Walking Holidays ~ニュージーランド編~

大好きなトレッキングを中心にニュージーでの生活を綴ります。なのでWorkingではなくWalking Holidays!

ふりかえれば、

2013-01-13 | かなのカナダ暮らし。
半年ちょい過ごしたカナダを去り、日本へ。

久しぶりのはずなのに、久しぶりだー!という感激は意外にもなかった。あれ?

まるで、一時停止していたリモコンのボタンを再び解除して、半年前の暮らしの続きが始まったようだ。
まるで、うたた寝をしながら夢を見ていただけで、そこから目覚めたよう。

本当に半年も日本を留守にしていたのというくらい、そこまで違和感なく過ごしている。
まあ、圧倒的に、この日本で過ごしてきた期間の方が長い訳だから、あっという間に慣れるのは当然かな。


まだ日本にきて数日だけれど、一日一日とカナダで過ごした日々は遠くなっていく。
(今は、ちょっと海外からの観光客のような気分で、日本での当たり前のことに感激したり、
今まで気付かなかったことが気になって楽しいのですが 笑)

日が経てばたつだけ、細かいことは忘れていってしまうのだろう。


本当にカナダに行ってきたのか?

それは間違いなく。


目の前に広がる日本の社会、暮らし。東京の人の多さ、コンクリートジャングル。

けれど、振り返ると、そこにはロッキーの山並みが、バンクーバーの海と山の景色が、
あのバンフのいつもと変わらない時間が流れている。

今は知っている。時間の流れは一つではないこと。
今、同じこの瞬間、東京は忙しなくたって、音一つない無音の世界にも、
木の実を探すリスにも同じ時間が流れていることを。

そんなことを知ったから、何の役に立つかまだ分からない。
けれど、自分の心の中は広がり、豊かになったと思う。

それから、半年前までは果てしなく異世界だった世界が、
今は精神的に壁が無くなり距離がとても近い世界になった。
そして現実として感じられる。

つまり、ロッキーは物理的には相変わらず遠い。
けれど、今の自分にとってはロッキーは何ら苦労なく行けてしまう場所。
そう、行き慣れた高尾山と同じように、リアルな山(々)として考えられる場所。

たとえるなら、
見渡すかぎりの大自然あふれる世界は、川向こうのことのようだった。近くても決して自分の手で
つかめない世界。見ることはできたって、所詮、それは遠い非現実的な場所。

けれど、今は、そこに橋を掛けられたような気分。

非現実だった世界が自分にとってリアルな世界になった。
自分で体験して、自分の言葉で語れるようになった。

それは、自分にとって、とっても大きな財産。


この財産、どう社会で生産的に利用していけるか?
それをアウトプットすること、それは今、越えたい山のひとつ。




















ニューヨークで越える年。

2013-01-03 | つれづれゴト。
ニューヨーク。

それは夢の中にいるようだった。

この「夢」はどういう夢かというと、寝ているときに見る、支離滅裂した夢。
途中で全く違うストーリーに切り替わったり、車運転しながら空飛んでいるみたいな非現実的なことが起きたりする、あれです。

ニューヨークは、小さい空間にギューッと色んな文化が濃縮されていた。色んな人が忙しく行きかっていた。
世界中から人が集まっていた。混沌としていた。エネルギーに溢れていた。

北米のなかのアジア?

なんだか系統の違うものが沢山溢れていて、それに触れて、頭の中は訳の分からない夢を見た後の混乱した状態のよう(笑。

建築家の安藤忠雄さんは、若いころ、「なにがなんだかわからなくてもとにかく体験してみなあかん」と思って、
ニューヨークをゴールに旅をしたそう。

うん、安藤さん、
あのニューヨークの空気、まだわけが分からんだけれど、肌を通して体験したからこそわかったこと、たくさんありました。

ニューヨークを見て、こんな国に戦争で勝てるわけないよ。となんだか感じました。


つづきは、また。