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シン・スンフン「トークショーにも出て変わるでしょう」

2010-11-05 20:27:45 | シン・スンフン
            

如才なく完璧に、デビュー20年同じ道歩いてきた歌手シン・スンフン

逸脱と破格、あるいは迂余曲折. 純粋でも商業的であろうと芸術家ならばこのような不定形の人生になじむ。

一方では美徳でも見なされる。 そうした点で見る時、歌手シン・スンフン(43)はかなり異質的に生きてきた。
規則的ですっきりと、きちんとまっすぐに歩いてきた彼の軌跡は驚くべきだ。

そのありふれている物議に上がる事さえ許容しなかった彼の人生は完璧だというより無味乾燥なほどだ。
ところが彼は気にしない。 二十余年前大田(テジョン)、銀杏洞(ウネンドン)でライブ カフェ6ヶ所を歩き回ってギターを担いで歌った、‘チン’というニックネームを持った明るくすんでいる目つきの青年は今年でデビュー20周年をむかえた。
相変らずしなければならないことが多くて、したいことがとても多く、 ただ今までそんな風にしてきたように熱心に生き延びなければならない顕在だけだ。


-とても如才なく生きてきたようだ。

「緊張感をなくさないようにした。 自己愛がとても強いと。 人間シン・スンフンよりはミュージシャン シン・スンフンに対する愛情があまり大きかったためかもしれない。 自分の世界が強いから外部と接触するのにも閉じられていたようで….」


-その間、大切な縁が多かったはずなのに。

「もちろん。 歌手になるべく力を与えてくれた大田(テジョン)のお兄さん達、今は別れたがデビューの時プロデューサーであったキム・チャンファン社長、トムとジェリーのような関係のムンセ兄、ライバルだと呼ばれたキム・ゴンモ、モニターしてくれたキム・ミンジョン等々.

何よりファンたちではないか? 私の音楽を聞いて心より拍手する人々. 大衆の愛を受けるということが容易ではないが私は本当に多くの愛を受けた、だから幸せな人間だ。」


-デビュー前ライブ歌手時代はどうだったか?

「ひまわりで代表されるフォーク音楽の全盛時代であった。
ひまわり、イ・ムンセ、ビョン・ジンソプ、キム・ヒョンシク、チョ・トッペ、歌真似を途方もなくした。

他人の歌を歌って見たら自分の曲を書きたくなって、アルバムも出したくなったよ。 今と違いその当時には私のような人々が立つ場所があった。

デビュー日を11月1日にした事は私に最も大きい影響を及ぼしたユ・ジェハ先輩の忌日だからだ。 この日はキム・ヒョンシク先輩の忌日でもある。」

彼はデビュー後5年間毎年レコードを出したしその時ごとに途方もない販売量を上げた。
ありふれているジンクスも彼だけは通用しなかった。

20年間規則的に音楽的成果を出したし、今までレコード累積販売1700万枚を記録している。
彼は「 ‘最小限シン・スンフンのレコードは失望ではない’と評価した方々が多かった」と話した。


-20年前のシン・スンフンと同じ姿を発見できる最近の後輩達がいるか。

「その時と今は状況が完全に変わって、どんなに才能があっても成長する構造にならないのが残念だ。
それでスーパースターKのようなプログラムは意味があると見る。

この前20周年レコードを録音してその時期の私をまた発見することになったが、何も知らなかったその幼い年齢にどのようにそのような歌詞を書いたかと思ったよ。
稚気幼くて勇敢で無謀だった、そして途方もなく知ったかぶりした歌詞だった。 今振り返って見ると大雑把だったがその時の感受性がより良かったようだ」


-公演の他には大衆との接点が少なかった。

「10周年記念公演をする時雨がどしゃ降りのように降るのに来てくれた観客らがとても有難かった。
彼らを見ながらさらに忠実にしなければならないと考えた。

TV出演も減らし、私をもっと愛してくれる人々だけ逢いに行き公演に集中した。 それでも私がCFをすることでもなくて他のジャンルで活動することでもないから大衆とはちょっと遠ざかったようだ。
それで今はちょっと変えてみようと思う。 トークショーも出て行って大衆にもさらに近付きたい。」

彼が20周年をむかえて出したレコードには彼と後輩らが新しく解析して歌った彼のヒット曲が2枚のCDに含まれている。

クレジクァイ、2AM,サイなど7ヶチームが参加した。


-他人に曲を与えないばかりか一緒に作業しないのも有名だが、今回のレコードには多くの後輩らが参加した。

「一言で、しなければ大変な事になったかも知れないようなほど多くのことを感じた。 そのためにこれから私の人生の変化も多くなるようだ。
私が歌わなければより良かったのにという曲達を後輩達が新しく解析して表現やり遂げた。
この歌がこんなにも表現されるんだなあと、期待以上の結果を得た。
女性の後輩も2ヶチームが参加した。 その間私は、私の歌には女性ボーカルが似合うという考えは一度もしなかった」