兄が亡くなってから三七日が済みました
昭和2年生まれの兄が、就職する時の話をよく耳にしてました
母は、兄を「旧国鉄に入社させたい 」という一念で
兄に家庭教師つけたそうです
家から美味しいにおいが漂ってくる日は、先生様が来る日だったそうです
先生様だけの特別なおかずを作り、夕食を用意して…
当然お礼もしたことでしょう
今でも家庭教師をつける家は少ないのに、昭和10年代という時代に
しかも貧しかった我が家で、そこまでできたのが不思議です
当然、父も家庭教師を頼むことを認め協力していたことになります
兄は、旧国鉄に入社し、鉄道マンとして国鉄に人生をかけ
”南四日市駅” の駅長で定年を迎えた
「どうしてそこまでして国鉄に入れたいと思ったのかな?」と兄に聞いたが
当の本人も不思議がっていたので、本人の希望ではなかったようです
結局、結論は判明していないのです
当時は、定職につくのが難しい時代だったのだろうか
母は、幼いころから家族運は薄かったが、裕福な家庭のお嬢様だった
お嬢様育ちの母が、親の決めた父の元へ嫁いで
金銭的に苦労した話もよく聞いていました
母が国鉄にこだわったのは、兄が金銭的に苦労しないように
” 公務員という安定した職 ” に就かせたいという一念が強かったのか
兄の努力もあるけれど、母が国鉄への道を開いたといっても
過言ではないと今でも思っています
今はこの世にいない母に
「どうして・・・そこまで思ったの」と聞くことはできないけど
母親の一念ともいえる ” 愛の強さ ” を感じている!
願いがあったのでしょうか?
母の思いは今も昔も変わらないですね。
いいお話をありがとう^^
はよく聞いてます。
今頃天国でおじさんはさかえ婆さんと
その話をしているかしら
そう思ったのかもしれないです
母は、特に長男の兄に対して
その思いが強かったような・・・
いつもコメント有難う
よくするよね
「美味しいにおいがしてくる日は先生様が・・・」
という話は、ばばさんから聞いた話だよ
さかえ婆さんには会えたかな?
天国でもきっとその話をするよね
コメント有難うね