南三陸さんさん商店街を去った後、志津川地域を歩いてみました。
初めに思ったのは、「本当に何も無くなっている・・・」
ぽつんと建っているのはかの有名な防災対策庁舎。
町職員がたくさん亡くなられた場所。
防災対策庁舎の前には駐車スペースがありました。献花台も。
庁舎前から港の方向を。
こちらの方向には町役場が建っていたとのこと。
元々鉄筋がむき出しの建物だったわけではなく、鉄筋以外は全て流されてしまったということ。
横の階段のぐにゃぐにゃ具合が、どれだけ強い津波だったかを物語っているような。
そのあたりを歩いてみるとそこに生活があったのだという痕跡がわずかに残っていました。
割れた食器の破片
携帯電話
そういえば今では携帯電話よりもスマートフォンが主流ですが震災時はギリギリ携帯電話が主流でした。
3年でここまで時代も変わってしまうんですね。
なのに被災地の時間は3年前のまま止まっていました。
梅雨の影響か、すっきりしない天気。
防災対策庁舎前の小さな橋。
手前の柵は無くなっています。
地盤沈下がよくわかるマンホール。
海産物をモアイがデザインされていました。
リモコン。
「スキップ」などと書かれているのでオンガクプレーヤーか何かのリモコンでしょうか。
家の基礎はけっこう残っていました。
人々の営みがあった証拠。
とまれ
マンホール
先ほどのと同じデザイン。
下に「志津川」の文字が入っていたんですね。
震災前、どんな街だったんだろうと想像しながら歩きました。
初めに思ったのは、「本当に何も無くなっている・・・」
ぽつんと建っているのはかの有名な防災対策庁舎。
町職員がたくさん亡くなられた場所。
防災対策庁舎の前には駐車スペースがありました。献花台も。
庁舎前から港の方向を。
こちらの方向には町役場が建っていたとのこと。
元々鉄筋がむき出しの建物だったわけではなく、鉄筋以外は全て流されてしまったということ。
横の階段のぐにゃぐにゃ具合が、どれだけ強い津波だったかを物語っているような。
そのあたりを歩いてみるとそこに生活があったのだという痕跡がわずかに残っていました。
割れた食器の破片
携帯電話
そういえば今では携帯電話よりもスマートフォンが主流ですが震災時はギリギリ携帯電話が主流でした。
3年でここまで時代も変わってしまうんですね。
なのに被災地の時間は3年前のまま止まっていました。
梅雨の影響か、すっきりしない天気。
防災対策庁舎前の小さな橋。
手前の柵は無くなっています。
地盤沈下がよくわかるマンホール。
海産物をモアイがデザインされていました。
リモコン。
「スキップ」などと書かれているのでオンガクプレーヤーか何かのリモコンでしょうか。
家の基礎はけっこう残っていました。
人々の営みがあった証拠。
とまれ
マンホール
先ほどのと同じデザイン。
下に「志津川」の文字が入っていたんですね。
震災前、どんな街だったんだろうと想像しながら歩きました。
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