と言っても、紙を食べるヤギの話ではない。
食べるのは人間だ(笑)。
今年は昭和100年になるのか。
テレビで言ってった。
昔、明治100年ってのがあって、記念切手も出てた。
昭和100年の記念切手も出るのだろうか(大正100年って、いつだった?)。
その明治100年の少し前、昭和30年代終わりから、40年代はじめ、私の幼少期にあったもので、今、ネットで検索しても出てこない物、出来ればもう一度見てみたいものが3つある。
その一つが、駄菓子屋で売ってた、「食べる紙」。
白い紙の上に、赤だか黄色だかの食紅(?)で絵が描かれていて、その紙を小さくちぎって口に入れる。
すると、ニッキだかハッカだかの少しつ~んとした、辛いような甘い味がほんのり口に中に広がる・・・幼かった純真無垢の思い出が・・・
な~んていうほどの情緒ゆかしき上品なものではない。塗ってあったものは何かあやしいどぎつい色をした食材だ。味もしかり。子供はそれを口のなかでさんざんくちゃくちゃやって、その高級とは言い難い味がなくなるまでしゃぶり尽くす。そして、もうなんの味もしなくなったら、そのくちゃくちゃになった紙片を、ぺっと地面に吐き出すのだ。絵は消えている。
昔の広場(というより空き地、公園なんてない)は、こんなんだからさぞ汚かったろう。
でも、あちこちでやっていた道路工事、無造作に置きっぱなしされたドラム缶、マンガに出てくるコンクリートの大きな土管(土じゃないけど)、使われなくなった木の電柱とか、雑草と土とあい混ざって許されて光景だったのだろう。
その食べる紙なんだが、意外と知っている人がいない。大人、40代後半になってから、同世代の人に聞いてみたが知っている人がいない。ばあちゃんが死んだとき、何十年ぶりかにうちに来てくれた同い年の従弟に、そのことを聞いてみたが覚えていない。いつも一緒に遊んでいたのに。また、ばあちゃんのところに来てくれていたヘルパーさんのお母さんが、その方が小学生のとき駄菓子屋をやっていたというので、聞いてみたが、知らないとのことだった。
教育的・環境的によくない(それはないか)とか、チクロ・サッカリンの時代だ、塗られていたものに健康被害をもたらすようなものが含まれていたとか衛生面での問題で、すぐ発売禁止になったのかもしれない。
多分、大人になった私が思っていたより、売られていた期間はずっと短かったのだろう。
どんな絵が描かれていたのだろうか? まったく記憶にない。
駄菓子屋も小学校の中高学年になると足が遠のいていたし、食べる紙も口することはもうなかった。
あとの2つは、いずれまた。
写真は、1958年(昭和33年)の5月にじいさんが撮った裏の空き地(他で既出だが)。大正時代の絵葉書か?(笑 持ってないけど)
食べるのは人間だ(笑)。
今年は昭和100年になるのか。
テレビで言ってった。
昔、明治100年ってのがあって、記念切手も出てた。
昭和100年の記念切手も出るのだろうか(大正100年って、いつだった?)。
その明治100年の少し前、昭和30年代終わりから、40年代はじめ、私の幼少期にあったもので、今、ネットで検索しても出てこない物、出来ればもう一度見てみたいものが3つある。
その一つが、駄菓子屋で売ってた、「食べる紙」。
白い紙の上に、赤だか黄色だかの食紅(?)で絵が描かれていて、その紙を小さくちぎって口に入れる。
すると、ニッキだかハッカだかの少しつ~んとした、辛いような甘い味がほんのり口に中に広がる・・・幼かった純真無垢の思い出が・・・
な~んていうほどの情緒ゆかしき上品なものではない。塗ってあったものは何かあやしいどぎつい色をした食材だ。味もしかり。子供はそれを口のなかでさんざんくちゃくちゃやって、その高級とは言い難い味がなくなるまでしゃぶり尽くす。そして、もうなんの味もしなくなったら、そのくちゃくちゃになった紙片を、ぺっと地面に吐き出すのだ。絵は消えている。
昔の広場(というより空き地、公園なんてない)は、こんなんだからさぞ汚かったろう。
でも、あちこちでやっていた道路工事、無造作に置きっぱなしされたドラム缶、マンガに出てくるコンクリートの大きな土管(土じゃないけど)、使われなくなった木の電柱とか、雑草と土とあい混ざって許されて光景だったのだろう。
その食べる紙なんだが、意外と知っている人がいない。大人、40代後半になってから、同世代の人に聞いてみたが知っている人がいない。ばあちゃんが死んだとき、何十年ぶりかにうちに来てくれた同い年の従弟に、そのことを聞いてみたが覚えていない。いつも一緒に遊んでいたのに。また、ばあちゃんのところに来てくれていたヘルパーさんのお母さんが、その方が小学生のとき駄菓子屋をやっていたというので、聞いてみたが、知らないとのことだった。
教育的・環境的によくない(それはないか)とか、チクロ・サッカリンの時代だ、塗られていたものに健康被害をもたらすようなものが含まれていたとか衛生面での問題で、すぐ発売禁止になったのかもしれない。
多分、大人になった私が思っていたより、売られていた期間はずっと短かったのだろう。
どんな絵が描かれていたのだろうか? まったく記憶にない。
駄菓子屋も小学校の中高学年になると足が遠のいていたし、食べる紙も口することはもうなかった。
あとの2つは、いずれまた。
写真は、1958年(昭和33年)の5月にじいさんが撮った裏の空き地(他で既出だが)。大正時代の絵葉書か?(笑 持ってないけど)
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上の話の少し前で、まだ牧歌的で、高度経済成長の波にうす汚れる前のものか。ここに一時期、街の工事現場に集まった人たちが出入りするプレハブなんかが建ったりもしたが、それも上に書いたような次の時代の1つの風景だったのか。でも、この時の子供も、きっと”ぺっ”ってしていただろ(笑)。