★we were on a break★

お久しぶり!

「ルルドの泉で」

2012-05-26 21:59:21 | 映画
ルルドの泉・・・・

キリスト教を知らない人でも
この聖地を知らない人はいないだろう。
泉の水を浴びたり飲んだりしただけで
体の不自由な人がまったくの健康体となり
要らなくなった沢山の松葉杖が残されている・・・。

そんなイメージだ。

今作ではそんなルルドの泉が描かれ
名前だけしか知らなかったシウは
大勢の人々が集うその景色がとても興味深く、
見入ってしまった。




奇跡が起きるなどと信じられない人間は
さまざまな理由を考える。

強い信仰心が聖地での興奮と結びつき
自然治癒力が爆発的に増した結果、
ありえないことが起きる。

たしかに
こうした聖地ではなくても
人は異常な興奮状態におかれて
たとえばガンが消えたとか
脳腫瘍が消えた・・・なんていう例があるようだ。


それがルルドの持つ力に寄るものとすれば
それはルルドが起こした奇跡としても良いのかもしれない。


キリスト教徒ではないシウには
ルルドの泉に集う人々には違和感を感じる。

祈るから、癒してくれ。

信仰心を交換条件にすることは
良いことなのだろうか・・・と思う・

ただひたすら
「私を幸せに。私を健康に。」
そんな風に祈ることは正しいのだろうか。

祈りとは、自分が直接的な利益を得るためのものなのだろうか。

そんなことを考える。


しかし
生きている意味を見いだせず
何の希望も持てず、
ただただ食べさせてもらって生きるだけ。

そんな人生を過ごしている人が
「あなたの状態には意味がある。
 誰でもなく、あなたの人生がそうなったことには意味がある。」
などと言われて、
はい、そうですか。と納得できるだろうか。

人はだんだんと歳を重ね
できていたことができなくなる。
しかし精神は成長し、
その不自由さを受け入れ、その時その時の希望を抱くことができると思う。
でも、周りがはつらつとしている若い時期に
老人のような悟りを強いられる人々。
彼らにそんな立派な心がけをもつべきだと説いて
それができなければ批判する、などということはできない。

彼らは奇跡が起きるなら
それが自分の身にも起きないだろうか・・・という
一縷の望みを持ってやってくるのだ。
その姿勢をせめられるだろうか。

ルルドの泉で
荘厳な鐘の音や、清々しい気持ちになる讃美歌を聞きながら
悲しいかな、人間はやはり自分勝手なのだと確認させられる。


以下はネタバレ。


ラストは秀逸。

奇跡を否定も肯定もせず
余韻を残す。

おそらく彼女は元に戻ってしまったのかもしれない。
シウはそう思う。

奇跡が起きたままではなく
あの終わり方によって
映画は中立になり
どんな考え方も受け入れる内容となった。


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