昨晩は
春の嵐・・
雨風が凄くて・・ね
例年になく
長く頑張ってくれていた
桜・・・も
随分散ってしまいました
今日は
お世話になった病院に
ご挨拶と
補液等の物品をお返ししに
行ってきました
なんだかね・・・
変な感じなの・・
今まで常に
誰かしら一緒に
車に乗っていたじゃない??
助手席に誰一人として
居なくて・・
おまけに
ワンコなしに
病院に行くなんて
一年前の春に
アンディが緑内障を発症して
すぐに点滴治療をしなくてはならなくて
その間
その当時
グッタリしていたらっちゃんを
ずっと待たしておける状況ではなくてね
アンディが点滴治療中
急いでラックを連れて
いったん家に戻り
パパに見ててもらいながら
再びアンディを迎えに
病院に駆け付けた時
ぐらいかな・・
私一人だったのって
抱っこもカートも押していなくて
一人だけ・・・って
落ち着かなかった・・・よ
らっちゃんも
あんちゃんもいないからさ・・
ママ・・・なんだか
変な感じだった!!!
日曜日に
モンスーンカフェで
アンディが召されてすぐ
主治医先生には
お電話で連絡をしてあってね・・
あの日出された
新しいお薬のお金も
払っていなかったし
先生から
落ち着いたら
来てくださればいいですよ・・・って
言われていたんだけれど
ん・・・
落ち着いて
深い悲しみが来ちゃったら
きっと行かれなくなっちゃうな~って
思ってね
変な感じだったけれど
先生にきちんと
アンディが逝ったときのことを話して
今までのお礼のご挨拶を
させていただきました
先生ね・・・優しいお顔で
じっくりお話を聞いてくださり
私の体のことも
案じてくださって
いっぱいいっぱい
お話することができました
旅立ったのちの様子は
このブログを見ていてくださった・・・って
有難いです・・・本当に
主治医先生との
深い信頼関係があったからこそ
ここまで頑張ってこられたのだし
色々先生と
話を進めていく中で
何を・・どうしたら
ルルちゃんずにとってのベストが
できるだろうか・・・
常にそのことを
大事に考えてくださり
何より
私の気持ち・・
あの子たちに
私がどうしていきたいか
それを
一番に尊重してくださって
だからこそ
納得のいく医療が受けられたし
また
先生に対する不信感なんて
微塵もなく
感謝でいっぱいなんだって
思うんですよね
先生はね
ルルちゃんずに出会ったのも
「ご縁」があったからこそ・・
そうおっしゃってくださって
この先生と一緒に
闘ってきて本当によかったな~って
胸がいっぱいになりました
「ルルちゃんずは
僕が最期まで診ます」
そう言ってくださったときの
安堵感と感謝の気持ちは
一生忘れないと思います
ルルちゃんずも私も
幸せだったな・・・って
その診察の際に
欠かさず持って行っていたのが
ママちゃんメモ・・
残念ながら
日曜日の朝を最後に
記載が終わっちゃった。。
一番最初に付け始めたころは
単なる記録として
体重やお薬や
お会計を残していました
このちょっとあと
主治医先生と出会うことになるのですが
ね~ルルちゃん
大きかったでしょ??
6.8キロ
クッシングの疑いがあると思う。・・・って
当時の主治医だった
院長先生に
採血をして頂いて
「違うんじゃない???」
って先生は仰ったけど
やっぱりクッシングだった・・
今にして思えば
この時から
ルルちゃんずの闘病は
始まっていたんだよね
体重の推移をみる限りでも
みんな大きかったでしょ??
クッシング治療を始めて
院長先生に
ルルの体重が多いことを
すごく怒られて
このころには
5.4キロぐらいに減ってきて・・
今にして思うと
そのルルよりも
ラックもアンディも
最後は
小さくなってしまったんだもんね
ママちゃんメモと一緒に
採血・検尿のデータを
必ず貼り付けていました
H21年冬の
ルルの耳道切除手術のとき
術前検査のデータ
そのあとで
耳血腫になり
インターキャットを打ちました
ルルはその前にも
一度耳血腫になって
インターキャット
いわゆるインターフェロンの治療を
受けています
ルルちゃんずは
闘病のバトンリレーが得意でね
って・・・得意って言わないですけど・・ね(~_~メ)
誰かしらの通院が落ち着くと
必ず
次の子にバトンが手渡され
ルルちゃんずを
一巡すると
また・・次の子が
病気になる
このころ
今の主治医先生に
よく言われてました
「ルルちゃんちを
見ない週はないね・・・」って
カートに乗せて
3ワンコで病院に行っていて
今でこそ
カートに乗せている人も
多く見かけるようになったけれど
このころ珍しくてね
院長先生に
「そのベビーカーは赤ちゃん用??」って
聞かれたこともあったっけな
3ワンコで診察していただくので
一時間以内で終わるなんてこと
なくてね
それはそれは
丁寧に診て貰っていたから
本当に有難かったです
ラックが肺水腫になったとき
すでに
ルルが倒れたあとだったし
大震災の前後
計画停電のことも
予測されたりしてね
毎日がヒヤヒヤだった
そして
ルルが旅立って
主治医先生とお別れすることになって
途方に暮れて・・
色々な偶然が重なって
また再び主治医先生に巡り合うことができて
ラックの心臓の状態が
徐々に・・・どんどん悪くなって行って
おうちでの様子を
事細かく
記すようになっていきました
毎日毎日
心拍数を時系列で測り
記録して
無我夢中だったから
ちっとも大変なんて
思いませんでした
らっちゃんが旅立つまで
何度も何度も
危機がやってきて
心拍数の経緯を今振り返ってみても
ドキドキ・・・今さらながら
動悸がしちゃいます
ラックには
先生が
本当に細かく細かく
お薬に微調整をしてくださって
状態の悪さに比例して
3日分の薬だったり
すこし落ち着くと
5日分だったり
お薬と診察の感覚が
なかなか長くなることは
なかったからね
一日おきの通院も
あったぐらい・・
そして
らっちゃんが旅立ったあとは
アンディ一人の記載になって
あんちゃんは
多尿が最期まで
原因不明のまま
付きまとっていたから
オシッコを毎回計量カップで測り
記録するのが
常になって
でも
大変なんて
すこしも思わなかった
最後の最後で
一気に体重が減ってきて
腎不全から
膵炎発症→多臓器不全になり
旅立つ日の朝の
採血データ
この朝の
記載を最後に
ママちゃんメモが
終わってしまいました
今日先生に
アンディの事を
色々伺ったら
もうギリギリのところで
いっぱいいっぱいだったのだろう・・・と
思いました
少し前に
腎不全が進んだら
その時は
厳しい決断を
するときが来るかもしれない・・・と
そう聞かされていたし
私も
その決断を
するだろう・・・と
自分で思っていたのだけど
今思えば
アンディがそれを
望んではいなかったんだと
そういうことだろうと
思います
闘病を支えていくのは
決して容易くないし
大変じゃないわけはないし
でも
ママちゃんメモを記すことが
楽しかったし
嬉しかったし
何よりも
ルルたちのお世話をすることが
私の何よりの生きがいだったし
楽しみでもあったから
ちっとも苦だなんて
思ったことなかったからね
今はやることが
一気に減ってしまって
寂しいかな
お写真も
当たり前だけれど
新しいものは
もう二度と撮れなくなって
しまったからね・・
お~~~い
潜ってないで
ママのところへおいで~
旅立つ前夜のルル
旅立つ1時間程前の
あんちゃん
良く似てますよね~
やっぱり
親子なんですね!!!
先生に
あんちゃんが天使になった
お写真を見ていただきました
穏やかな
お顔してるね・・・って
苦しまずに逝けたんだね・・・って
ルルちゃんずを
ちょこっと見ていただいたことのある
先生にもお見せしたら
涙ぐんでくださいましたよ
たまには
パパとのショットも
お話したもんね~
まだまだ
フワフワ~な状態のまま
それでいて
テンションが上がったまま
無理して
泣かないようにしているわけでは
ないんだけど・・・ね
本当の寂しさは
これからなのかな・・・・
ルルちゃんずと
暮らした生活が
現実なのか。。夢なのか。。。
このまま
フワフワ~のままで
しばらくいてもいいかな・・・なんて
思ったりしています
仕事に行けば
それなりにしっかり
できるんですけれどね・・
ゆっくりゆっくり
いいよね~
る~ちゃん
らっちゃん
あんちゃん
大好きだよ~~(^_-)-☆
私を心配してくださり
メールを下さったり
お返事もできていないのに
コメントも下さって
感謝でいっぱいです
ルルたちを通して
繋がったご縁で
今の私は
支えられています
ゆっくりゆっくり・・でも
一歩ずつ進んでいかれるように・・
頑張ってみますね