蝦夷犬(エゾイヌ)

奥羽越列藩同盟の東北北海道さらに新潟県をテーマとして、地域の新聞から記事を選び、勝手なことを書きたいと思う。

悠久の歴史に思いはせ 日本初の産金地で砂金採り

2023-04-29 14:30:00 | 日記
河北新報電子版 朝刊
2023-04-29 17/30

749年(天平21)に現在の涌谷町で金が発見され、奈良の大仏の金メッキに使用された。
時の聖武天皇(しょうむてんのう)は、とても喜んで元号を天平から天平感寶に改めたと伝えられている。
その後、天平勝寳に改めたのだから、よほど宝(旧字 寳)の発見が嬉しかったのだろう。

その後、坂上田村麻呂(第二代征夷大将軍ーー最初の征夷大将軍は大伴弟麻呂)などが奥州の蝦夷(エミシ)を討伐して平定しようとしたのは、奥州(現在の東北地方)に存在する金を欲しいためと考えると、大人しいエミシに戦闘を仕掛けて、根絶やしにしたかったものと推測するのは、私自身がエミシの血を引くいわれのある家系だからだろうか?

大伴弟麻呂が征夷大将軍として、あまり成功したとは思われず、次に田村麻呂に命じられたのは、父の坂上刈田麻呂(旧字で苅田麻呂)がエミシの血を引き、田村麻呂も同様にエミシの言葉に堪能だったことからと伝えられている。

もちろんだが、それ以前からヤマト人とエミシとの諍いは度々起きていて、ヤマト人からエミシは勇猛な頑丈な種族と思われて、健康に育って欲しいとエミシを子の名前にするなどが行われていた。

私見ではあるが、ヤマト人を弥生人とし、蝦夷(エミシ)を縄文人と見れば、日本の国内で行われた戦の多くが同様のものであり、明治直前の戊辰戦争まで続いていたと考えると、腑に落ちる面は否めない。


さて、日本中の河川の多くで砂金が採れると思われる。
ただ、労働対価として、例えば時給に見合う砂金が採取できるかと言えば、残念ながら無理と言わざるを得ない。
1000年以上に渡って、日本中で金を探し採取してきたのだから、もう残っているだけで幸運と考えるべきだろう。

宮城県の涌谷町で行われている、砂金採りのイベントは椀がけ法と呼ばれている。
日本中の砂金採りの実演は、ほとんどこの方法で、Amazonなどでパンニング皿と呼ばれているものが販売されている。
砂金の比重が大きいので、静かに砂を掻き回していくと、重さのある砂金や砂鉄などが皿に残って来る。

習うより慣れろと言う。
方法はYouTubeなどでも砂金採りと検索すれば、多くの動画を見ることが出来る。
パンニング皿の善し悪しもあるようだ。
ほどほどの評価のパンニング皿を購入して、適当な小川で試して練習をし、その後は慣れたなら、過去に金鉱の跡がある河川で、流れの淀むような場所を狙って、本格的にやってみることをお勧めする。
労働対価に合わないとは申し上げたが、偶然に粒金と言う大きさの砂金を採取した方もいるようである。
あなたの幸運を祈ります。


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