デジタル版を前にも劇場で見る幸福を味わったけど
今回も
大スクリーンで
シウの“心の映画”をみることができた。
子どものころテレビで見て以来、
もう何度見たことだろう。
でも見るたびに
違った感想を持つし
そんな自分を発見するのも面白いもの。
今回はブラッドリーの友人カメラマン、アービングに注目。
グレゴリー・ペックの圧倒的な格好良さにしか目が行ってなかった以前のシウだけど
けっこうアービングもワイルドでハンサムなのだ。
そういえば
彼は劇中でも割とモテキャラ。
もしかするとブラッドリー氏よりも女子受けが良さそう?
とはいえ、
相変わらずペックはシウの好みのど真ん中なんだけど。
ローマの街で出会うのは
二人とも外国人。
二人の両方にとって、ローマは異国なんだよね。
ということで
異国の地、ローマでの恋は
世界中の人の憧れだし
感情移入されるのだろう。
大人へと成長したアン王女が
昨日までは見せられなかった余裕の微笑み。
一つの試練を乗り越えて
国家のリーダーへと近づく瞬間。
このシーンは映画史上の奇跡だと思う。
あのシーンで
ブラッドリーが唾を飲み込み、喉が動くところ、
本当にこの監督も俳優も上手いな~とただただ称賛。
現在、
このオードリー&ペックみたいな俳優っていないよね。
たとえばペックの若さでこの貫禄が出せる人、
そして
オードリーのように本当に“無垢”な人。
エリザベス・ティラーやマリリン・モンローに近づくことはできるけど
このヘプバーンの位置は
どんなに美しい女優でも
選ばれた人だけが
一生に一度だけしか演じられないと思う。
そして、その選ばれた人って、今だに現れてない。
===================
平日の午前中なのに
席はほぼ満席だった。
ハリポタだって空席ができるシウの住む田舎なのに
これは異例のこと。
ローマの休日に思い入れる人って多い。
シウがほとんど最年少で
シウの親の世代の人がほとんどだった。
見ていて
色々なシーン(たとえば美容室、ヴェスパ、真実の口、そしてラストとか)に
それぞれが強い思いを持って見ているのだと思うと、
画面だけでなく、
観客席にもすごい力が渦巻いているような気がしたよ。
皆が自分の輝いていた頃を思い返しているんだろうなって。
==============
今作には表面に現れている他に
制作には色々なエピソードがある。
脚本家の問題や
ハリウッドの赤狩りのこと。
“不自由な”アメリカを飛び出し、
自由なヨーロッパでの撮影に臨んだスタッフたち。
子どもの頃は
単に美しいローマにあこがれて見ていたけれど
自由の大国だと思っていたアメリカが
全然自由ではないと思い知らされたのもこの作品でだったかもしれない。
今回も
大スクリーンで
シウの“心の映画”をみることができた。
子どものころテレビで見て以来、
もう何度見たことだろう。
でも見るたびに
違った感想を持つし
そんな自分を発見するのも面白いもの。
今回はブラッドリーの友人カメラマン、アービングに注目。
グレゴリー・ペックの圧倒的な格好良さにしか目が行ってなかった以前のシウだけど
けっこうアービングもワイルドでハンサムなのだ。
そういえば
彼は劇中でも割とモテキャラ。
もしかするとブラッドリー氏よりも女子受けが良さそう?
とはいえ、
相変わらずペックはシウの好みのど真ん中なんだけど。
ローマの街で出会うのは
二人とも外国人。
二人の両方にとって、ローマは異国なんだよね。
ということで
異国の地、ローマでの恋は
世界中の人の憧れだし
感情移入されるのだろう。
大人へと成長したアン王女が
昨日までは見せられなかった余裕の微笑み。
一つの試練を乗り越えて
国家のリーダーへと近づく瞬間。
このシーンは映画史上の奇跡だと思う。
あのシーンで
ブラッドリーが唾を飲み込み、喉が動くところ、
本当にこの監督も俳優も上手いな~とただただ称賛。
現在、
このオードリー&ペックみたいな俳優っていないよね。
たとえばペックの若さでこの貫禄が出せる人、
そして
オードリーのように本当に“無垢”な人。
エリザベス・ティラーやマリリン・モンローに近づくことはできるけど
このヘプバーンの位置は
どんなに美しい女優でも
選ばれた人だけが
一生に一度だけしか演じられないと思う。
そして、その選ばれた人って、今だに現れてない。
===================
平日の午前中なのに
席はほぼ満席だった。
ハリポタだって空席ができるシウの住む田舎なのに
これは異例のこと。
ローマの休日に思い入れる人って多い。
シウがほとんど最年少で
シウの親の世代の人がほとんどだった。
見ていて
色々なシーン(たとえば美容室、ヴェスパ、真実の口、そしてラストとか)に
それぞれが強い思いを持って見ているのだと思うと、
画面だけでなく、
観客席にもすごい力が渦巻いているような気がしたよ。
皆が自分の輝いていた頃を思い返しているんだろうなって。
==============
今作には表面に現れている他に
制作には色々なエピソードがある。
脚本家の問題や
ハリウッドの赤狩りのこと。
“不自由な”アメリカを飛び出し、
自由なヨーロッパでの撮影に臨んだスタッフたち。
子どもの頃は
単に美しいローマにあこがれて見ていたけれど
自由の大国だと思っていたアメリカが
全然自由ではないと思い知らされたのもこの作品でだったかもしれない。
50を過ぎて見た時の感想は、「なんてエロチックな映画なんでしょう」ってこと。
おこちゃまにはわからないエロチシズムがムンムンでした(笑)
事前と事後で、ああも表情が変わるんだもんなぁ(笑)
あとね、これはこの映画だけに限ったことではないんだけど、タバコのポイ捨て、ゴミのポイ捨てがなんて素敵なんでしょう(爆)もちろんメット無しでの二人乗りもね(笑)
人間が70億人もいる時代では致し方ないのかなぁって・・・愛煙家の私はつくづく思います(笑)ちなみにこの映画が作られた1953年頃、世界の人口は27億人だったとか。
そうなんですよ!!
子どもの頃見たときには
そんなことに目が行かなかった。
お姫様っぽい白いネグリジェから
黒っぽいガウンになった時の
すべての変化っぷり。
あれは本物の“処女っぽさ”を演じられる
ヘプバーンだけが表現できることかもって思います。
27億人!
3倍になったんですね~