自分の葬儀は『家族だけでいい』と父親は言う。
でも、父親の葬儀は『立派にしたい』と家族は思う。
・・・どうなんでしょうねぇ~~。
人は一人で生まれてきて、もちろん母親とはへその緒で繋がっていたから、一人ではなく、母親、父親に愛されて生まれてきたのだけれども。
そして、一生一回きりの人生の中で修行をし、そして一人であの世へ旅立つ。
もちろん、その際には家族に見守られて、お礼が言えるのであれば、今生の別れを聞いていただき、あの世へと旅立つ。
葬儀はその後のこと。
宗教によっても相違があるが・・・仏式であれば四十九日で初めて仏となり、33回忌が終わって「神」になるのだと教わった。
やがて訪れるかも知れない自分の場合をふと考えてみた。
残された者たちへの負担を考えれば、そんな壮大な葬儀はいらないと思っている。
もちろん、莫大な経費の掛かることも考えて・・・。
ただ、苦楽をともにした家族が死出の旅立ちの際にいてくれていればそれでいい。
今、家族葬と言う葬儀の形が静かなブームであるという。
自分のその時を考えてみるうちに、何となくその形を想像してしまう。
私はその方法が良いと考えている。
自分にとってもお似合いなのかな??
そして、永代供養・・・それで良い。
残された家族とともに、その旅立ちをしめやかに別れのその時間を共有してほしい。
人は死んだときに、その生きざまが表されるという。
結婚式と違って招待するのではなく、生きている間にその生きざまに共感した方々、関係した方々の数でその人に生きざまが現れるという。
なるほど、それも最もな話だ。
しかし・・・最も重要なのは一番自分の苦楽を共にしてくれた家族だ。
家族だけがその時に傍にいてくれれば良いのである。
人はそれぞれ持って生まれた寿命というものがある。
それを、最後のお別れに自分を考えてくれればそれで良いと考えている。
(^_-)-☆
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます