気仙沼で迎える朝。
朝食会場は2階。

イカが少しだけついてました。
しっかり朝ごはんを頂きました。
2階までは浸水したということで、じっと見てみると所々それらしき跡がありました。
でもたぶん言われないとわからない、という程度だと思います。
昨晩はまったくわからなかった周りの景色を。
右手に見えるのが一景島神社。

かつてはこのあたりも海で、この神社が小さな島だったようです。なので住所も弁天。
チェックアウト後はホテルの周りをうろうろ。
こちらが今回お世話になった一景閣さん。

老舗ってかんじです。
ホテルの裏にはこんな立派な建物が。

3階以上は無事に見えますが全く使われていないようです。
先ほど部屋から見えた一景島神社を参拝しました。

後ほど声をかけられたおばさんによると、この鳥居は津波で流された電柱で作ったものだとか。
一景島の歴史が書かれた看板。

現在はつかえなさそうでした。

神社では被災地の復興を祈願し。。
このあたりでは、新しい基準の高さに道路も土地も盛土していました。
手前が新しい高さ、その奥が昔の道路です。

わかりづらいアングルです。。
こちらのほうがわかりやすいかも。

被災する前まで現役だったであろう消火栓もありました。
津波によってぐにゃぐにゃになった道路標識。

前から見ると

津波の威力がわかりますね。
書かれている南気仙沼駅は現存していません。
流されたものが引っかかったままの標識。

漁港は復活し、漁船もたくさんいました。それでも震災前よりは少ないんでしょうね。


元々漁港の施設だった建物。


今はカラスの住処となっていました。
このあたりは、新しく立て直した倉庫も数多くありました。

甚大な被害に遭ったにもかかわらず、同じ土地でまた商売をやろう、という心意気に驚かされます。
気仙沼の人々の熱意を感じました。
壊れたライン。

先ほど見た、ホテルの裏の立派な建物は、なんと猪苗代医院というクリニックでした。

クリニックにしては規模が大きいので、きっと上の階は賃貸だったのだと思いますが。
定礎石を見ると、建ってからまだ10年前後でした。
このあたりで美容院を営むおばさんに話しかけられました。
「気仙沼に来るのは初めてなの?」と聞かれたので初めてだと答えると、「もっと早く来てればもっとすごいのが見れたのにねえ」と。
瓦礫もかなり片づけられてきれいになったということですね。
このあたりの新しい倉庫や工場も、ここ一年でかなり増えたとのこと。気仙沼パークホテルもつい最近再築オープンを果たしたと。
「○○さんも戻ってきてくれたし、パークホテルさんも復活したし、このあたりがまた盛り上がるといいねえ」
と、前向きでした。
また、あの震災の日、そんなに大きな津波は来ないと思っていたそうですが息子さんに促され、車で避難するも、道は渋滞。
息子さんに「車おいて逃げるぞ」と言われ、びっくりしたそうですがその通りにした助かったのだと話していました。
柔軟な判断力のなかった人は助からなかったんだと。
「これからを生きていく人にこういうことを語り継いでいかないとねぇ」
そう言いながら話してくださったこと、自分の子孫に語り継いでいこうと思いました。
貴重なお話を生で聞くことができたのですから。
朝食会場は2階。

イカが少しだけついてました。
しっかり朝ごはんを頂きました。
2階までは浸水したということで、じっと見てみると所々それらしき跡がありました。
でもたぶん言われないとわからない、という程度だと思います。
昨晩はまったくわからなかった周りの景色を。
右手に見えるのが一景島神社。

かつてはこのあたりも海で、この神社が小さな島だったようです。なので住所も弁天。
チェックアウト後はホテルの周りをうろうろ。
こちらが今回お世話になった一景閣さん。

老舗ってかんじです。
ホテルの裏にはこんな立派な建物が。

3階以上は無事に見えますが全く使われていないようです。
先ほど部屋から見えた一景島神社を参拝しました。

後ほど声をかけられたおばさんによると、この鳥居は津波で流された電柱で作ったものだとか。
一景島の歴史が書かれた看板。

現在はつかえなさそうでした。

神社では被災地の復興を祈願し。。
このあたりでは、新しい基準の高さに道路も土地も盛土していました。
手前が新しい高さ、その奥が昔の道路です。

わかりづらいアングルです。。
こちらのほうがわかりやすいかも。

被災する前まで現役だったであろう消火栓もありました。
津波によってぐにゃぐにゃになった道路標識。

前から見ると

津波の威力がわかりますね。
書かれている南気仙沼駅は現存していません。
流されたものが引っかかったままの標識。

漁港は復活し、漁船もたくさんいました。それでも震災前よりは少ないんでしょうね。


元々漁港の施設だった建物。


今はカラスの住処となっていました。
このあたりは、新しく立て直した倉庫も数多くありました。

甚大な被害に遭ったにもかかわらず、同じ土地でまた商売をやろう、という心意気に驚かされます。
気仙沼の人々の熱意を感じました。
壊れたライン。

先ほど見た、ホテルの裏の立派な建物は、なんと猪苗代医院というクリニックでした。

クリニックにしては規模が大きいので、きっと上の階は賃貸だったのだと思いますが。
定礎石を見ると、建ってからまだ10年前後でした。
このあたりで美容院を営むおばさんに話しかけられました。
「気仙沼に来るのは初めてなの?」と聞かれたので初めてだと答えると、「もっと早く来てればもっとすごいのが見れたのにねえ」と。
瓦礫もかなり片づけられてきれいになったということですね。
このあたりの新しい倉庫や工場も、ここ一年でかなり増えたとのこと。気仙沼パークホテルもつい最近再築オープンを果たしたと。
「○○さんも戻ってきてくれたし、パークホテルさんも復活したし、このあたりがまた盛り上がるといいねえ」
と、前向きでした。
また、あの震災の日、そんなに大きな津波は来ないと思っていたそうですが息子さんに促され、車で避難するも、道は渋滞。
息子さんに「車おいて逃げるぞ」と言われ、びっくりしたそうですがその通りにした助かったのだと話していました。
柔軟な判断力のなかった人は助からなかったんだと。
「これからを生きていく人にこういうことを語り継いでいかないとねぇ」
そう言いながら話してくださったこと、自分の子孫に語り継いでいこうと思いました。
貴重なお話を生で聞くことができたのですから。
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