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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」のショート版

アンビバレントな映画「私はチョソンサラムです」

2021年10月27日 | 映画

江東区枝川の東京朝鮮第二幼初級学校でドキュメンタリー映画「私はチョソンサラムです」(キム・チョルミン監督 2020年 94分)をみた。チョソンサラムは朝鮮人という意味だ。
これまで在日の生活や社会を描いた映画は、朝鮮学校が舞台の「ウルボ――泣き虫ボクシング部(李一河監督 2015)、「蒼のシンフォニー(朴英二監督 2016)など、ヤン・ヨンヒ監督の「ディア・ピョンヤン(2005)、「かぞくのくに(2012)、ドラマの「月はどっちに出ている(崔洋一監督 1993)、「パッチギ(井筒和幸監督 2004)などを観たし、演劇も鄭義信の三部作「焼肉ドラゴン(2008年)、「たとえば野に咲く花のように――アンドロマケ」(2007年)、「パーマ屋スミレ(2012年)などいろいろ観た。ところがこの映画は、それらとはかなり異質で、批評するのが難しい。

映画は、2009年12月4日に始まった在特会在日特権を許さない市民の会などの京都朝鮮第一初級学校(当時)への襲撃シーンから始まる。大きな襲撃は翌年4月まで3度あった。自身が卒業生でもある母親は、はじめは恐怖、次に憤怒の感情がわきあがったという。小学3年の子が鉛筆を「ピンピン」に尖らせ、もし在特が攻めてきたら「これで戦うねん」といったそうだ。
次に2002年金剛山で行われた交流イベントに移る。キム監督が日本からきた「在日」に初めて出会い、親しくなったが、このとき初めて在日という存在に気づいたという。キム監督は1978年生まれなので、まだ24歳のころだ。
次に、1920-30年生まれで、親に連れられ日本に来た80代の「1世」のインタビューや長く初級学校の校長を務めた女性のエピソードが挟まれる。
次に「在日同胞留学生スパイ団事件」の被害者たちのインタビューに移る。韓国のソウル大学や高麗大学留学中の1975年11月中央情報部に突然連行され、なかには死刑判決を受けた人もいた(その後2015年再審無罪確定、19年文在寅大統領より謝罪の言葉を受ける)。
韓国の大学に留学というのだから民団系の家系の人かと思われる。総連の家庭の人が隣の国韓国に旅行することは、欧米や北朝鮮に行くよりはるかに難しいと聞いたことがあったからだ。それが冤罪というか、でっちあげ事件で死刑囚にされる。こんな事件が1970年代にあったとは・・・。登場した人は水責めなどの拷問は受けなかったそうだが、なかには自殺したり、発狂した人もいたそうだ。それはそうだろう。
18歳のとき光復節記念在日韓国人中央大会に参加し、祖国の将来を熱く語る姿に感激し在日韓国青年同盟の活動に参加し、いまは祖国統一のため在日韓国民主統一連合(韓統連)事務局として活躍する方へのインタビュー、そして高校無償化を求め、大阪府庁前や東京・文科省前で抗議活動をする学生たちの姿が映し出された。「声よ集まれ、歌となれ」の歌声も聞こえた。
いままで見た映画や演劇には出てこなかった問題に触れられていた。
在日の方の大きな団体として、2つの団体、在日本朝鮮人総聯合会総連)と在日本大韓民国民団民団)があること、そして総連は共和国寄り、民団は韓国寄りということは知っていた。ただし総連のメンバーといっても、在日の内訳は地理的には南出身の人が98%、慶尚北道・慶尚南道・最南部の済州島出身の人だけで89%(1964年)とのこと。2団体はおそらく仲がよくはないと思うが、いったいどのような関係なのか、わたしにはわからない
手元の「在日コリアンの歴史(在日本大韓民国民団中央民族教育委員会 明石書店 2006)をみてみたが、戦後各地で自然発生的に組織がつくられ朝連(のちの朝鮮総連)に結集し、46年10月民団が結成され、民族学校のほとんどは総連に糾合され、民団系の民族学校は現在4校ということくらいしか書かれていない。

もうひとつ、在日同胞留学生スパイ団事件のことはまったく知らなかったただ考えると、2011年1月に「国際法の暴力を超えて」というシンポジウムで発言された徐勝(ソ・スン)さん(立命館大学)はこの事件の被害者の1人だったし、弟の徐俊植さんは府立桂高校出身で救援活動が行われたことは知っていた。だが深くは知らない
また韓統連についても、ここ10年ほどほぼ毎年3・1朝鮮独立運動の集会に参加しており韓統連の方が何度かスピーチされたので、存在は知っていたが詳細は知らない
なぜ在日の人は統一を求めるのか。かつて戦後の分断国家だったドイツやベトナムは統一を果たした。しかし朝鮮半島はいまも休戦が長く続いているだけで戦争中という「異常」な状態にある。現在、分断国家になっている大きな原因として、大日本帝国の朝鮮侵略と35年の植民地支配の歴史があり、いま日本の植民地支配責任が問われていることはわかる。戦争を終わらせ「平和協定」が結ばれることを隣国日本の市民としても望むが、いまはまだ見通しがたたない。
かつては2世、3世が話題の中心だったが、いまは4世、5世の時代だそうだ。普通に日本で暮らしていると言葉も音楽など民族文化歴史もわからないまま育ってしまう。だから朝鮮人としてのアイデンティティが大事であり、「祖国統一」が重視されることがよくわかる。
「人種差別問題」「人権問題」なら少しは感想を述べられるが、わたしには知識が足りずそれ以上のコメントを加えることは難しい。
「在日」という生き方そのものが、日本と朝鮮、朝鮮のなかの北と南という相反した存在、アンビバレントな存在であることを感じさせる映画だった。
キム監督は、韓国生まれの韓国育ち、22歳で「在日」の存在を知り関心をもったそうだ。わたしは、小学生のときから学校に在日の生徒がいたこともあり知っていたが、強く関心をもったのは2010年4月の朝鮮高校無償化除外のときからだ。朝鮮高校の無償化運動でも、韓国の「ウリハッキョと子どもたちを守る市民の会」が力強い行動を続けてくれたことは知っている。
当該である「在日」の人、日本人で支援する人、韓国で支援する人、それぞれ立場や視点が異なる。それがこの映画にも反映しているのかもしれない。
ZOOMでソウルのキム監督と会場をつないだインタビュー
ドキュメンタリー作品としてみると、「希望を踊る樹々」の歌や緑の林の映像を前後にうまく使い、構成も十分考えられたもので、質が高いと思った。
ペクチャさんの主題歌のなかの
側にいる樹々たちと共に 力強い根を信じ一緒に耐えてきたんだ
風が吹けば吹くほど もっと強くなびくのさ 蒼々とした樹になり 希望を踊るんだ
という歌詞も象徴的だった。
ただ、わたしには上で述べたように知らないことがいくつも出てきたのと、脈絡がよくわからないところがあったので、機会があればもう一度見てみたいと思う。
上映後、ソウルのキム監督と会場をZOOMでつなぎ、インタビューがおこなわれた。監督は「コロナ感染が明けたら、枝川のこの学校を訪問したい。統一のための活動を今後も続けたい」と語った。この映画はいまは自主上映だけだが、12月9日から韓国で劇場公開されるそうだ。
☆この日の会場、東京朝鮮第二幼初級学校でかつて「60万回のトライ」、「ウルボ――泣き虫ボクシング部」を見た。
この学校の玄関にモニュメント「心の故郷」があり、「枝川の子」の絵、過去2代の校舎写真、献金団体・個人の名、学校の歴史が書かれていた。創設は1946年1月、64年に新校舎が建ったが、2003年東京都との間で立ち退き問題の裁判があり、市民の「枝川裁判支援連絡会」の応援もあり07年和解で決着した。そして2011年に現在の校舎が新築された。
2019年にみた生徒の作品
また公開授業をみにきたこともあった。残念ながらわたしには言葉がわからないので、授業の中身までわかったのは日本語の授業だけだったが。1学年3-7人の小学級で、若手の先生が1人1台のタブレットも活用し、かつ生徒の席との間を何度も行き来して生徒のノートを見ながらきめ細かに授業をしていた。
放課後、木琴、踊り、歌などの公演(日本の学芸会のようなもの)を保護者の前でやってくれた。2019年9月のことで、じつはその一週間ほどあとに「アイたちの学校」の上映会が予定されていた。しかし台風襲来で延期、半年ほどあとの上映会も新型コロナで中止と、不運が重なったが、作品は異なるがやっと実現した。

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