。
闘病ブログを読みあさる事もない。
そして・・・
旅行だって、もういつでも行ける。
でも・・・
それもいいから
やっぱ生きてて欲しかった。
3頭が2頭になったら家の中がとても静かで。
こうやって3頭で遊ぶ姿はもう2度と見られない。
最後に少しだけ舐めた「エナジーチュール」の空き袋と
ミニの白黒の毛を少しだけカットし
形見にしました。
火葬はしないと決めていたので
昨日の夕方、家族みんなで庭に埋葬しました。
私の部屋からよく見える場所です。
さようなら、ミニ。
8年間ありがとう。