にわか日ハムファンのブログ記念館

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〔2012年夏・北海道・東日本パスの旅〕(6)体験坑道からケーブルカー乗り場へ

2012-09-04 06:37:23 | さすらいブロガー旅情編
 風門を抜けるとさらにトロッコの線路跡がまっすぐ伸びる。われわれはここで別のルートをとり、ケーブルカーの乗り場へと進む。


 分岐点のすぐそばには、青函トンネルにまつわる数値がいろいろと示されていた。
 その1つとして掲げられていたのが、工事に携わった延べ人数と、そのうちの殉職者。同種の工事で多いのか少ないのかを論ずる気はない。難工事の中で命を落とす人はいたのだ。



 さらに先を見ると、急に色とりどりのライトが灯り、さまざまな機材が置かれている。今までの坑道と比べて、明らかに「展示」を意識している。
 ここからは、おそらく青函トンネル記念館から下ってきた人の見学コースなのだろう。



 トンネル掘削現場のモデル。当然ではあるが、生身の人間ではない。



 トンネル建設で用いられた素材、水ガラスとセメントミルク。あまりにも軟弱な地盤を相手にした工事で、どちらも活用された。



 トンネル工事において軟弱な地盤を掘り進むことは珍しくないが、通常ならシールド工法トンネルボーリングで対処できる、はずである。
 しかし、青函トンネル建設時にはボーリングマシンが湧水に行く手を阻まれたり、緩い地盤に沈み込んだりして立ち往生することがあったらしい。
 そのため、岩盤をダイナマイトで爆破し、そこからさらに掘り進める工法が採られた、というのがガイド氏の話である。
 岩盤がないところはどうするのかと思ったら、先程のセメントミルクで岩盤を作ってから爆破、掘削するということだ。そこまでしてトンネルを掘り進めてきたのだ(参照:wikipedia「青函トンネル」の項)。



 こちらも掘削の現場。作業員は時に水浸しになりながらも、作業に従事していた。実際、作業員が水に浸かっているパネルもあった。


 
 当時使われたブルドーザー。ダイナマイトを使用していたからか、現場ではガソリン・ディーゼル等、内燃式の機械は使えず、蓄電池式のものに頼っていたそうだ。



 作業員を運ぶトロッコ。動態保存はできないものかと一瞬思ったが、走らせられるだけのレールがもはやあるまい。



 トロッコを運ぶ機関車。これも蓄電池式だ。



 展示施設を抜けるとまた急に暗くなった。ケーブルの乗り場が近いらしい。



 ライトに照らされるレールは、珍しく現役で使えそうなものだった。これがケーブルの路線につながっているらしい。



 さらに奥を覗いてみた。カーブになっていて確認できないが、急な坂になっている坑道が途中で行き止まりになっているとは考えにくい。やはり地上への路線につづいているのだろう。



 またも水槽があった。もう少し展示として目立つようにはできないか、とも思うが、そもそもこの環境で維持するだけでも大変なのだろう。



 斜めになったオレンジ色の躯体。ようやくケーブルの乗り場に出た。かなり余裕を見た時間設定だったはずが、さらに10分程遅れの到着になってしまった。


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