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シェーン「韓国の父親であり、お兄さん、シン・スンフンの韓国で歌手になる事」[インタビュー]

2011-05-30 12:35:19 | シン・スンフン

     

「こんにちは。 嬉しいです」の挨拶を伝えて席に座るシェーン。 シン・スンフンのメンティ ジョ・ヒョンウ、ファン・ジファンと共にする、韓国語も知って聞くというように首をうなずいて笑顔を作って見えるいたずらっ子だ。

MBCスターオーディション『偉大な誕生』決勝の舞台が終わった翌日29日午後の京畿一山MBCドリームセンターで、シェーンとの出会いを持った。

TOP12のうちファンのプレゼントを最も多く受けるというシェーン。 どのような魅力のために韓国のファンが多くの愛を与えるのかという質問に「よく分からない」と口を開ける。 指輪が『ビジュアル?』と尋ねると、"ビジュアル なんだ・・・』"と笑いだす。 すぐ彼は「魔性の声に惹かれてだと思ってんだけど確かによく分からないです」と率直な考えを伝える。

シェーンは、『偉大な誕生』の中で最も記憶に残る経験に聖信女子大学校で行われたゲリラコンサートを挙げた。 彼は、「どのように多くの注目を浴びていたのか分からなかったが、ゲリラコンサートにダイレクトに来てくれた多くの人々の姿に感動を受けたようです」と説明する。

シェーンは、韓国で歌手として活動するというしっかりした考えを言う。 すべての活動や意思決定には、メンターシン・スンフンと相談している。

「シン・スンフン兄は韓国のお父さん。 シン・シェインと別名もあります。 外国人であるにもかかわらず、音楽だけでなく、それ以外のものも、常に面倒を見てくださって本当に感謝しています。 兄貴愛してる」
 


メンターシン・スンフン「私の人生の柱、一生従いて行くだろう」ジョ・ヒョンウ、インタビュー

2011-05-30 12:13:22 | シン・スンフン

      

「音楽は、人生のメンターシン・スンフン、一生ついていきます」

MBCスターオーディション『偉大な誕生』決勝の舞台が終わった翌日29日午後の京一山MBCドリームセンターでチョ・ヒョンウとの出会いを持った。 『偉大な誕生』でシン・スンフンとの運命の出会いを持つようになったジョ・ヒョンウ。 彼に今シン・スンフンは、メンターグラフィックスだけではなく、『人生の同伴者』だ。

『偉大な誕生』脱落後、ジョ・ヒョンウの広告撮影、公演、シェーンの支援射撃などで誰よりも忙しい日々を送った。 まだ所属事務所も決定されていない状況で、降り注ぐラブコールは、今まさに歌手の道に入ったジョ・ヒョンウには困難である。 「スケジュールを選択しなければなりませんでした。 すべての重要な決定をするたびに、シン・スンフン先生にアドバイスを求めています」

シン・スンフンは、『偉大な誕生』を介して会ったメンティーとの特別な情を交わしているメントだ。 彼の人間的な姿は、ファイナルラウンドに上がるメンティーを選ぶ過程で、光を放った。 誰か一人が落ちなければならない状況を受けさせていただくことができなかったように、「ファイナルに上がっても上がれなくても君たちは同じ私の弟子たち」と抱きあって涙を流す姿はバラードの皇帝シン・スンフンが合うかという錯覚になるようにさせた。

「私達メンティ達のために不文律をたくさん破ったようです。 ゲリラコンサートした時にも涙を流さないで人々を驚かせたが、私たち4人のために涙を流したじゃないですか。大勢のファンも泣く事ができないシンスンフンを私達が泣いたという点で、より一層感動しました。 そして、20年の間、ゲストがいない事で有名なシン・スンフンのコンサートに私達に立ったということも意味が深いです」

ジョ・ヒョンウに対して、シン・スンフンは、音楽の指導者だけではなく、人生のメントだ。 「一生ついて行かなければならないと思いました。 シン・スンフン先生の20周年をファンたちが見守ってくれたが、今後20年は、メンティーと一緒にして一緒に歩いていただきたいという願いですよ」

「私的な席で、『偉大な誕生』出演決定をすることになった理由を聞いたことがある。 金曜日のゴールデンアワー帯の若い血気が歌ってギターを弾く場面を地上波で示すことができるということに意味があると考えて出演することになった、と言われました。 あなたがたのような子供たちが音楽をする姿を見て大衆も一つ二つ楽器を始めて歌を歌って、これにより、より多くの優れたミュージシャンがたくさん出ないだろうかと考えた話に感動を受けました」

「私たちの考え以上に長く広く見ておられたことを知って、一生従いて行かなければならないと思いました。 私にとってシン・スンフン先生は、一言で柱のような存在です」